二十三夜の月が照る、晩春の丑三つ時の闇の中。

一四〇年程前、龍泉寺と呼ばれていたその場所に、懐かしい人々の姿が浮かび上がっていた。

今生では別れた、あの頃の姿のまま。

ある者は、腕を組みつつ苦笑し、ある者は、懐かしそうな笑みを湛え、ある者は、拗ねたような色を頬に乗せ……でも、一様に、一四〇年程振りになる再会を、喜ぶ風にしてくれていた。

──それが。

閉ざした瞼を再び開いた京梧の瞳に映った、それまでは龍斗のみの瞳に映っていた、現実の光景だった。

龍斗が告げた通り、今宵限り、皆と『皆』が自分達の為だけにしてくれた、施しの光景。

「……………………よう。……久しい、な」

……光景を前に、一瞬、息を飲み。

それでも常通りの飄々とした素振りと面を保ち、京梧は、ひょいっと片手を上げる。

「……私も、改めて言おう。──久し振りだ。私達を憶えていてくれて、有り難う……」

何でもないことのように、『気軽』な再会の一言を告げた片割れと、眼前の皆と、この段でも彼にしか視えない『皆』へ、柔らかい微笑みを振りまき、龍斗は言った。

「随分と、洒落たことしてくれるじゃねぇか。昼の内は、そっぽ向きやがったくせに」

「何故、今になって?」

何を思い立ったのか、光景の中に佇んでいた皆の一人──小脇に三味線を抱える、殊の外妖艶な『彼女』が弾き始めたその弦の音に耳傾けつつ、もう再会に浸るのは終わりだ、何時も通りに行こうじゃねぇかと、京梧は文句をぶつけ始め、昼には叶わなかった再会が、今になって叶えられた理由を龍斗は問うた。

すれば、一四〇年の時を越えて再び逢った仲間達は、揃って、やれやれ……、と呆れ、終いには大仰に肩を落とし、彼等の一番近くにいた、燃えるような赤い髪した『鬼』の頭目が、腕を組みつつ心底の溜息を零してから、漸く口を開いた。

────お前達は少し、あの頃とは何も彼もが変わってしまった今の世に、慣れ過ぎてしまったのではないのか?

「……ああ? どーゆー意味だ、そりゃ?」

「…………天戒?」

どうにも物分かりの悪い幼子に言い聞かせる如くの口調でそう言った彼に、京梧と龍斗は目を瞬く。

────鈍くなったと言っているのだ。……何故、解らない?

「解んねぇのか、って言われてもよ……。ひーちゃん、解るか?」

「さあ……。私にも」

故に彼は、とうとう、鈍い、と二人を切って捨て、さっぱり話が見えないと、鈍くなった、と断ぜられた二人は、今度は深く首を傾げた。

────俺達の魂の還る場所は、確かに、鬼哭村であり、龍泉寺だ。……だがな、龍。京梧。

「……ああ」

「おう」

────俺達の魂の──想いの還る場所は、お前達の傍ら『にも』在る。……今までずっと、お前達の傍らにも俺達は在ったというのに。解らなかったのだろう? だから、鈍い、と言っている。…………傍らに在った。お前達の傍らにも、俺達の想いは常に在った。それに気付きもせずに、仰々しく、酒など抱えて墓参りの真似事なぞするから、こういう目に遭うのだ。……少しは思い知ったか?

………………何を言われているのか、何故、説教めいた詰りを受けなくてはならないのか、皆目見当も付かぬ風に、唯々きょとんとする龍斗と京梧へ、捲し立てるように言い切ると、彼は、ふ、と笑った。

夜な夜な江戸の町を脅かした『鬼』の頭領でありながらも、哀しいまでに優しかった、優し過ぎた、あの頃の彼のまま。

「天戒…………」

「お前等……」

そんな風に言い切られ、そんな風に笑まれ、懐かしい人達を呼び掛ける以外のことが出来なくなった二人は、絶句する風に、何とか続けようとした言葉を飲んだ。

────貴方達のことを、私達が、忘れたりなどする筈が無いでしょう? 龍斗、貴方のことを、私達が許さない筈が無いでしょう? 但ね、たった一四〇年の時が過ぎただけで、私達が貴方達の傍にいることにも気付いてくれなかったり、水臭い真似をした貴方達に、少しだけ、腹を立てただけなの。でも、それくらいは仕方無いわよね?

呆気に取られたような、けれど物言いた気な、複雑な表情を見せたまま黙り込んだ彼等へ、あの頃、菩薩の眼を持っていた彼女は、コロコロと楽しそうに笑いながら言って。

「そう、だな……」

「……悪かったな、鈍くてよ……」

彼女の弁に、ほんの一瞬、龍斗と京梧が申し訳なさそうな気色を見せた途端。

────大体ね、ひーちゃんと京梧は何時だって……──

────全くお前達は、幾つになっても何時になっても……──

────本当にねえ……。あたし達のことを、何だと……──

────ま、お前等に、俺は最初っから何も期待なんかしてねえけどなっ! ……──

────師匠も蓬莱寺も、多少は懲りたか? もしも、懲りていないと言うなら……──

そんな風に、懐かしい人々が、口々に、二人に対する文句を怒濤のように言い始めて、故に、それより暫し、京梧も龍斗も、黙って、次から次へと投げ付けられる文句に耳貸す以外、術はなくなり。

やがて。

言うだけ言って満足したのか、懐かしい人々は、皆、晴れ晴れとした笑みを浮かべて二人を見た。

「こんなに盛大な小言を浴びせられるたぁ、思ってもいなかったが……」

「……そうだな。だが……、再び、こうして相見えられて良かった……」

その頃にはもう、薄く白く輝き始めた空が、朝の訪れを伝えており。

差し込み始めた朝の陽光の中、京梧は少々の不機嫌さを、龍斗は溢れんばかりの喜びを、見遣って来る人々に向けた頬に浮かべた。

────では、又な。何時の日か………………。

彼等二人の頬の色を浮かび上がらせた白い陽光は、懐かしい人々の姿を掻き消し始め、あの頃のままの身を霞ませながら、優しい鬼だった彼は、二人に別れを告げる。

「ああ、又。何時の日にかに」

「じゃあな。又、その内な」

この先は、もう容易には相見えること叶わぬだろうと思いながらも、龍斗も京梧も、告げられた別れに、さらりとした別れを返した。

だから、懐かしい人達は、一人、又一人とその姿を隠し始め。

東の空が、真っ白に染まったのを切っ掛けに、瞬きを一つした二人が、再びまなこ開いた時には、もう、誰の姿もそこにはなかった。

一夜限りの、短い、泡沫の夢を見た後のように。