新宿駅から都営バスに乗った二人が目指した先は、同じく新宿区内の、天香学園高等学校だった。
最寄りのバス停で降りて、そこからは徒歩で向かった、卒業以来初めて訪れた彼等の母校は、八月上旬の夏休み真っ直中にある全寮制高校であるのを光景そのもので語っている風に、酷く閑散としていた。
生徒は殆ど帰省しているのだろう、校庭やプールや体育館その他で部活動に勤しんでいる者の姿も見えず、学園内は本当にひっそりしていたけれど、あの頃のような──閉ざされ、黄昏の中に佇む、刻さえも移ろうのを止めてしまったかのような場所だった頃とは違い、何処か明るく、今は帰省している生徒達を待ち侘びているかのようでもあって。
「…………随分、変わったね」
「……そうだな。だが、ここを、こんな風に変えたのは──変えてくれたのは、お前だ」
相変わらず存在はしている正門入り口脇の警備員室の受付で、彼等が学生だった頃とは比べ物にならぬ程簡素になった手続きを済ませた二人は、学内のあちこちに目をやりながら、阿門帝等の邸宅へ向かった。
────あの頃は《生徒会長》だった、今では二人共にの友人である阿門は、学園を卒業した後、正式に天香学園の理事長になった。
常識的に考えて、余りにも異例な年齢での理事長就任だったので、当時は一寸した話題になったらしいが、学園の理事長は、創立者の阿門一族が代々務めてきたのは周知だったし、取り立てて、口差がない世間の注目を集めるような出来事も起こらなかったから、何時しか、新宿の片隅にひっそりと存在する私立高校の、若過ぎる理事長の噂は下火になり。
現在の阿門は、外野の騒音に悩まされることなく、淡々と仕事をこなし、学園を守り続けているようで。
「こんにちはー!」
帝等達に会うのは、ほんと、久し振りだなー。理事長さんになった後の噂は色々聞いてるけど、きっと相変わらずなんだろうなー、表情一つ変えないで、黙々と仕事してそうだなー、と、うきうき想像しながら九龍は、邸宅前の車寄せから続く数段の階段を昇った先にある、立派で重厚な玄関脇のインターフォンを、ガンガンに鳴らした。
「そこまで鳴らされずとも、大丈夫でございますよ。──お久し振りでございます、お二人共」
小学生じゃあるまいし、と甲太郎に引っ叩かれたくらい、彼が盛大に鳴らしまくったインターフォンに応えて玄関先に現れたのは、二年半前と顔の皺の数一つすら変わっていない風情の、阿門家執事の千貫厳十朗で、
「お久し振りです、千貫さん! お変わりありません?」
「ええ。お陰様で。お二人も、お変わりないご様子で宜しゅうございました。……さ、どうぞ。坊ちゃまがお待ちでございます」
懐かしい顔に破顔した九龍に千貫も笑み返し、奥へと彼等を案内した。
「帝等ー! 久し振りー! 咲重ちゃんも充も! 久し振り! うっわー、本物だぁぁぁ」
「……予想通り、相変わらずだな」
先に立った執事殿に連れて行かれたのは、冬には薪が焼べられる本物の暖炉のある応接室で、室内にいた家主の阿門と、元《生徒会役員》の双樹咲重と神鳳充へ、九龍は溢れ過ぎる親愛をぶつけ、甲太郎は、「この面子か……」と嫌そうに顔を顰めてみせる。
「貴方こそ、相変わらずね、皆守。失礼しちゃうわ。尤も、貴方に九龍みたいに振る舞われても、気持ち悪いだけだけど。──久し振りね、九龍。元気にしてた? あの頃よりも、精悍な感じになったんじゃないかしらって想像してたのだけど……、案外、そうでもないわね?」
「まあ、甲ちゃんが俺みたいなノリ見せたら、確かに怖いかもね。……って、咲重ちゃーん。これでも、少しは逞しくなったつもりなんですけどもー? あー、でも、ここの処、延々、地面の下の遺跡ばっかり相手にしてたから、あんまし日焼けもしてないしなあ……」
