時計の針が、午後四時少し過ぎを指した頃、道場を辞した紫暮と壬生は、新宿駅に続く道を辿っていた。

「疾しいことは何もなくとも、腹の探り合いのような真似は、どうにも俺の性に合わん」

「でしょうね。紫暮さんの性分は、僕にも判ってるつもりですけど。今回は、事情が事情ですから」

「そ、そうだな……」

「でも、これで。少なくとも、『噂の宝探し屋』達が日本に舞い戻ってることは、紫暮さん自身に確かめて貰えましたよね。如月さんも、龍麻達と同じこと言ってましたし」

「それは、まあ……。……だが、壬生。龍麻達と如月が口裏を合わせてると言うことも……」

「絶対にない、とは言えませんけど。如月さんは、余程の事情がない限り、そんなことはしないと思いますよ。商売第一の人ですから。僕の所とも、ロゼッタとも商売上の付き合いがあるのに、何方か片方の肩だけを持つなんて、あの人はしないんじゃないかな。多分、ですけどね。……それに。如月さんが、商売上の信念に目を瞑らなくちゃならないくらいの『事』は、東京の護りとか、黄龍の諸々とか、そういった感じの大事の筈でしょう? そんなことが既に起きてたら、今頃、僕達の耳にも入ってると思いませんか?」

「ふむ……。それもそうだな。口裏を合わせると言うことは、何故、そうしなくてはならないかの事情を知っていると言うことだからな。ロゼッタ側の事情だけに肩入れする必要もない、か」

「……多分」

────少しばかり緩慢な速度で歩道を行く二人の会話は、そんな風なものだった。

午前中、龍麻に掛けた電話で壬生が語った、紫暮に龍斗を紹介して欲しい、との話は決して嘘ではなく、少なくとも紫暮が西新宿の道場まで足を運んだ理由の八割は、龍斗に手合わせを乞う為だったが。

残り二割の理由は違った。

壬生とて、龍斗の技に興味があったのは本当だが、彼にとって、それは、道場を訪ねた理由の五割にも満たなかった。

……壬生と、壬生に連れられた紫暮が、龍麻達の許を訪ねた真実の理由は、『昨今、名前が売れ始めたロゼッタ協会の宝探し屋とそのバディ』の動向を探る為だった。

より厳密には、現在、九龍達が日本にいるのは事実であるのを紫暮に納得させる為に、壬生が企てたこと、と表現すべきかも知れない。

では、何故、わざわざ、壬生がそんなことをしたのかと言うと。

────魔女狩りが盛んだった中世の頃ならいざ知らず、現代では、余り科学との折り合いの良くないヴァチカンも、ヴァチカン直属の退魔師集団であるM+M機関も、当たり前のように、科学が齎す最先端技術と手を取り合う。

例えば、彼等と反りの合わない、若しくは彼等の『仕事』を増やしてくれる、ロゼッタ協会や、テロリスト集団として悪名高い、《秘宝》を手に入れる為なら手段を問わないレリックドーンのような組織や、それ等の組織に属していると明らかになっている者達の調査や監視をする際などに。

…………なので。

今はもう封印されてしまった天香遺跡にての『武勇伝』を持つ、『昨今、名前が売れ始めたロゼッタ協会の宝探し屋とそのバディ』にも、ヴァチカンの皆様は、きっちり目を光らせており、最先端技術とやらを駆使して彼等が張り巡らせた網の目に、九龍達は、物の見事に引っ掛かったのだ。

……九龍達は、自身等の行動をロゼッタに悟られぬようにと、今回は、『ロゼッタ協会所属のトレジャーハンター』と言う括りの外で動いた。

『ロゼッタ協会所属の』と言う括りの外──即ち、協会員だからこそ利用出来る情報や『力』を使わずに活動すると言うことは、様々な意味での『ロゼッタの保護』も受けられぬと言うことで。

彼等なりに細心の注意を払ったから、確かに今の処、ロゼッタの目は誤摩化せているようだけれど、代わりに、某国が所有していると噂の、如何なる通信機器からも任意の情報を拾えると言うシステムと、同じ理屈の通信傍受シギントシステムを持つM+M機関のそれが、『ロゼッタの保護』と言う盾から出た九龍達が、何を調べているのかを探り当てた。

某国が、公式には頑として存在を認めない、脅威のシギントシステムと似たり寄ったりのシステムを弾き返せるような器具も方法も、九龍や甲太郎には所持し得ないし、第一、彼等は、そこまでして自分達の動向を見張る者が、ロゼッタ以外に存在しているなどと想像したこともなく、又、自分達が、そうされても致し方ない対象であると言う自覚もないので、彼等が何を調べようとしているかを拾い上げることなど、ヴァチカン所有の脅威のシステムには朝飯前だった。

