真っ直ぐに、不可思議な氣を辿って進んでいた瑞麗は、何時しか、少しばかり開けた場所に足踏み入れていた。
巨大な手が土塊を抉り取ったかのように、ぽっかりと、歪な形に広がっているドーム型のそこを眺め上げた彼女は、もしかして、この路には至る所にこのような空間が存在しているのだろうか、と思わず足を留め、次いで、半円形のそこより蜘蛛の糸のように延びている、幾つかの細道を見回してから、再び歩き出したが。
目指そうとしていた方角に、人影と気配が、二つ湧いたのに気付いて身構えた。
「お前達は、何者だ?」
視界に困らぬとは言え、薄暗くはある地下の空洞内のこと、やって来た者達の一人が、長身で和装の、腰に大刀を差している男性らしいことと、もう一人が、自身の弟よりも背の低い、パッと見には男なのか女なのかの判別付け難い人物らしいのは見て取れたが、彼等の面立ちまでは確認出来ず、立ち止まり、改めてそちらへ向き直った瑞麗は、声を張った。
「…………劉、瑞麗?」
顔立ちも、何者かも判らぬが、彼等の一人──背の低い方が、先程からずっと感じ続けている不可思議な氣の持ち主であるのは悟れて、一層、警戒を強めた彼女を、その彼が名指しした。
「何……?」
敵意とまではいかぬけれども、相容れそうにもない気配を滲ませている彼女へ、彼は、同行者と共に、のんびりした足取りも変えずに近付き、故に、それまでは判らなかった彼等の面立ちを窺えるようになった瑞麗は、名指しされたことと、二名の姿に、驚きの声を洩らす。
「思い違いではないと思うのだが。劉瑞麗、だろう? 劉弦月の姉の。大陸の龍穴を護る、封龍の一族の。──話は、龍麻達から聞いている。何時も、お前達姉弟には、龍麻と京一が世話になっているそうだな。私からも、礼を言わせて貰う。…………ああ、言い遅れたが、私は──」
「──緋勇龍斗。緋勇龍麻の、はとこだろう? 私も、話だけは聞いている。そして、そちらの彼は、神夷京士浪殿。……貴方には、里で、幼かった頃にお会いしたから、お久し振りですと言うべきだな。──そちらが言い当てた通り、私は、劉瑞麗だ。愚弟が世話を掛けているようで、こちらこそ申し訳ない」
だが、瑞麗の驚きを他所に、彼女の眼前で立ち止まった彼──龍斗は、にこにこと笑みつつ言葉を続け、龍麻によく似た雰囲気と姿を持ち合わせている彼と、幼き頃の記憶と差して変わらぬ姿をしている、もう一人の彼の正体に思い当たった彼女は、それを遮って、己が、間違いなく、劉瑞麗であることを告げた。
「…………ああ、やはり。そちらの氣が、弦月の氣によく似ていたから、そうだと思ったのだ。彼には幾度も会ったことがあるから、直ぐに判った。………………処で。このような所に何をしに?」
「すまないが、それは、こちらの科白だ。こんな場所に何をしに?」
そうして二人は、町内のゴミ収集所前での井戸端会議のようなやり取りをしつつ、互い作り笑いを浮かべながら、『偶然の出会い』の理由を問い掛け合い、
「ひーちゃん。んな、腹の探り合いみてぇなことしてたって、埒明かねぇぞ。第一、そういう手管は、お前の向きじゃねぇだろう」
黙って成り行きを見守っていた京梧が、不毛な会話を打ち切った。
「良いではないか。私とて、勿体を付けてみたいことはある。だが、私には、不得手なやり方なのは確かだから。────劉瑞麗。お前が此処にいるのは、伴天連の『えむ何とか』とやらの使命を果たす為だろうか」
慣れない見栄を張るのは止めろと、きっぱり京梧に諭されて、龍斗は軽く頬を膨らませてから、腹の探り合いを直球勝負に変える。
「バ、バテレン……? 酷く時代錯誤なことを言うんだな。それに、えむ何とか、ではなく、正式名称はM+M機関だ。────そちらが、その辺りのことも承知の上なら、話は早い。こちらも、単刀直入に行こうじゃないか。貴方々が、此処がどういう場所なのか、知った上で蠢いていると言うなら。そして、もしも、葉佩九龍や皆守甲太郎に手を貸す為に、わざわざ此処までやって来たと言うなら。直ちに、引き返して貰いたい」
