同日、夜。
子孫達が自分達の部屋に引っ込んだ後、風呂を使い、戸締まりも終えた京梧と龍斗も、自身達の寝室に戻った。
「龍麻にしても京一にしても。時折、氣や気配の読める者が陥る落とし穴に嵌るな」
「ヒヨッコ共だからな。氣や気配が感じられねぇからって、誰も傍にいないと思うなんざ、修行が足りてねぇ証拠だ」
龍麻達や九龍達が使っている部屋は、鍵付きの引き戸以外は一応洋間の造りだけれども、彼等はやはり、昔ながらの生活様式の方が過ごし易いようで。
床の間に置かれた漆仕上げの黒檀螺鈿入二本刀掛け台と、箪笥と、枕元用の小さな行灯風の照明と、小振りの文机だけが置かれている和室に床を整えながら、龍斗と京梧は、昼間の子孫達の有様を語りつつ苦笑を浮かべた。
「で? 何つってた? 餓鬼共は」
「霜葉の子孫と、紫暮と言う彼が訪ねて来た理由は、『えむつー』とか言う……、ほら、伴天連の何やらの関係で、九龍達が隠れてしようとしていることを嗅ぎ付けたんだろうとか、自分達もそこへ行かなくては、とか。確か……自衛隊と言っただろうか? 今の軍が富士の辺りに持っている屯所だかに、潜り込むの込まないの、と。……すまない、私には聞き慣れない言葉ばかりだったものだから、上手く伝えられぬのだが……」
「……あーー…………、ま、大体の処は判るから、気にすんな。要するに、あれだろ。大方、俺達の睨んだ通りだったってことだろ」
「ああ。恐らく、そういうことだと思う」
その、苦い笑いを湛えたまま、二人は、何処となく呆れたように語り合いを続ける。
────九龍が指摘した通り、京一に秘かな憧れを抱いている、或る意味剛の者な甲太郎が、憧れの相手には上手く隠し事が出来ぬのに似て、京一も、この世で唯一頭の上がらぬ京梧には、上手く隠し事が出来ない。
京一自身は、常に隠し遂せたつもりでいるが、曲がりなりにも彼の師匠である京梧には、『馬鹿弟子』の嘘を見抜くことなど非常に容易い。
固より彼等は、先祖と子孫と言う関係にあって、且つ、人となりも大層よく似ているから、京梧にしてみれば、京一の嘘や誤摩化しなど、箸にも棒にも掛からない代物でしかなく。
故に、居間で宴会をした夜、九龍達が何かを隠しているのに勘付いて、探りに行かせた京一が戻って来た時に告げたことは、嘘だ、と京梧はその場で見抜いていた。
九龍達の様子がおかしいことに、ちゃんと気付いていた龍斗も、京一の言い分は妙だ、と思っていて、だが、二人は敢えて問い質さず、一旦、知らん振りを決め込んだ。
酔っ払っていた龍麻は兎も角、散々口を滑らせた九龍と、それでも何とか誤摩化し切ろうとした甲太郎の足掻きを見ていれば、何か隠したいことがあるのだろうと思う方が当然で、更に、京一までが嘘を吐いたとなれば、若人達が隠そうとしていることは、京梧と龍斗に関わる事柄なのが明白で、だとするなら、導かれる答えは限られてくるから、ご隠居達は、若人達が『尻尾』を出すまで野放しにしていただけだった。
「馬鹿弟子と龍麻は、富士がどうとか言ってたんだったな。ってことは──」
「──ああ。皆がしようとしている、私達にはどうしても隠しておきたいらしい何かは、新宿から富士まで続く、あの路に関わることなのだろう」
「だろうな。話の具合から言って、九龍達と馬鹿弟子達が、結託して何かやらかす訳じゃねぇらしいが」
「まあ、何はともあれ。結託していようがいまいが、こそこそと隠し立てをするような子供達には、一度、きちんと言い聞かせた方が良い」
「……だな。一遍、きっちり懲らしめとくか」
………………そういう訳で。
龍斗が仕入れた京一と龍麻の話や、『子供達』の様子から、「大体、そんなようなことなんだろう」との当たりを付けた、端から彼等の悪巧みなどお見通しだったご隠居達は、こっそりこそこそ影で無駄に足掻いている『お子様達』に、身の程を思い知らせておくことを決め、
「そうと決まれば、早い方が良いのだろうな」
ならば、と、敷いたばかりの寝具を、龍斗は畳み始めた。
「……おい、ひーちゃん?」
一方、話は決まったのだから今夜はもう寝ようと、布団に潜り込み掛けていた京梧は、夏掛けを引っ剥がされて、眉を顰める。