久し振りに姿を見せた、若き宝探し屋に真っ先に声掛けたのは咲重で、肌の露出が少々過剰なワンピースを着込み、優雅に二人掛けのソファに座り続ける、己には微笑みを投げ掛け、甲太郎には嫌味をぶつけた彼女に、九龍は微苦笑を返した。
「本当に、龍さんは、あの頃と変わらずにいてくれて、何となく安心しますよ。……ああ、勿論、皆守君も。でも、君は少しばかり覇気が生まれたような感じがしますね。いいことではあるんでしょうけど、覇気のある皆守君と言うのも、こう……何と言うか……」
「あっはははは! 確かに、一寸は積極的になったけど、甲ちゃんは昔通り、怠々な所は怠々なままだよ。それと同じで、充も変わらないなー!」
「九ちゃん……。神鳳……。お前達、それくらいにしとけ……?」
至極滑らかに口先を動かす咲重と九龍の会話に、咲重の隣に腰掛けていた、真夏なのに長袖のシャツを纏っている神鳳も混ざって、彼の言い種に九龍は高く笑い、甲太郎は苦い顔をし、
「……何はともあれ、元気そうで良かった」
直後、やっと、最も暖炉に近い場所に置かれた一人掛けのソファに深く身を沈めた、昔通り黒尽くめの阿門が、重々しく口を開いた。
「……うん。帝等も」
「お前もな」
三名が座す応接セットの傍らに突っ立ったまま、彼等と会話していた九龍と甲太郎は、咲重や神鳳と語らっていた時よりも若干感慨深げな声で応えつつ、彼を見下ろした。
そうこうしている内、千貫が二人の為のコーヒーを運んで来てくれたので、遠慮なくそれに手を出した二人と、彼等の来訪を待ち侘びていた三人は、改めて積もる話に興じた。
神鳳が、現在は医学部の学生だとか、咲重は、香水調合師になる為の学校に通っているだとか、今はこの場にいない夷澤凍也も大学生になったとか、主に仲間達の近況で盛り上がっていたら、八月の何日の何時くらいに阿門の家にお邪魔するからー、と九龍が片っ端から声を掛けた仲間達も徐々に集まり始めて、何時かの甲太郎の科白ではないが、阿門家の応接間は、同級会さながらの様相を呈した。
例えば、音大生になって、その後スイスに留学した取手鎌治や、故郷のエジプトに戻ったトト、天香卒業後、一年程してからロゼッタのハンターになった夕薙大和、兄の背を追い掛けるように自衛隊に入隊した墨木砲介、と言った面々は、残念ながら、その日、その場に集まることが出来なかったけれど、八千穂明日香や、白岐幽花や、朱堂茂美達は、嬉しさと懐かしさを隠すことなくやって来た。
彼等とて、大学のサークルの夏合宿とか、山積みの課題とか、資格試験の勉強等々で忙しい身だったが、久し振りに皆で会いたい一心で。
故に、長らく、阿門家の応接間は賑やかさを保ち続けていたが、夜が更け始めた頃、名残惜しそうに、一人、二人、と帰宅し始め。
やがて、部屋には、数日間阿門の家に厄介になることになっている九龍や甲太郎、主人の阿門、咲重、神鳳、それに、肥後大蔵、真里野剣介、七瀬月魅の八名が残った。
……今宵はその場にいるのが当然の九龍達と阿門、そう遠くない未来に阿門と結婚するかも、との噂のある咲重以外の四名が居残ったのには、理由がある。
神鳳と肥後と月魅は、「学校とか、色々で忙しいのは重々承知してるけど、どうしても手伝って欲しいことがあるんだ!」と、事前に九龍に拝み倒されたからで、真理野は、そんな成り行きを耳にし、想いを寄せ続けている月魅をきっちり自宅まで送り届ける為に、だった。
「さて、と。御免なー、皆。予定とかもあるのに、無理なお願いしちゃって。我が儘言ってるのは判ってるんだけど、協力して欲しくってさー」
──そんな面子を前にして。
顔の前で拝む風に両手を合わせた九龍は、てへ、と笑いながら、彼的には『本日のメインイベント』に繋がる話を始めた。