…………要するに。

その目的までをも探り出すことは、流石に、脅威のシステムにも不可能だったが、彼等が、日本の富士山周辺のことや、あの辺りの不可思議な逸話や、陸上自衛隊の駐屯地に関する調査をしていたのは、M+M機関──壬生達には駄々漏れだったのだ。

まるで、破裂した水道管から噴き出す水の如く。

────と、言う訳で。

やはり、宝探し屋達の目的そのものは兎も角、彼等が探索を掛けようとしている場所を絞り込み、そこが、機関指定の『最重要霊的警戒地域』であるのを確認したM+M機関本部は、「彼等の探索を阻止し、必要とあらば、彼等が探し求めているモノ、若しくは場所を封印せよ」と、壬生『達』に、この事案に当たるようにと白羽の矢を立てた。

この、人選の理由は単純明快。

九龍達と面識があり、この数年、何かと彼等とつるんでいる様子の龍麻達とも繋がりがあるから。

そして、ヴァチカンの皆様の思惑に紫暮が巻き込まれることになったのは、彼が、龍麻達や壬生の友人で、『あの戦い』の仲間の一人で、陸上自衛官だったからだ。

────M+M機関もロゼッタ協会も、その他の似たような組織も、どういう訳か、龍麻達や九龍達に関わることは、『黄龍の器』な彼を中心とする『友人及び仲間及び親族・その他コネクション』の一部なりとも刺激してやれば、何となく何とかなるっぽい、と本気で思っているらしく。

この事案に当たるとになった壬生達に、M+M機関本部は、ダイレクトに紫暮の名前を出して、協力を求めるように強制してきた。

そんな『上』からのお達しを、壬生は始めの内、部外者にM+M機関の存在や活動内容を安易に打ち明ける訳にはいかない、と言う風な正論で以て退けようとした。

紫暮に限らず、今でも付き合いの続いている『あの頃』の仲間達は、全員、M+Mのような機関や組織には氏素性が掴まれている。

だから、『上』の言うことを大人しく聞いて、今回のことに紫暮を巻き込んでしまったら、彼は、今まで以上に何やらを機関に握られてしまうかも知れない、と思って、壬生は壬生なりに踏ん張ったのだけれども。

非常に間の悪いことに、先年、士官候補生から、三等陸尉──即ち、階級は下だけれども立派な士官に昇進した現在の紫暮は、陸上自衛隊富士学校の生徒でもあった。

自衛隊富士駐屯地の中にある、士官やレンジャー部隊の隊員の為の学校の。

その所為で、ヴァチカンの皆様は、紫暮を情報提供者として利用するのが手っ取り早い、との考えを覆してくれず、『上』のそんな意思に、壬生も逆らい切れなくなってしまって。

結局、紫暮を巻き込まざるを得なくなってしまった腹いせ代わりに、壬生は、洗いざらい、裏の事情から何から何まで一切合切を紫暮に打ち明け、そういう訳なので……、と頭を下げつつ協力を求めた。

何一つ隠すことなく、綺麗に壬生が打ち明けたので、話を持ち掛けられた紫暮は、「そんな事情だと言うなら、手を貸してもいいが」と言いつつも、条件を出した。

本当に、M+M機関が考えている通り、噂の宝探し屋達が、駐屯地や演習場に潜り込んで何やらをしようとしていると言う、証拠のようなモノを見せてくれないか、と。

壬生のことを疑った訳ではないし、紫暮が彼を疑うことなど有り得ないが、M+M機関の資料が捏造でない証拠を紫暮は持っていなかったし、自衛隊の敷地内に不法侵入の手引きをするのは、彼にとっては、それなりに覚悟が要ることだったので。

故に、壬生は、『上』が廻してきた資料の全てのコピーを、後日完全に破棄するのを条件に紫暮に渡して、駄目押しに、調査結果通り、九龍達が日本にいると言う証言を龍麻達から得るべく、その日、紫暮を伴い西新宿の道場に赴き。

「本当に、紫暮さんを巻き込むつもりなんか、僕にはなかったんですけどね。何でこんなことに……」

────もう一つ二つ角を曲がれば、新宿駅の西口が見えてくると言う頃、遣る瀬無い溜息を吐いて、壬生は少しばかり肩を落とした。

「宮仕えは辛いものだからな。余りに気にするな。俺では、敷地内に潜り込む手伝い程度しかしてやれない代わりに、それくらいのことなら、何とでも言い訳出来る」

至極珍しいことに、ぶちぶちと、小声で以て『上』に対する文句と愚痴を零す彼の背中を、紫暮は、励ますように、ポン、と一度だけ叩いた。