『専属バディのレンタル』などを承諾したが最後、己が激しく機嫌を損ね、激しく臍も曲げる自覚くらいあるのだろうから、どんなに魅力的な交換条件を出されても、甲太郎を行かせなければ良かったのに、と内心では思いつつの兄さん達やご隠居達がどんなに慰めてみても、ハリセンボン並みに膨らんだ九龍の頬は元に戻らなくて、その日の夜も、翌日も、九龍は部屋でふて寝していた。

更にその翌日は、天香学園内にある阿門帝等の屋敷に押し掛け一日掛けて愚痴を垂れ、四日目は又ふて寝し、五日目と六日目は、「傷心な時には日本海!」と訳の判らないことを叫びながら一人北陸まで旅して、七日目と八日目は、兄さん達とご隠居達を付き合わせ、真神学園・旧校舎地下に忍び込み、憂さ晴らしと言う名の『破壊活動』に勤しんで、九日目もふて寝して、十日目もふて寝して、十一日目と十二日目は、道場裏手の庭の片隅にしゃがみ込んで空を見上げながら、ボーーーー……っと物思いに耽り。

迎えた十三日目、何を思ったのか、大量のカレーの材料と、同じく大量の小麦粉その他を買い込んで来た彼は、台所に立て篭り、何やらを始めた。

一体、九龍は脇目も振らずに何を始めたのかと、兄さん達やご隠居達は、代わる代わる、こっそり台所の様子を窺ったが、何のことはない、揃えられた材料が示した通り、そこで展開されていたのはカレー制作で、眩暈がする程に道場の至る所がカレー臭く、ご近所からも苦情を言われそうだけれども、触らぬ神に祟りなし、放っておくのが良かろうと、彼等は見て見ぬ振りを決め込んだ。

その後、京一や京梧が、「カレー臭せぇ!!」と喚きながら暴れそうになっても九龍のカレー制作は続き、暴れはしなかったものの流石に匂いに耐え兼ね始めた龍麻と龍斗が、手伝いを建前にして再び台所に潜入した時には、彼は鬼気迫る顔付きで、一心不乱に小麦粉を練っていた。

練りに練って、捏ねて、台所中に打ち粉を撒き散らしながら、バッシンバッシン、練り上げた巨大な小麦粉の玉を調理台に叩き付けもしていた。

まるで、不倶戴天の敵か何かを千切り投げている風に。

そんな、ご乱行中の彼の傍らでは、龍麻や龍斗には、いい加減煮詰め過ぎだとしか思えなかった、「水分は何処に?」なカレーが、脳の芯まで溶解し兼ねぬ香りを放っており。

「九龍。お前は一体、何を作っているのだ?」

この有様は何なのだと、龍斗が問いをぶつければ、

「カレーパン作ってるだけですよー」

ご乱行は留めることなく、九龍はさらっと答えた。

「かれーぱん? かれーぱん…………。……けれど……。……龍麻?」

「……えーと。何で、九龍がこんな勢いでカレーパンを作っているのかってことを、目で問われても俺も答えようがないです、龍斗さん。──取り敢えず、脱出しましょう。量や匂いは兎も角、カレーパン作ってるだけなら問題無いですから。……多分」

だが、何故急にカレーパンを拵えようと思ったのか、そして何故、そんなにも大量に拵えているのか、その疑問は晴れることなく、勢い、龍斗は龍麻に回答を求めたが、そんなことの答えなど自分も知らないし、第一、小麦粉塗れの、空気までがカレー色に染まっているようなキッチンで、カレーパンに関する問答などしたくもない、と龍麻は、龍斗の腕を引っ張って、裏の庭に避難している筈の京一と京梧の許へ逃げて行った。

が、緋勇一族にトンズラされても、九龍は全く意に介さず、カレーパン制作に、ひたすら没頭し続け、漸く、道場中に漂っていた強烈なカレー臭が薄まった──即ち、九龍が拵えた大量過ぎるカレーパンのタネが全て揚げられ終えた時、既に、彼の帰国より十三日目のその日は終わっていた。

────十四日目。

朝早くから、九龍は奮闘の続きをしていた。

今尚、生まれ育った幕末時の生活習慣を多々続けている、それでなくとも朝の早い武道家な龍斗や京梧が起き出して来た時には、既に昨日と同じく、台所を占拠していた。

ふんぬー! と謎の掛け声を掛けつつ台所での戦いを続けている彼の後ろ姿を目撃し、ご隠居達は、「まさか、今日も一日カレー臭塗れにされる運命!?」と青褪めたが、帰国十四日目の彼の奮闘内容は、夕べ揚げまくった大量のカレーパンを、一つでも多く冷凍庫に突っ込む、と言うものだった。

──この家の冷凍冷蔵庫は、一般家庭に置かれているそれの平均サイズよりも大きめだ。

幾ら、家主達の脳内が幕末仕様でも、家電に於ける『元祖・三種の神器』くらいはある。用意したのは、家電のかの字も判らないご隠居達でなく、拳武館長の鳴滝だが。

世界中を飛び回っている『子供達』も度々帰宅するとは言え、普段は京梧と龍斗の二人暮らしな道場だけれども、稽古に通って来る育ち盛りな若者達に某かを振る舞うことも少なくないので、確かに平均よりは大きいが、それでも家電量販店で普通に売られているサイズの物ではあり、故に、冷凍室とて常識の壁をぶち破るような大きさでは有り得ず、なのに九龍は、昨日一日掛けて拵えた大量過ぎるカレーパンの山を、仕舞い込んで冷凍しようとしていた。

彼が、ロゼッタ協会にて培った謎の収納技術を駆使しまくったとて、収め切れるとは思えぬ量なのに。

「……京梧。九龍は何がしたいのだろう……?」

「さあな。放っとけ。甲太郎が迎えに来るまで、好きにさせとくしかねぇだろ。下手に触ると、馬に蹴られて死んじまうぞ」

…………なので、まあ、何かを壊したり爆発させたりさえしなければいい。気にするのも、ちょっかいを出すのも止めよう、と昨日に引き続き、ご隠居達は九龍の行いに見て見ぬ振りをし。

「……あのよー、ひーちゃん。甲太郎に、メールか何かで、九龍がおかしいってタレ込んだ方がいいんじゃねえ?」

「タレ込めば、今直ぐに甲太郎が九龍のこと引き取りに来てくれるなら、そうするけど。甲太郎、未だ任務中なんじゃ? 不本意な仕事中な彼に、九龍がおかしい、なんてタレ込んで、甲太郎まで奇行に走ったらどうするんだよ。ロゼッタがとばっちり喰らうのは俺的に大歓迎だけど、俺達まで、今以上の騒ぎに巻き込まれたら堪ったもんじゃないんだから、放っとくのがいいって」

「…………言えてる……。……あー、未だカレーと揚げ物臭せぇ……。気持ち悪くなってくる……」

ご隠居達が起き出してから、三十分程後に活動を開始した京一と龍麻も、何も見なかったことにしよう……、と決意を固め。

爽やかな朝の空気の中に、朝っぱらからは余り嗅ぎたくないカレーと揚げ物の香りがガッツリ入り交じっている、如何とも例え難い一日の始まりを迎えたその日の午前が、そろそろ終わり掛けると言う頃、結局、どうやっても冷凍庫から食み出した、余裕で二桁を突破しているカレーパンを詰め込んだ紙袋を抱えた九龍は、道場一階の玄関の、格子戸前に仁王立ちを始めた。