「何がどうなっているのかの本当の処は判らぬが、成り行きから考えて、九龍達も未だ東京にいるのだろう。でも、彼等も、龍麻達も、明日にも富士へと発ってもおかしくなかろう? なら、私達も急いで富士に向かわなくては」
だが、龍斗は京梧の不興を撥ね除け、さっさと、寝具の全てを押し入れに片付けてしまった。
「はあ? お前、富士まで行く気か? 連中が未だ新宿にいるんなら、発つ前に捕まえて、ぶん殴った方が手っ取り早いだろうが」
「龍麻達はそれで良くとも、えむ何とかは、そういう訳にはいかない」
「だからって、ひーちゃん……。富士の裾野は広ぇぞ? 闇雲に行ってみたって埒が明く筈もねぇし、第一、こんな時間にどうやって──」
「──何を言っているのだ、京梧。子供達の行く先が、あの路の何処かだと言うなら、私達は、あの時のように、あの路を辿って富士の辺りまで行って、子供達を待っていれば良いだけのことだろうに」
「………………一寸待て。あの路の真神の方の入り口は、お前が疾っくに塞いじまったし、ここの真下の口だって、越して来た日に、わざわざ下まで潜って封じたろうが。お前自身で。そりゃ、どっちも塞いだのはお前だから、開くのは容易いだろうけどよ。ほいほい開いちまって構わねぇもんなのか? それに。今は昔と違って、半日もありゃ、富士だろうが上方だろうが着ける時代だぞ?」
もうそろそろ真夜中近いのに、今から支度を整え、しかも『あの路』を使って富士の裾野まで行くと言い出した龍斗に向け、畳の上で胡座を掻いた京梧は、思い切り顰めっ面をした。
「それくらい、もう私とてちゃんと判っている。だが、京梧。唯、富士まで行ってみても仕方無かろう? 私達とて、富士の何処にあの路の出入り口があるのか知らない。だったら、判っている口から入って路を辿った方が、余程手っ取り早い。封印のこととて気にせずとも良い。無闇に荒らされたり悪用されたりせぬように塞いであるだけなのだから」
「……。ほんっとに、お前のそういう処は無茶苦茶だな。まあ、お前がそれでいいってんなら俺は構わねぇが、あの路を使ったら、富士に着くまで二日近く掛かるんだぞ? どう算盤弾いたって、絶対に、俺達より餓鬼共の方が先に着くぞ?」
「ああ、そのことも、心配は要らない」
けれども。
ムスッとした顔の京梧に、ああだこうだ言い募られても、押し入れを背に立ったまま、龍斗は悉く言い返す。
「………………心配要らねぇって、何で」
「それは、後でちゃんと説明する。どうとでもなるし、迷うこともない筈だし、例え迷ったとしても、『皆』に訊けば方角くらいは教えてくれる。面倒を掛けることになるから、そういうことはしたくないのだけれど、事情が事情だから」
「何だよ、半分は、『皆』とやら頼みか? 精霊だか神仏だか物の怪だか知らねぇが、連中は、本当に頼りになんのか? 言われる通りに辿ってったら、単にお前と喋り倒したい奴等が待ってるだけだった、ってな、御免だぞ、俺は。お前が、家出た途端に迷子になりやがるのは、連中の所為でもあるだろうが」
「……そのような物言いをして、『皆』に罰を当てられても私は知らない。『皆』に行き先を尋ねるのは、もしも迷ったらの話で、必ずそうすると言っているのではなくて、兎に角──」
「──あー、判った判った。とんでもねぇ迷子癖のありやがる、お前が道案内ってな、どうにも不安だが、俺達に都合がいいように事が運ぶってなら、それでいい。何言った処で、お前の気が変わる訳じゃねぇしな」
その後も、京梧は粘り、ああだこうだを続けたが、こういう時ばかり口達者な龍斗が、絶対に意思を曲げぬ気配を滲ませたので。
降参、とでも言う風に溜息を一つ吐き、結局、折れた彼は、重かった腰を上げ、寝間着の腰帯を解いた。
翌朝、午前六時にセットした目覚まし時計の、けたたましい音に叩き起こされた京一と龍麻が、のそのそと居間へ向かった時、京梧と龍斗の姿は何処にもなく。
代わりに、龍斗の字で半紙に綴られた、急な仕事を引き受けることにしたので出掛けて来る、留守を頼む、との簡潔な内容の置き手紙のみが、卓袱台の上に残されていた。