古風過ぎる黒電話同様、何処で調達して来たのか、何時の頃からか、その部屋の片隅を陣取っている小さな茶箪笥を開き取り出した、見事な太さの羊羹を切り分け始めた龍斗と京梧を眺め。
「馬鹿シショー……」
「龍斗さん……」
脱力し切った声で、京一と龍麻は二人を呼んだ。
「あ? 何だ? 馬鹿弟子」
「龍麻? どうかしたか?」
しかし、ケロっとした調子の応えが先祖達からは返り、
「…………何でもねえよ……」
「もう、いいです……」
文句の一つもぶつけてやろうと思っていた子孫二人は、そんな気も削がれ、げんなりと肩を落とした。
「お前達の話なら、ちゃんと聞いていた。お前達の縁の誰かに、お前達との間柄のことを問われたら、龍麻のはとこだ、と答えればいいのだろう?」
「要らねぇ心配してんじゃねぇよ。ちゃんと、聞くことは聞いてらぁな」
「だから、そういうことじゃねえっての……」
「龍麻。羊羹は?」
「………………遠慮します」
項垂れる二人を前にしても、京梧も龍斗も、マイペースを貫き通し。
「……ひーちゃん。龍麻。俺等、何の為にここまで来たんだっけか……」
「京梧さんと龍斗さんに、頼みがあるって呼び出されたから。……だったと思う。自信無くなってきたけど……」
「お前達、何をそんなに疲れたように────。…………ああ、京梧」
「何だ?」
「龍麻や京一を呼び付けておいて、酷く今更の話なのだが、二人の手を煩わせずとも良い方法が、一つあった」
「あん? そんな方法……あるか?」
「ある。たった今、気付いた。龍麻と京一には、一箇所だけ教えて貰えば済む」
項垂れるを通り越し、疲れ果てた様子になった京一と龍麻を何処までも果てしなく尻目に、お騒がせな隠居衆の片割れは、連れ合いへ、かつての仲間達に容易く『逢える』術を悟った、と告げた。
先祖二人よりの余りと言えば余りな扱いに、本当に、一体、自分達は何の為にここへ足を運んだんだ! と子供のように盛大に拗ねた龍麻と京一を宥め賺し、夕食を振る舞うことで機嫌を直してやり、若者二人を『惨く』扱った当の龍斗と京梧は、それより二、三日程が過ぎた晴天の吉日、風呂敷に包んだ二本の一升瓶をぶら下げ、新宿の街を行っていた。
家の中に京梧と二人きりでいる時は兎も角、龍斗は一人で道を歩かせると、直ぐに、毎度の、『皆』の声に耳と意識を奪われる、との『癖』を発揮してしまい、あっという間に迷子と化すので、江戸の町を二人行っていた時もそうだったように、京梧は龍斗の左手首を掴んで、龍斗は己の手首を掴み引く京梧に唯従って、西新宿を走る路地達を、縫うように伝い、
「ここか?」
「多分。……間違ってねぇだろ?」
「………………ああ、そうだな。確かにここだ」
「なら、行こうぜ」
青く塗られた金網で出来たフェンスに囲まれた、広い広い空き地に辿り着いた二人は、そこが目的地の『一つ』であることを氣で確かめると、一応辺りを窺い、行き過ぎる人の目の絶えた隙に、ひょい、と過ぎる程身軽に、己達の身の丈よりも高いフェンスを乗り越えた。
京梧は、得物を納めた地味な色使いの刀袋を担いだまま。龍斗は、一升瓶を包んだ風呂敷を抱えたまま。
「……っと。着物の裾が、引っ掛かるかと思ったぜ」
「何を馬鹿なことを。この程度のことで、裾を裂いてしまうような真似を晒す程、鈍ってなどおらぬだろうに」
「そりゃ、まあな。未だ未だ若いぜ?」
「お前が若いかどうかは知らぬが。──お前も、今様の支度に慣れたらどうなのだ? 私は大分慣れた。今様の物は、こういう時にはとても動き易い」
「俺は、着物の方がいいんだよ。ズボンとかいう奴は、どうにも、股の座りが悪くていけねぇ。剣先が鈍っちまう」
「……私にはよく判らない。股引や猿股と何が違うのだ?」
ひらりと身を躍らせ、与太を言い合いながら、京梧と龍斗は、下り立った空き地を奥へと進んだ。
──彼等が目的地の『一つ』であるその『空き地』は、本当に、とても広かった。
事情を知らぬ者は、どうして、西新宿にこんな広大な空き地が? と首を傾げるだろうくらい。
かつては建っていたのだろう物を取り壊した跡が微かに窺えるそこは、綺麗に整地されており、薄茶色の地面と、敷地を取り囲むフェンス沿いの所々に生える緑の雑草以外、何もなく。
京梧と龍斗以外の人影もなく。
「随分と、変わってしまった…………」
「……そうだな」
五月初めの日中の、明るい陽光だけに照らされる、がらん……、とした敷地を隅々まで眺めて、ぽつり、二人は呟く。
「龍麻達と柳生が戦った頃までは、ここは、天龍院という名の学び舎だったのだろう?」
「ああ。誰が建てたんだかは俺も知らねぇがな。確かにそうだった。そいつが、鬼哭村の跡と──この新宿の、もう一つの龍穴のある場所と知って、ここに天龍院って学び舎を開いたのかどうかも知らねぇが……、柳生の奴は弁えてたらしい。ここで……この場所で、あいつは、陰の黄龍の器を拵えたんだからな……」
「因果、だな。それは、因果だ。天戒達も、さぞ口惜しかったろう……。あれ程に慈しんで、あれ程に護ったあの村の行く末で、そのようなことを為されてしまったのだから……」
「そうだな……。……だがよ。それも、全て終わった。今生の宿星達が終わらせてくれた。俺達の血脈が。あの富士で、美里の奴が言っていたように、想いと願いを受け継いで。人の『力』で」
「…………ああ。この時代の私達の血脈が、あの頃の私達の想いと願いを。それは、確かだ。……何もなくなってしまったけれど、あの頃の面影は、もう何処にもないけれど、ここは『あの場所』。それも、確かだ。懐かしい懐かしい、鬼哭村の……──」
約六年前まで天龍院高校が建っていた、今はその面影すらない広大な空き地の直中に、二人、佇み。
この場所で行われたという『悲劇』と、在りし日のこの場所に思い馳せ。
彼等は、携えて来た日本酒を包んでいた、風呂敷の結び目を解いた。