又、近い内に、と言い残して帰って行った紫暮と壬生の二人を見送り終えても、道場の玄関に佇んだまま、彼等の気配と氣が完全に消えるまでを待って、

「紫暮って、嘘が吐けないよねー」

「まー、目黒のタイショーは、あの性格だかんなー。そういう処、醍醐とよく似てるしよ」

格子戸や柱に背を預けつつ三和土に立ち続けながら、龍麻と京一は言い合った。

午後早くにやって来た彼等の訪問理由を、始めの内は、京一も龍麻も言葉通りに受け取っていたが、先程お開きになった茶の時間の終わり、壬生が九龍達の名前を出した辺りから、二人は内心で、「ん?」と思い始めていた。

九龍達が日本に帰っているのを壬生が気にした理由は、彼自身の申告通り、「仕事だから」で筋が通る話ではあったし、京一にしても龍麻にしても、友人達の弁すら疑って歩くような癖はないが。

放浪の旅を繰り返している間に自然と染み付いた、己達の身に何事かが降り掛かるかも知れない気配を嗅ぎ分ける、言わば本能のようなものが違和感を訴えたので、念の為、のつもりで、何気無さを装い、どうして九龍達のことを気にするのかを壬生に突っ込んだり、紫暮に、九龍達に会ってみないか、と持ち掛けてみたら、実直で嘘の吐けない紫暮が、見事にそれに引っ掛かり、あからさまに不審な態度を取ったので。

「……何が目的かな? 多分、壬生の仕事絡みだよね。壬生が言ってた言い訳は、嘘じゃないと思うんだ。ホントでもないだろうけど」

「だな。あいつ個人に、九龍達のことをどうこうする必要も理由もねえし、紫暮は、会ったことすらねえし」

これは、裏があること確定、と三和土に突っ立ったまま、去った二人の真実の訪問目的は何だったのか、龍麻と京一は考え始めた。

「だよねえ……。でも、今日、二人が来たのがM+Mの何かの所為だとして……、何で紫暮?」

「さあ……。目黒のタイショーは、お堅い陸上自衛官──。……って、あ! ひーちゃん、もしかして」

「うん、俺も思った。紫暮、去年だか今年だかから、富士駐屯地とか何とか言う所の、学校行ってなかった? 確か、富士学校って名前の。……九龍達が行こうとしてる所って、富士山の方だよね?」

「ってことは。どうしてなのかは判んねえけど、あいつ等がやろうとしてることに、M+Mが勘付いて、ってトコか」

「多分。そんな処なんじゃないかなあ。京一が、九龍達に会ってみないかー、って言った時、紫暮、動揺してたしね。そんなに間違った想像じゃないと思うよ。……ん? だとすると……、九龍達が探索掛ける場所は、駐屯地の中ってこと……?」

