あの頃──この場所が鬼哭村と呼ばれていた頃。そしてそんな集落が、確かにひっそりと在った頃。
この辺りで拝めるものと言えば、深い山々と、青梅街道や甲州街道に何とかは続いている細い裏街道筋と、そんな裏街道を取り巻き広がる、田畑のみだった。
行き交う人々は多くなかった処か、鬼の住まう山がある、そんな山に踏み込んだが最後、二度と戻れぬ、などと言った噂が、実しやかに語られたが為、日中でもひっそりとしていて。
その、ひっそりとした場所を越え、鬼哭村の長だった天戒達、鬼道衆が張り巡らせた幾重もの結界を抜けた先に、この場所──かつての鬼哭村は在った。
今はもう、見る影もないけれど。
深き山々も、幾本かの裏街道も、長閑な田畑も、時代の波と、膨大な時間の前に姿を消し、あるモノは、田畑や山々の代わりに辺りを取り巻く住宅街やオフィスビルと、微かに届く、新宿の繁華街の喧噪。
でも、あの頃、確かに在った『この場所』は、とてもとてもひっそりとした隠れ里ではあったけれど、嘘偽りなく村人達が息衝いており。
そんな村人達の日々の営みがあって。
龍斗や京梧の仲間達──九角天戒達も、確かに。
「……久しいな。私達を、それでも憶えていてくれるか? 今でも」
「あの世の酒の味も、この世の酒の味と変わらねぇか?」
………………かつて、そんな場所だった『そこ』の直中に、携えて来た一升瓶の内の一本を空になるまで撒き、大地に染み込んでゆく透明な酒精を眺めながら、数年前までは校庭だったのだろう地面に腰を下ろした龍斗と京梧は、軽く天を仰ぎつつ、つらつらと語り掛けた。
もういない、懐かしい人達へ。
「皆には、随分と薄情なことをしてしまったと思っている。あの時代から消えてしまった京梧の後を追うと、私は誰にも告げなかった。それ処か、別れも、詫びも、何一つ。……言えれば、良かったのだろうな。京梧は、私の全てだと。その理由
両の膝を抱き抱えるように座り込み、軽く仰いだ天を見遣る瞳を閉ざして、龍斗はひたすらに、亡き皆へと語り掛け続け、
「俺には、お前等に多くを言うことは出来ない。……でも、ま、何時の日か、もう一度巡り逢えた暁にゃ、たっぷり、それこそ嫌って程、お前等に小言を喰らうんだろうってことくらいは覚悟してるぜ。だから、勘弁してくれ。今は未だ、『そこ』にゃ逝けねぇけどよ。必ず、龍斗と二人で逝くからよ。そうしたら……又、呑もうぜ。あの頃みたいに。……呑むも良し、立ち合うも良し、だ。楽しみだろう……? ──巡り逢った。今の世でも、ちゃーんと龍斗と巡り逢った。今はそれだけを、お前等に伝えとく」
ぽんぽんと、二、三度、傍らの龍斗の頭を叩くように撫でながら、京梧も、又。
「……………………何故だろう」
と、不意に、あの頃の皆への語り掛けを止め、龍斗は不思議そうに首を傾げた。
「何故って、何がだ?」
「人には人の、『魂の還る場所』がある。それは、その者が眠る場所──墓とは限らない。その者が、そこ、と定めた場所こそが、その者の魂の還る場所だ。そういうものだと、『皆』が教えてくれたから、それに間違いはない筈だ」
「……ほんで?」
「だから、鬼哭村を確かに己が家としていた者達の──天戒達の魂の還る場所は、墓でなく、ここだと思った。ここに来れば、皆に逢えると思った。だのに、誰の姿も見当たらない。私には、亡き者の姿も視えるのに」
「いないのか? 誰一人?」
「…………いや。正しくは、いないのではい。何と言えばいいか……、在った跡がある、とでも言えばいいか……。そういう類いのモノとは縁遠いお前に、どんな言葉を選べば正しく伝わるか判らないが、兎に角、在った跡はあるのにいない、と言うか……。……天戒達は、私達のことを、もう、忘れてしまったのだろうか。それとも、不義理この上無い私を、許すつもりはないのだろうか……」
きょろっと辺りを見回し、会得出来なさそうに首傾げ、遂には、酷く心細気になった龍斗の言うことに京梧が耳を貸せば、龍斗は悲しそうに声を潜めてそう告げ、
「そんな訳ねぇだろ。連中が、お前のことを忘れたり、許さない筈がねぇ。…………あれから、一四〇年以上も時が経ってるんだ。皆、成仏しちまったのかも知れねぇじゃねぇか。お前や『皆』の言う魂の還る場所じゃなくて、涅槃ってとこに、旅立ったのかも知れねぇ。だから、そんな、気落ちしたような顔するんじゃねぇよ」
龍斗には視える『死者』の姿が視えない、それは、悪いことばかりとは限らぬと、京梧は、俯いてしまった片割れの肩を抱いた。
「……そうだな」
「つー訳で。いないってんなら仕方ねぇ。真神の方、行ってみようぜ」
「ああ」
そうして、京梧は龍斗を促すように立ち上がり、己に倣った彼の手首を毎度の如く引っ掴んで、もう一つの目的地、真神学園を目指し始めた。
又、身の丈よりも高い青色のフェンスを越えて行った二人の遥か後ろで。
その時、ふわり……と、唯人の目には映らぬ、長い、燃えるような赤髪が風に靡いたのに、京梧も龍斗も気付くことはなかった。
数十分程の時間を掛け、徒歩で向かった真神学園は、ゴールデンウィーク直中の為、人気は乏しかった。
とは言え、祝祭日でも部活に励む生徒達や、そんな生徒達を指導する教員達の姿がない訳ではなかったから、気配を殺し、氣を殺し、一月振りに訪れた学園内に忍び込んだ彼等は、誰にも見咎められぬ内に、彼等も知っている『秘密の入り口』を抜け、旧校舎へと潜んだ。
数百メートルと離れていない校庭にて部活を行っている生徒達の声も何故か届かぬ、真実人気ない旧校舎をぐるりと取り巻く壁脇の中で、最も陽光が射している場所を選び、京梧と龍斗は、天龍院の跡地で行ったように、抱えて来た一升瓶の中身を全て大地に注ぎ、この場所を、己が魂の還る場所と定めてもおかしくないかつての仲間達──美里藍や、桜井小鈴や、醍醐雄慶と言った者達へと語り掛けをしてみたが、やはり、応えはなく。
『名残り』はあれど、龍斗には視えてもおかしくない、彼等の『姿』もなく。
龍斗は固より、京梧も、暫し、胸の詰まる想いを噛み締める羽目になった。
「幾ら何でも、と思いたいが、やはり、忘れ去られてしまったのだろうか……」
「……そいつぁ、それこそ、幾ら何でも」
「ならば、藍達も、私の不義理を許すつもりはないということか」
「…………とも限らねえんじゃねぇか?」
「では、何故?」
「だから………………」
故に。
酷く落ち込んだ素振りと表情を龍斗は見せて、京梧はそんな龍斗を長らく宥めて、やがて、暫くでも待っていたら、皆も少しは機嫌を直してくれはしまいかと、そんなことを龍斗は言い出し、それで彼の気が済むならと、文句も言わず、京梧はそれに付き合うことに決め。
せめて、陽が落ち切るくらいまでは、と旧校舎の中に入り、夜を待っていた二人は、何故