龍斗の口調が、一通りの事情を弁えている者のそれとなったので、瑞麗も又、噂通り、この彼は何処かが少々ずれている、と思いながら、要求──正しくは『勧告』を突き付けた。
「……こりゃ又、随分と気っ風がいいっつぅか、向こう気の強ぇ女になったもんだ。いい女にもなったがな。未だ七つかそこらだったあの頃のお前は、それなりに可愛気のある餓鬼だった憶えがあるが…………ああ、でも。思い返してみりゃ、餓鬼共が集まって何をするんでも、大将はお前だったっけな」
それこそ、龍麻や京一や劉から、『噂』は色々と耳にしているだろう自分達を前にしても、一歩も引かない瑞麗を不躾な視線で眺め、京梧は喉の奥で笑いを洩らす。
「………………昔を知っている者が相手と言うのは、本当にやり難い。況してや、あの頃の話を持ち出されては、尚更。だが、だからと言って、挫けている場合ではないのでね。大人しく引き返すか否か、返答を聞かせて貰えないか」
「断る」
遠くなってしまった、今尚、苦い想いばかりを呼び起こす故郷が平和だった在りし日、確かに、女だてらにガキ大将だった己を、明確に記憶している相手が眼前にいると言うのは、こうも居た堪れないものかと、内心でのみ、げんなり……、としつつも、毅然とした態度を崩さなかった彼女の再度の勧告を、龍斗は一言で突っ撥ねた。
「……ほう。何故?」
「九龍と甲太郎が、此処で何をしようとしているのかの真の処は、私達にも判らない。手を貸す為に、足を運んだのでもない。だが。『えむつー』とやらの言い分に従うつもりもない。私達には私達の、都合がある」
「では、その、そちらの都合を話して貰いたい。私の職務上、緋勇龍麻や蓬莱寺京一と同じく、『力』持つ身の貴方達と、こんな所で行き会ったのに、黙って見逃せる筈も無いのでね」
「だとしても、断る」
「…………成程。穏便な方法は、お気に召さないようだ」
何処となく、ボーーーー……っとした雰囲気で、地下の空洞の直中に佇んでいるだけとしか一見は感じられないのに、語る声とて、何処かふわふわとしているのに、きっちりとした拒絶の言葉だけは選ぶ龍斗からは、微塵も折れる気配が感じ取れず、瑞麗は、微かに肩を竦めた。
「私の仕事は、異形や妖、そして、このような場所を封じることだ。世界の均衡を崩さぬように。世界に障りが齎されぬように。……霊的に監視し続けなくてはならない場所深くに、貴方々のような者達が立ち入るのは、我々にとって有り難いことではない。何の為に此処にいるのかの理由も明かさず、立ち去る気もないなら、無理矢理にでもお引き取り願うしかない」
「……だとよ。ひーちゃん。どうすんだ?」
「どうするも、こうするも。だと言うなら、相手をするだけだが」
困ったような、呆れたような仕草を取ったのは一瞬のことで、直ぐさま、実力で眼前の二人を排除する構えを見せんばかりになった彼女を、改めて、矯めつ眇めつ見詰めてから振り返った京梧の問い掛けに、龍斗は呆気無く、やり合う気だと言うなら受けて立つと答え、
「………………本気か? 相手が誰だか、お前、ちゃんと判ってんのか?」
「当たり前だ。『判っているから言っている』。見境の無い子供ではないのだから、そのような小言を垂れられるのは心外だ」
「俺にまで小言を垂れられるくらい、餓鬼なことがあるだろうが、お前は。時々だが」
「そう言うお前は、酷く失礼だと思うが。──そんなことより、京梧」
はあ? と見る間に呆れ顔になった京梧に、そこまでの必要は無いだろうと止められたにも拘らず、あっさり制止を振り切った彼は、その場へと続く幾つかの細道の一つへ視線を流した。
「ん?」
「私には全く覚えのない氣が、あちらから」
「……判った。んじゃ、後でな。……ああ、程々にしとけよ?」
「言われずとも」
今、見遣った先の先に、何者かがいる、と龍斗は言い、故に京梧はそちらへと身を返し、さっさと向かい始めてしまって。
そんな二人の様を目の当たりにした瑞麗は、無言のまま、不機嫌そうに顔を顰めた。