一面岩だらけの、何処を見遣っても、どれだけ進んでも何ら代わり映えのしない、永遠の迷宮に迷い込んでしまったかのような錯覚を与えてくる景色だけが続く、遥かなる古より滔々と龍脈を流し続ける地下道の直中で、京梧と龍斗の二人は、彼等の体感にして一時間程前より、丁度いい具合の高さに張り出している岩に腰掛けていた。

「京梧。茶で良いか? それとも、水の方が良いか?」

「握り飯が塩っぺぇから、水だな」

棚のようなそこに並んで座る二人は、地下道に潜る直前、西新宿のコンビニエンスストアで調達してきた、食料の詰まったビニール袋を開きながらの食事を摂っており、

「今の世は、本当に便利だ。あの時は数日掛けて、この路を辿る為の支度をしたと言うのに、昼夜問わず開いている何でも屋に行けば、弁当とて手に入る」

「まあな。余程の山の中でもねぇ限り、何を調達するにも困らねぇからなあ」

「その分、昔は在ったモノが、今の世からは消えてしまっているけれども」

「……それも、時代って奴だな」

光源一つ見当たらぬのに、仄暗い、と言える程度には明るいそこで、まるで一寸したピクニックをしている風に、握り飯や調理パンに齧り付き、紙パック入りの飲み物に口を付けながら、彼等は、誠に年寄りじみた会話を交わす。

「そりゃそうと、ひーちゃん。本当に、この辺りで待ってりゃ何とかなんのか? ここじゃ、時間の流れってのは当てにならねぇが、腹具合の通りなら、潜ってから一日くらいしか経ってねぇぞ。未だ、富士山の近くにも着いてねぇんじゃねえか?」

「心配せずとも良い。大丈夫だとも、何とかなるとも言った筈だ。念の為に言うが、迷ってもいない」

「迷ってて堪るか。──お前が、そう言ってたのはちゃんと憶えてる。だが、理由わけは知らされてねぇ」

「……ああ、そう言えば、後で語ると言ったままだったな」

曰く、自身には塩っぱ過ぎるらしいコンビニのお握りを、それでもひょいひょい、京梧は口の中に放り込みながら、龍斗も、「味が濃い……」と呟きつつ調理パンを齧りながら腹拵えを続け、出立前から京梧が疑問に思っていたことの説明を、やっと、龍斗は語り始めた。

「道場に引っ越した日、この路に続く最奥を封印する為に洞に潜った時も、異形の相手をさせられたろう?」

「ああ。鈍り掛けてた体を解すにゃ丁度良かったが、結構な労働だったぜ。毎度のことだと諦めちゃいたがな」

「そうだな。それが、江戸の昔から変わらない、洞での約束事だ。この路に続く場所──道場の地下も真神の地下も、潜る度、異形が湧く。初めて此処に下りた時とて、そうだった。……だが、夕べは違ったろう? 異形は湧かなかった。彼等の相手をせずとも『底』に辿り着けた」

「…………ああ。……何でだ? どうしてそうなったんだ? この時代に辿り着いて直ぐ、お前を探そうと思って犬神の奴と真神の旧校舎から潜った時にも、異形共は顔を見せなかったが」

「犬神先生との時に異形が湧かなかったのは、恐らく、先生が真神の護人であり、且つ、人狼だからだろう。彼は、私達よりは、住む世界が異形に近しい」

「なら、今度のはどういう訳だ?」

「……………………多分、でしかないが。私が、そう望んだからだ」

パンを齧っては、どうして今様の食べ物は、こうも味付けが濃いのだろう……、とぼやきながらも語り続けていた龍斗は、少しばかり声のトーンを落とし、ぼそっと、そう言った。

「お前が、望んだから……?」

「そうだ。──柳生宗嵩を倒す為に富士へ向かおうと、お前達と共に此処へ潜った時。流れる龍脈の所為で、この世の理よりも切り離されたのだと円空様が仰っていた此処から私が感じたモノは、私の中に流れるナニカと同じモノだった。それを感じて私は、この場所は私にとても近しく、故に私は、ヒトと言うよりは、黄龍や龍脈に近い、ヒトに非ざるナニカなのだろう、と悟った。……悟らざるを得なかった、とも言うけれど」

「ひーちゃん……。──……そう、か。だから、あの時のお前は、泣きそうなツラしてやがったのか……」

「……ああ。そんなことを否応なく思い知らされるのは、あの時の私にとっては、とても悲しいことだった。だが、京梧。違う時代に行かされてしまったお前を追い掛けようと、再び此処に潜った時には、私が『そう』であることを、この場所が私にとても近しいことを、心底有り難いと思った。だからこそ、お前を追い掛けられるとも思った。私の中に流れるナニカにとても近しい龍脈の中で、生まれる前の赤子の如く眠れば、死ぬことなくお前の帰りを待ち続けられると、そう信じた。…………そして、信じた通り、それは叶った」

