「京一にはああ言ったけど、自分でも不思議って言うか、不気味なんだよなあ……」

日常の中でも足音を立てずに歩く癖のある壬生の、立つ筈無い足音さえ聞こえるみたいな気がする……、と。

京一と分かれた場所にて佇んだまま、何でだろう……? と龍麻は首を傾げた。

──自身の言葉通り、彼は京一に嘘は告げなかったが、それなりに不安ではあった。

目覚めようとする兆候すら見せぬまま、黄龍の力が膨れ上がっている、と言うのは、気にせずにはいられぬことだったし、こうして何もせずに立ち尽くしているだけで、聞こえることなど有り得ぬ壬生の足音まで聞き分けられると感じられるのは、気持ちの悪いことだった。

「……うーーーん。これも無事だよなあ……」

だから彼は、ゴソゴソと服の裏側を探って、最近ではシャツ等に縫い付けるようにしている、瑞麗が拵えてくれる例の札の様子を確かめたが、札には何の変化もなく。

「判らないなあ……。何でこうなるんだろう? 『あれ』は起きて来ないみたいだから実害はないけど、こうなってる原因が龍斗さんにあるんじゃないかって感じる、本当の理由も判らないしなあ…………」

やがて彼は腕を組んで、うんうんと一人唸り始めた。

何かを深く考察すると言う行いは、決して己に向きではないと判っていても、頭を捻らずにはいられなかった。

────常よりも少々足早に、壬生がこちらへ向かって来ているのは手に取るように判って、どうやら横道に逸れたらしい京一が、壬生との擦れ違いを上手く果たした様子なのも感じられて、本当に不気味だ、と彼は、フルッと身を震わせたが。

「上手くいけば、京一は九龍達に追い付けるだろうし、俺も俺で……────

気持ち悪いし、不気味ではあるけれど、悪いことばかりではないと、呆気無く気分を塗り替えた龍麻は、此処に潜り込む前から身に着けていた手甲の紐を締め直してから、ぼんやりと姿が見え始めた壬生へと向き直って、

「やっほー、壬生」

能天気な笑顔を浮かべつつ、持ち上げた右手を彼へ向け、ヒラヒラっと振った。

「……やあ、龍麻。久し振りじゃないけど、随分と珍しい所で会うね」

路の向こうの闇の中から、姿の全てを現してより壬生は立ち止まり、龍麻を見遣りながら苦笑する。

「それは、お互い様なんじゃ? 俺は、こんな所で壬生と行き会うなんて思ってもいなかったしね」

「僕もだよ。君が、こんな所に来るなんて思ってもいなかった。…………京一は?」

「京一? ……俺は、一人だけど?」

「今、『ここ』には、ね。……確かに、今は君一人だけど、京一が、君だけを、こんな所に放り出す訳がないだろう? 彼は、君に関しては、過ぎる程に過保護なんだから」

「………………そうなんだよねー。やっぱり壬生も、京一は過保護だって思うだろう? あんなに大雑把な性格してるくせに、俺に関してだけは口うるさい兄さんみたいで、時々、ぶん殴りたくなるんだよねー」

「……龍麻。その手には乗れないよ。君と彼が一緒じゃないってことは、僕は君達に出し抜かれたってことなんだろう? 京一は今頃、一足先に葉佩君達の後を追い掛けてるんだろう? ……だから。悪いけど、君の時間稼ぎには付き合えない」

友人同士としての会話の中に、立場を違える者同士としてのやり取りを挟みつつ、数メートル程の距離を隔てて彼等は向き合い、

「そういう訳だから、龍麻。話は手短に済まそう。君達は、何をしに此処へ?」

壬生は、ほんの少しだけ、声音に乗る感情を抑えた。

「何、と言われても……。……えーーと、見学?」

けれども龍麻は、にこっと笑いながら、恍けた答えを返す。

「…………手短に、と言った筈なんだけどね。相変わらず、君は……。──此処が、どういう場所なのか、君達には判っている筈だ。判っていて、此処に潜り込んだ筈だ」

「……うん。そうかもね。で、だったら?」

「もしも。君達が此処に潜り込んだ理由が、葉佩君──ロゼッタ協会のハンター達と同じ目的なら。君には、黙って此処から引き返して欲しいと、そう頼みたいんだけどね。実情を打ち明けてしまえば、彼等が此処に来た目的を、僕は未だ知らないけど」

