お前は本当にうるさい、何でそんなによく喋りやがる、もう少し真面目に仕事が出来ないのか、と事あるごとに甲太郎にド突かれ、いい加減にしてくれないか……、と時折阿門にうんざりされながらも、九龍は路を辿りつつ、ああでもないの、こうでもないのと、与太話ばかりを喋りまくっていた。
……けれども。
えへら、と浮かべた笑みの裏側で、その時の彼は、甚く真剣に頭を働かせていた。
二年半前、一度、この路に下りた経験が彼と甲太郎にはあるから、此処の『諸々』は弁えていたし、冷静さを保つことも出来てはいたけれど、やはり、行けども行けども変わることない、迷宮に迷い込んだとしか感じられなくなる風景と、体感も時計も裏切る、此処独特の時間の流れは焦りや不安を感じて余りあることだったし、本当に、進んでいる方角は正しいのか、選んでいる道は正しいのか、自信が持てよう筈も無かった。
ベストの胸ポケットにぶら下げた方位磁石は、己達が西を目指して進んでいると示しているが、それとて何処まで当てになるか……、としか彼には思えず。
後、どれだけ進めば、『終点』に辿り着けるかも判らず。
目印代わりに、所々に吹き付けてきたスプレー缶の蛍光塗料が、もしも『終点』に到着する前に尽きてしまったら、命懸けの探索処の騒ぎでは済まなくなると、彼は、口先からは馬鹿だけを吐き出しつつも、最悪、何処で探索を切り上げるかの計算を既に始めていた。
己の体感が正しければ、此処に潜り込んでから、最大に見積もっても一時間弱程度の時間しか経過していない筈だから、未だ、当分は先に進める筈だけれど……、とも思いながら。
「………………九龍様」
──と。
『甘い場所』でないのは判っていたが、想像以上に此処は、精神的に厳しい、と胸の内のみで呟いた彼に、千貫が声を掛けてきた。
「あ、はい?」
態度とは裏腹に、内心、どの行動を選択するのが一番良いかを思い倦ねてもいた九龍は、それまで寡黙を貫いていた彼に突然声を掛けられて、口から心臓が飛び出るような心地を味わったが、何とか取り繕い、普通の顔して振り返る。
「千貫さん、何か?」
「宜しければ、暫くの間、単独で行動する許可を頂きたいのですが」
「へ? ……何か遭りました……?」
「いいえ。何事も。この地下道に入りましてからは、順調の一言に尽きるかと存じます。……が。気に入りません」
だが、千貫は、注意でなく、忠告を齎すべく九龍を呼び止めたようで。
「何がですか?」
「順調過ぎるのも、この空気も、です。差し出がましくは思いますが、私の経験を述べさせて頂くなら、このような、何処となく気に入らない空気が漂う時に、何事もなく順調に事が運ぶと、大抵、碌でもない目に遭います。ですから、少々勝手をお許し頂いて、この『空気の元』が何なのか、確かめさせて頂きたいと思いまして」
阿門家の執事然とした穏やかな顔付きは崩さぬまま、彼は、来た路を肩越しに見遣った。
「『空気の元』……? 千貫さん、そんなの判るんですか?」
「具体的に何やらが感じられると言う訳ではありませんが、こう……気配と申しますか。そのような物は少々。後は、勘、でございます」
「ふーーむ……。……ま、いっか。──ラジャーです。じゃあ、千貫さんが感じるって言う気配の調査、お願いしてもいいですか? 目印残してますから迷うことはないと思いますし。あ、但し、単独行動中は、千貫さんも、渡したスプレー缶、使って下さいね。気を付けて」
千貫曰くの『空気の元』って何だろう……? と盛大に首を捻りはしたが、俗に言う『歴戦の戦士独特の虫の知らせ』って奴かな、と九龍は解釈し、彼の申し出に頷きを返す。
「有り難うございます。それでは、行って参ります。九龍様も皆守さんも、お気を付けて。──坊ちゃま。暫し失礼致します。どうぞ、お気を付けて」
あっさり単独行動を許可した九龍に深く一礼し、千貫は、それだけを言い残すと踵を返した。
「……千貫さんのことだから、とは思うけど……」
「大丈夫だろ、あの爺さんなら」
引き返していく背中を見送り、九龍と甲太郎は視線を交わし、
「気にせずともいい。恐らく厳十朗は、『こういう時』の為に同行して来たのだろうから。……それよりも、葉佩」
意に介する必要は無いと、きっぱり二人へ言い切った阿門は、九龍へと向き直る。
「何? 帝等」
「俺も、暫く離れる」
「へ? 何で帝等まで?」
「厳十朗の言葉が気になるからだ。『空気の元』とやらまでは俺にも判らないが、厳十朗が、あのようなことを言い出すからには、何かはあるのだろう。俺も少し、辺りを見て来る。御殿場市内で俺達の後を尾けていた車のことも気になるしな」
そうして、彼も又、単独行動を取ると言い出した。
「うーん……。まあ、どうしても帝等がそうしたいってなら、俺は構わないけど……。……平気?」
「……愚問だな。──お前達は、先を急げ。直ぐに追い付く」
「…………判った。じゃ、先行ってる。あ、帝等も、ちゃんと例のスプレー缶使うようにしてくれよな」
「判っている」
「阿門。気を付けろよ」
「……ああ」
一瞬、この上、阿門にまで単独行動をさせるのは……、と躊躇ったものの、結局、九龍はそれを許し、九龍と甲太郎の視線に送られながら、阿門も身を翻して歩いて行った。
「………………甲ちゃん。本当に、この判断で良かったかな?」
「判断自体には問題無い。阿門にしても、千貫の爺さんにしても、自分から言い出したことだし、あの二人だ、並大抵の奴等じゃ太刀打ちも出来ないだろうさ。だが、頂けない成り行きになってきてるのは確かだな。俺達は、今の内に出来るだけ先を急いだ方がいい。このまま事態が変わらなけりゃ、何処で探索を打ち切るかの判断を、一刻も早く付けなきゃならないから。その為にも。……そうだろう? 九ちゃん?」
阿門を見送ったまま、動こうともせず立ち尽くし、バディ二人の自由行動を許可したことに自信を持てずにいる風に、ぽつり、呟いた九龍に、甲太郎は先へ促すようにしながら言い聞かせた。
「……甲ちゃん?」
「さっきから、九ちゃんが、このままの状態が続くようだったら、探索の打ち切りも考えなきゃならない、とか、だとするなら何処の時点で打ち切ろうか、とか考えてたなんて、お見通しなんだよ。お前、まさか俺相手にバレてないとでも思ってたのか?」
「…………あ、甲ちゃんにはバレてたんだ。……そっか」
「当たり前だろう? お前の専属バディを舐めるなよ」
「俺の馬鹿、一寸不自然だった?」
「ああ。どうしようもなく。……だから、行くぞ、九ちゃん。あの二人なら、大丈夫だ」
告げてやったことに、え……? と目を丸くした九龍へニヤリと笑んでやってから、甲太郎は、幾度か軽く背を叩いてやり、
「……うん。────急ごう」
その、言葉と行いに励まされたように、九龍は力強い足取りを取り戻した。