「………………なあ、ひーちゃん。……龍斗。お前が──

──京梧。何も言ってくれずとも良い。江戸の頃、お前や仲間達に隠し通した何も彼も、お前にも龍麻達にも打ち明けた今となっては、最早、私がヒトだろうとヒトでなかろうと、私にとってはどうでも良いことだ。否、どうでも良いことになった。私がナニモノであろうとも、お前も龍麻達も、変わらず私の傍にいてくれるから。……それに。私が『そう』であるお陰で、私達は今、『こうしていられる』」

常よりも若干低めた声音で、聞いていた京梧が掛ける言葉を選び倦ねるような話を、龍斗は訥々と続けたが、誰が気に病むことでもない、と笑って、

「うん? ……そいつは、どういう意味だ?」

「だから。私の中のナニカが、黄龍や龍脈に酷く近しい所為で、此処では、私の願うことは他の者よりも融通が利くらしいのだ。死ぬことなく、お前の帰りを待ち続けられる筈、との想いが叶ったように」

しれっとした顔付きになった彼は、『理由語り』を続けた。

「要するに……此処では、お前の思うことが叶い易い……ってことか?」

「ああ。証立てをすることは出来ぬから、多分、としか言えないが。何と言うか……この路の中で一三四年もの間眠り続けていたからか、『この場所』は、私が強く願うことを叶えようとしてくれる気がしてならない。無論、叶えられぬこともあるけれど、出来る限り私の意に添うように、『この場所』の理は働く。……恐らくは、『私』が、『この場所』にとても近しいモノだから。…………まあ、真の理由わけは、どうなのやら、とは思うけれども、あながち間違ってはいない筈だ」

「…………真の理由がどうであれ。実際、道場の『口』からここに下りるのに苦労しなかったのは確かだな。直ぐに迷子になりやがるお前が、一度も迷うような素振りを見せなかったのも」

「そうだな」

「……ここでこうしてりゃ、馬鹿弟子共を取っ捕まえられるって自信があるんだな?」

「ああ。『私が望んだから』、例え、此処に下りてから一日程度しか経っておらずとも、もう、富士は直ぐそこの筈だ。故に、ここで待っていれば、子供達がやって来るのが判る筈だ。私達が付けた見当通り、本当に龍麻達がやって来るならば」

「なら、訳判らねぇ理屈なんざ考えても仕方ねぇな。この話は仕舞いだ。お前が、自信があるとキッパリ言い切ったんだ、のんびり、飯の残りでも食いながら、餓鬼共がノコノコやって来るのを待ち構えててやりゃあいい」

────龍斗が語ったことは、『人の世』のみに生きている京梧には、俄には信じ難い話だったけれど、己のたった一人の伴侶が自信を持って言い切ったことを、彼が疑う筈は無く。ならば、龍斗が子供達の気配を感じ取るまでここに落ち着いていようと、京梧は岩棚に腰を据え直す。

「総菜も買ってくれば良かったろうか」

「かもな。米や麦のもんばかりじゃ、ちょいと侘しかったかもな」

「揚げ物は、くどいこともあるけれど、割合に味が良い物もあるし」

「そうか? 握り飯もそうだが、大抵は塩っぺぇぞ? ひーちゃんが作るもんの味に慣れちまってるから、俺は、余り好みじゃねぇな」

京梧が中を見もせず腕を突っ込んだ所為で、ガサリと音立てながら崩れそうになったコンビニの袋を支えつつ広げ、これだけでは足りなかったかも……、と眉を顰めた龍斗は、コンビニ総菜の味付けの評価を始め、が、彼の評価に京梧は反論し、

「………………京梧。子供達が来たらしい。少し離れた所にいる様子だけれども」

そんな風に、半ば惚気めいた会話を交わしながら食事を続けていた二人が、コンビニ袋の中の食料を平らげ切った頃、龍斗が、遠くから漂って来た子供達の氣と気配を拾った。

「やっと、飛んで火に入る夏の虫共のお出ましか。……んじゃ、ぶん殴りに行くとするか」

「勿論。その為に、わざわざ此処まで来たのだ」

思った通り、子供達がやって来たと、にっこり笑みつつ告げて来た龍斗に、京梧もニヤリと笑み返し、小さく丸めたゴミを仕舞ったコンビニ袋をぶら下げながら、二人は腰を上げた。