「…………悪いんだけどさ、壬生。M+M機関の退魔師としての壬生の言葉には、俺は頷けないよ。少なくとも、今は」

「龍──

──俺達が此処に来た目的が、九龍達と同じかどうかは兎も角。俺と京一には、何処かの組織とかと手を組むつもりなんか、これっぽっちもないんだ。何処とも、積極的に対立するつもりもないけど。大人しく言うことを聞く気もない。『ロゼッタ協会のハンター達』や、『M+M機関のエージェント達』の言い分に耳は貸せない。どんなに大事な相手でも、俺達の『立場』と、ロゼッタのハンターやM+Mのエージェントって『立場』は相容れないだろう? その部分に関してだけは、きっちり切り離した方が、お互いの為だしね。何処かに貸し借り作るのも御免なんだ」

「確かに、尤もな意見だね。僕もそう思うよ。こういう言い方は、君達の友人としてはしたくないけど、『黄龍の器』としての君や、『剣聖』としての京一と、M+Mのエージェントとしての僕は、絶対に馴れ合えないから」

普段通りの、仄かにおっとりとした笑みを見せながらも、『現実』を言い放つ龍麻に、壬生は、やはり『現実』と同意を返した。

「だろう? 壬生には壬生の、九龍達には九龍達の、立場があって。俺達には俺達の、立場があるから」

「そうだね。……君達にも、そういう自覚があるって判って、正直、一安心してるよ、僕は」

「……うわー、それは一寸、心外な発言。そりゃ、俺も京一も、その手のことには気が廻らない方だけど……。────って、ま、そんなこと、今はどうでもいいか。……と、言う訳で。そういう訳だからさ、壬生。エージェントとしての壬生の主張が、どうしてもこの先には行かせない、って奴なら、俺、ちょーーっと実力行使しなきゃいけなくなるんだけど。どうする?」

「実力行使、ね。……正直、冷や汗が流れるけど、止むを得ないと言うなら、実力行使を受けて立つだけさ。でも、龍麻? 君達が此処で何をするつもりなのか、それ次第で、M+Mのエージェントとしての僕も、目を瞑れるんだけど?」

「…………それは、内緒。話次第では目を瞑ってもいいって申し出は有り難いけど、理由は、一寸言えない」

だが、『そういう部分』に於ける自分達の現在の立場は、数多の場面で相容れない、と確かめつつも、壬生は、事情如何によっては譲歩も出来る、と水を向け、しかし、龍麻は、笑みだけを深めながら躱した。

────自分と京一が此処へとやって来た目的、それを壬生相手に打ち明けた処で、問題など何処にも生まれないことなど、龍麻とて判っている。

友人としての壬生が相手であろうと、M+M機関の退魔師としての壬生が相手であろうと。

己の身を用いての黄龍の封印がおかしくなってしまっているのは、疾っくに壬生を含めた仲間達全員にバレてしまっているのだから、それを正す為の手掛かりを探しに来たんだ、と言えば、どうしたって見逃せないことを仕出かさない限り、友は目を瞑ってくれるだろうこととて、彼には判っている。

…………そう、判ってはいる、が。

理由を打ち明けてしまったら、何故、この場所が、その為の手掛かりを得られる可能性を僅かでも秘めているかをも、白状しない訳にはいかなくなる。

『可能性の存在』を知った理由も。

この場所の秘密の情報源である、京梧と龍斗の出自に関わる秘密は何とか隠し遂せるとしても、黄龍の封印を正す為の手掛かりと、《九龍の秘宝》の手掛かりとが繋がっているかも知れぬことは、きっと、壬生達M+M機関の者には隠し通せないだろう。

嘘や言い訳を並べ立てたとて、様々なことを、様々に悟られるだろう。

……壬生に告げた通り、龍麻にも京一にも、『ロゼッタ協会のハンター』とも、『M+M機関のエージェント』とも、今の処は手を取り合うつもりも対立するつもりも更々ないが、実の弟達の如くな九龍と甲太郎が、ロゼッタにも秘密裏に、《九龍の秘宝》の残りを生涯懸けて探し出そうとしている事実を、『M+M機関のエージェント達』には知られたくない、と言うのが龍麻と京一の本音で。

大切な友人である壬生達に、《九龍の秘宝》を巡って『ロゼッタ協会のハンター達』と対立せざるを得ない状況を与えたくない、と言うのも、二人の本音だった。

…………ひと度、『秘密』が明らかになってしまったが最後、誰もが板挟みになってしまう。

自分達の大切な人達も、自分達も、全て。

────だから、龍麻は。

内緒、の一言に『秘密』を覆い隠して、今は、M+M機関のエージェントとしてだけ在る壬生と、『実力行使』で片を付ける道を、敢えて選んだ。