「これは、一寸した賭けでもあるんだけど。今の処、一番当てがある話だとも思うんだ」

学生時代とは違い、現在は単なる嗜好品として、甲太郎がこよなく愛しているアロマのパイプから香る、自身にもすっかり染み付いて抜けなくなったラベンダーの香りを、くんかくんか、犬のように嗅ぎながら、九龍は、曰く『仮説』を語り出す。

「……賭け? そんなに漠然とした話なのか?」

「あー、そういうんじゃなくって、外したら、却って遠回りになるって意味で。でも、俺達には、今の処は『農協』も知らない、けど俺達は知ってるってネタがあるから、それを生かしてみたいんだよね。どうしたって、農協は出し抜かないとならないし」

「だから、『ここ』のことを農協と呼ぶなと何度言えば判るんだ、お前は。お前にとっては単なる悪口だろうが、誰かに聞かれたら……、って、まあ、今はいいか。隠語になるから。それよりも、九ちゃん。今の処は俺達だけが掴んでるネタって、まさか」

「多分、そのまさか。兄さん二人は、素性も『力』も農協にもバレバレだけど、『ご隠居達』のことは、未だ何処にもバレてないっしょ? ご隠居達の『本当の素性』も、二人が教えてくれた『昔』の話も、知ってるのは、俺達と、兄さん達と、犬神先生の五人だけ。……あ、崑崙の人達も知ってるかもだけど、仙人さんみたいな人達までカウントしても仕方無いから、そこはノーカウントで。……生かさない手はないじゃん」

「……お前のその主張が、理解出来ない訳じゃない。賛同してやれなくもない。が、俺達だけが知ってるその辺の話の、何をどう生かすつもりだ? 下手に突くと、とんでもないことになるぞ?」

始まった仮説説明の前置きに、幕末生まれの幕末育ちで、当時の陰陽の戦いを制し世界を救った、なのに現代社会を逞しく生き抜きつつ、現在はカイロからは遠く離れた祖国日本にて、ひたすらマイペースに暮らしている二人の『ご隠居さん』達──緋勇龍斗と蓬莱寺京梧──と、彼等の子孫で、当代の『黄龍の器』であり当代の『剣聖』であり、二十世紀末に起こった陰陽の戦いを制し、先祖同様、見事世界を救ってみせた、九龍と甲太郎の兄さん──緋勇龍麻と蓬莱寺京一──の話を持ち出され、甲太郎は若干眉を顰めた。

……九龍は、誰の目にも明らかな程、それこそ全方向フルオープンで、ご隠居達と兄さん達に懐いて止まない。

懐いて止まないと言うよりは、既に、彼の中でその四名は、血が繋がっていないだけの家族同然で、彼は、無意識に、そして無条件に、何処となく彼等に甘えている節がある。

骨の髄から捻くれ者の甲太郎とて、内心で秘かに、九龍と似たり寄ったりの想いをご隠居達と兄さん達へ傾けていたりするのだが、彼は、その辺りのことに関しても九龍よりは若干冷静なので、ご隠居達に絡む話を下手に突っ付くと、腕っ節に掛けては殆どチートの域に達している強さを誇る隠居達と、その子孫達に、トラウマになるだろう制裁を食らい兼ねない、と咄嗟に考えての表情だったが。

「大丈夫だって。別に、ご隠居達の素性云々に関わる話じゃないから」

気にすることないよ、と九龍は、へらっと笑った。

「現実が、お前曰くの『大丈夫!』を、何度裏切ったか数えてやろうか?」

「むう。信用ないなー。ほんとだってば! 兎に角、順を追って話すから、一先ず黙って聞くように。──今んトコ、あの秘宝を探す手掛かりに成り得そうな物は、アレを拵えた、馬鹿野郎共な天御子の痕跡くらいっしょ? でも、天御子の痕跡そのものも、先ず滅多に見付からない。甲ちゃんは未だに拒否反応見せる、『天御子はエイリアンだった!』説を採用して、それっぽい伝承や逸話と、超古代文明の手掛かりが同時存在してる場所とかを虱潰しに当たってってもいいけど、それじゃあ余りにも効率悪過ぎるし、時間も手間も掛かるから。ブツへのアプローチは、或る程度方向性付けた方がいいと思うんだ」

「それは、その通りだろうな。天御子エイリアン説は兎も角」

「だしょ? で、その手始めとしては、やっぱり、龍脈関係辿るのが正解なんじゃないかと。天香遺跡でのことを参考にすると、どうしたって、あの連中は、龍脈の使い方を或る程度は判ってた筈だって答えに辿り着くし。……と、まあ、そーゆー訳で、考えた訳ですよ、俺は」