「そういうことなんじゃねえの? 駐屯地の中に、九龍達が目ェ付けた場所があって、壬生が、紫暮に協力してくれないかとか何とか持ち掛けた、とか」

「うわぁ……。ありそうな話だけど、陸上自衛隊の駐屯地……。俺達も、潜り込むんだよね、そこに……」

「何とかなんだろ。見付からなきゃいいんだしよ」

どうにも頭脳労働には向かない彼等だが、今回の『問題』は、二人でもそれなりには解ける問題だったので、何とか彼んとか、彼等は正解に近いものには辿り着いて、

「京一は気楽なこと言うけど、相手、自衛隊だよ? まかり間違って、自衛官の人達ぶっ飛ばすようなことになっちゃったら、大騒ぎ処の話じゃ済まないよ?」

「だから、バレなきゃいいんだっての。何とかなるって。何時ものことだろ?」

「それはそうだけど…………。ホントに、京一のその自信は、何処から来るんだか……」

陸上自衛隊の駐屯地に潜り込まなくてはならないかも知れない自分達の未来を龍麻が嘆き、その程度のことならどうってことないと、京一があっけらかんと言い放った時。

「龍麻? 京一? もう、あの二人は帰ったのだろう? 今日は、拳武館の生徒達の稽古もないから、早めに夕飯の支度をしてしまいたいのだ。手伝ってくれないか?」

トントン、と足音を立てながら、龍斗が階段を下りて来た。

「あ、はーい」

「応、今行くー」

掛かった声に、一瞬、ギクリとはしたが。

今、階段を下りて来たばかりの龍斗に、自分達の話が聞こえた筈も無いかと考え直して、二人は、何事もなかったように返事をした。

それより、約一時間半程のちのこと。

その日の宵の口が終わり掛け、西新宿の道場の二階では、夕餉の真っ盛りだった頃。

紫暮と別れた壬生は、新宿駅東口近くにある小さな喫茶店に入った。

少々視線を巡らせるだけで、客席の全てが見渡せてしまう店内の、一番奥の四人掛けの席を陣取っていた人物達に目を留めた彼は、軽く会釈をしながら近付く。

「お待たせしましたか?」

「いや、そんなことはない」

『人物達』と待ち合わせていたらしい彼は、再度、会釈しながら空いていた席に座り、『人物達』の一人──彼の『同僚』の退魔師である劉瑞麗は、大して待ってはいないと、微かに首を振った。

「久し振り、劉。鴉室さんも、お久し振りです」

「よーぉ。元気にしてたかい?」

「……わいは、こういう席では会いとうなかったなあ……」

やって来たウェイターに尋ねられるより先にコーヒーを注文し、『人物達』の残り二名──やはり『同僚』の鴉室洋介と、自分達の仲間であり友であり、龍麻の義弟で瑞麗の実弟の劉弦月へも彼が声を掛ければ、鴉室は、片手をヒラヒラさせつつ至極軽い調子で応え、劉は、俯かせていた酷く暗い面を持ち上げた。

「……? 劉?」

「弦月。何で、何時までも、そんな落ち込んだような顔をしている?」

「…………瑞麗姉……。瑞麗姉が──

──私が、何だ?」

「………………………………その……、あー……、わいは、『そっち』の仕事とは何の関わりもないのに、何で、ここにおるんかなー、て……」

「事情は説明したろう。急なことで、どうしても手が足りないからと」

「それは何遍も聞いたけど、せやかて……。九龍達絡みのことで、選りに選って『そっち』に手ぇ貸したんが知れたら、アニキ達に会わす顔ないやん……。一昨日やったか、瑞麗姉がアニキの為に拵えとる例の符の新しい奴、受け取り来たアニキと京はんに会うた時かて、わい、真っ当に二人の目ぇ見れへんかったのに……」

「余分なことは言わなければいいだけの話だろう。私とて、龍や緋勇達といがみ合いたい訳じゃない。仕事だ」

余りにも劉の顔色が悪かったので、具合でも悪いのかと問おうとした壬生よりも先に、瑞麗が口を開いた所為で、本当に若干だけ穏やかでない姉弟の会話が始まったけれど、年上の女性を苦手とするようになってしまったくらい、幼い頃から姉が怖くて仕方無くて、頭も上がらなければ早々口答えも出来ない劉の文句は、最初から最後まで、控え目且つ小声の域を出ず。

劉が、心底、自分に慄いているなどと想像もしたことのない瑞麗は、弟は、単に往生際の悪いことを言っているだけなのだろうと、彼のゴニョゴニョを、ばっさり切って捨ててしまった。

「どないしよ……。アニキも京はんも、あないに、九龍達のこと可愛がっとるっちゅうに……。九龍達かて、アニキの義弟なら自分達の兄貴みたいなもんやって、わいとも親しゅうしてくれとんのに。何で、わいが、M+Mの仕事の手伝い……。あー、もー…………」

「まーまー。気楽に行こうぜ、気楽に。案ずるより産むが易しって奴だ、弟君!」

だから劉は、益々の小声でブツブツと、瑞麗には聞こえぬように愚痴を零して、溜息付き付き、再度俯いてしまった彼へと腕を伸ばした鴉室は、バシバシ、肩を叩いた。

「……馴れ馴れしい」

と、へらへらーっとしたノリと口調と態度で劉を励ました鴉室の手の甲に、瑞麗が煙管を振り下ろし、

「痛ってーーーーーっ!!」

「……………………ええと。報告、始めますよ。明日の午後には現地に到着していないと拙いんですから、ちゃんと真面目に聞いて下さい、鴉室さん」

「俺かよ! それを言われなきゃならないのは俺なのか!?」

ビシリと、雁首に音立てて打たれた手を押さえて悶える鴉室を、チロリ、横目で眺めながら、何も見ず、何も聞かなかったことにして、とっとと話を終わらせようと心に誓った壬生は、ぎゃんぎゃんとうるさい鴉室にだけ嗜めをくれ、淡々と報告を始めた。