「考えた、な……。相変わらず、お前の知恵は足りないがな」

えへら、と笑いながら話し続ける九龍に、その笑みを引っ込めさせるようなことを甲太郎は呟く。

「……何時も何時も、浅知恵で悪かったな…………。一先ず黙って聞けっつったのに、甲ちゃんは……。ま、そんなことじゃめげないけど。──んで、その辺の話なんだけど。天香にいた頃に、連中が、あそこにあの場所を拵えたのは、龍脈を利用する為って理由もあった、って話が何度か出たっしょ? ……連中は、あそこに龍脈が流れてることを知ってた。だったら、あの辺りに流れてる龍脈は、日本最大の龍脈ってことも、知ってたとしても不思議じゃないよね?」

「…………可能性は、低くないだろうな」

「だしょ? ここから先は推測でしかないけど、だから、連中は、ご隠居達の『昔』の話に出て来る、『メルヘンの世界の人』が延々眠ってた、例の、新宿から富士山までも続いてる地下の不可思議な道のことだって、知ってたかも知れない。富士の周辺には、連中が渇望した不老不死に関する伝承も沢山残ってる。連中の痕跡とか手掛かりとかが、あったって変じゃない。……農協は、真神学園と以前の天龍院高校の真下に『龍命の塔』が隠されてるってことまでは掴んでても、富士に至る道のことまでは把握してないと思うんだ。幕末時の陰陽の戦いの話が正確には伝承されてないってことと、真神は犬神先生が、天龍院は今ではご隠居達が護ってるってこと考えれば、俺達より先に、俺達と同じ目的で、誰かがあそこを荒らしてる確率は低い筈。ってことは、未だ誰も知らない、天御子絡みの何かが、あの地下道には眠ってるかも知れない」

遠慮のない突っ込みをされ、むぅむぅ言いつつも、九龍は仮説披露を続けた。

「…………確かに。だが、九ちゃん。あの地下道のことに触れると、きっと、隠居共が目くじらを立てるぞ。お前の言う通り、あの二人の素性云々『には』絡む話じゃないから、最悪でも、少々の制裁を食らう程度で済むだろうが、少なくとも協力は得られない筈だ。ってことは、以前、隠居共や京一さん達に教えて貰った以上の話を、隠居達からは引き出せないことになる。第一、隠居共だって、もう、俺達が知ってる以上の何かを隠してるとは思えない」

「まーねー。兄さん達の事情も過去も、ご隠居達の事情も過去も、俺達、嫌って程詳細に知ってるしね」

「でも。今さっきお前が言ったように、真神の地下は、犬神ってあいつが護ってるし、地下道へ続く穴は、隠居の片割れが封じたろう? 天龍院の方は、それこそ隠居達自身が護ってるから、潜り込みようがない。けれど俺達は、あの道の、富士側の『口』の場所を知らない。隠居共だって知らない筈だ。あそこを辿っていたら、唐突に、富士の五合目辺りに出た、って、『昔話』をしてくれた時に言ってたからな。…………どうやって、地下道に潜るつもりだ?」

一先ずは黙って話を、との九龍のお達しを、綺麗さっぱり無視して相槌や突っ込みを入れていた甲太郎は、そこで、現実的な問題を提示し、

「それを、今から調べるんだよ、甲ちゃん」

彼の疑問に、それは、これから何とかすること、と九龍は無駄に威張りながら、明らかに何かを期待している、キラキラした眼差しを傍らの彼に注いだ。

「……………………隠居共の、あの、馬鹿程長かった『昔話』から、地下道の富士側の出口若しくは入り口を探す手掛かりになりそうなことを、リストアップすりゃいいんだろ……」

煌めく眼差しの意味する処を、瞬時に正確に悟って、甲太郎は、アロマパイプを指に挟んでいる方の手で、はあ……、と溜息付き付き、額を押さえる。

「うん! 期待してるぞ、甲ちゃん! 甲ちゃんと、甲ちゃんの『抜群過ぎる記憶力』に、俺は猛烈期待してる! 宜しくぅっ」

「ったく……。あの話の、何処から掘り返せばいいってんだよ。真剣に、馬鹿程長かったんだぞ……。……ああ、でも、隠居共も、あの地下道の存在を、円空って高野山の坊主に教えられたのは、柳生崇高を倒す為に富士に向かう直前だったと言ってたから……──

渋々、本当に嫌そうに、愚痴と悪態を零しつつも、甲太郎は、迸る九龍の期待に応えるべく、以前、酒宴の肴代わりに隠居達が語ってくれた幕末時の陰陽の戦いの話を記憶の中のみで辿り始め、九龍が手慰みに弄り倒していた『H.A.N.T』を取り上げると、ご所望の手掛かりを片っ端から入力していった。

彼がピックアップしていくそれを元に、九龍は、無茶苦茶広い図書館の本棚と本棚の間を飛び回って、参考になりそうな資料を掻き集めて。

「こんなもんかなー……」

「そうだったとしても、そうじゃなかったとしても、俺は寝る……。何が何でも寝る…………」

下調べに二人が一区切りを付けたのは、夜明けは疾っくに過ぎた、翌日の午前中だった。