「螺旋掌!」
その、機嫌を損ねた顔付きのまま、瑞麗は、「相手をする」などと、酷く気に障る言い方をした龍斗が、ふわっと笑みながら自身へ向き直るよりも早く、技を放った。
…………彼の話は、弟や、龍麻達から聞いていた。
壬生から聞かされたこともあった。
龍麻の『はとこ』で、『黄龍の器』の彼とよく似た力を持って生まれていて、三十を過ぎるまで、全てから隠されるように育った、ドが付く程の僻地から一歩も出たことがなかった所為か、甚く浮世離れしていて、目も当てられない迷子癖の持ち主で、九龍の言葉を借りるなら『メルヘンの世界の人』と相成るくらい言動がおかしくて、人の話を聞かなくて。
そのくせ、どうして? と問いたくなる程に強い人だ、と。
……そんな話は、彼等から、繰り返すように幾度か聞かされた。
彼等のその証言通り、龍斗の腕が立つらしいのは、一目で判った。
氣も、気配も、佇まいも、それを物語っていた。
だが、やり合う前から、さも、勝負の行方は決まっていると言わんばかりの龍斗の態度は、どうしたって気に入らぬものだったし、物言いも、少しばかり癇に障った。
龍斗のそれだけでなく、『神夷』──京梧のそれも。
だから、瑞麗は、半ば問答無用で技を放った。
年下の彼等──宿星をも持つ、一流の武道家である彼等が口を揃えて、勝てない、と言い切る相手と対峙するなら、先手必勝に限る、と考えたのも、理由ではあるけれど。
先に仕掛けた理由の大半は、成り行きの全てが気に入らぬからだった。
「……ふむ。…………ああ、成程な。だとするなら、勿体無い」
そんな動機を抱えた彼女と彼女の螺旋掌を、龍斗は、じっと見詰めつつ掌底・発勁で以て、ひょい、と弾き返しながら、何やら考えている風な声を洩らし、
「少しだけ。本当に少しだけ、違う」
氣塊を氣塊で簡単に弾き返されてしまったことに、「え?」と思う間も、彼の言葉に「何を言っている?」と思う間もなく、違うの違わないのと、一人勝手に言い出した彼に、瑞麗は背後を取られた。
「は? え、ちょ……──」
何をどうやられたのかは判らなかったが、彼が、己の背の側に立ったのだけは理解出来て、しまった、と思うや否や、躊躇なく両腕を廻され、抱き竦める風にされてしまい、彼女は悲鳴めいた声を上げたのだが。
「螺旋掌としては完璧だが。その先が、毛筋程だけ、ずれている。その所為で、自らその先に進もうとしてる技が、進み切れずにいる」
現代では、その行為はセクハラに当たることもある、とか、背後から、曲がりなりにとは言え、男である彼に抱き竦められた女性の気持ち、とかに、これっぽっちも思い至れなければ慮りも出来ない龍斗は、至極真面目腐った声で能書きを垂れると、それまで以上に瑞麗に密着して両の手首を掴み、
「螺旋掌を」
一言、彼女の耳許で囁いた。
只でさえ己よりも背が高く、若干とは言え踵の高い靴を履いていた相手に合わせる為に、わざわざ背伸びまでしつつ。
「……? 何を…………?」
「だから。螺旋掌」
「あ、ああ……」
けれども、龍斗の余りに突飛な言動に意表を突かれてしまっていた瑞麗は、冷静に鑑みれば少々滑稽と言える彼の様に気付くことも出来ず、両手を取られたまま、促されるに任せて技を打った。
彼女の動きに合わせて、全くと言って良い程同一に、けれど僅かだけの差異を生みながら龍斗の手足も動き、故に、彼女のそれは、龍斗に釣られて。
「……あ」
「これが、お前の技が、お前自身も知らぬ内に進もうとしていた先だ。円空破と言う名が付いている」
自身は螺旋掌のつもりだった、が、それよりも上位のものになった技が生んだ氣塊が宙に消えて行くのを見詰めた瑞麗は、小さく声を洩らし、龍斗は漸く、彼女から身を離す。
「…………何故、こんな真似を?」
「お前の技を見た途端、勿体無く思えたのだ。お前の打つ螺旋掌は、完璧だった。技自身も、その先に進みたがっていた。……放っておいたら、勿体無かろう? このような教え方は、余り良くないのは判っているが、時を掛けている暇は無いから、手っ取り早くやらせて貰った」
「……だから。そういう意味ではなく。この状況で尚、お節介を焼いた理由を訊いている」
「お節介とは、少し違う。お前には、例の符のことでもそれ以外でも、龍麻達が世話になっている。それに関しては、私も有り難く思っているし、弦月とも知らぬ仲ではないし、龍麻と弦月は義兄弟の仲だし、お前達姉弟は、九龍や甲太郎にも良くしてくれているようだし、龍麻の父の弦麻も、お前達一族には大層世話になったと聞いているし、それに京梧──」
「──もう、いい。判ったから、もう止してくれ」
やりたかったことは終わったと、ひょいひょい、何処となく恍けた足取りで、再び己の眼前に立ち直した龍斗を、じっと見詰めながら瑞麗が問えば、龍斗は、ほわほわとした風情で笑みながらペラペラと捲し立て始めて、だから彼女は、呆れたように小さく両手を上げて彼を制した。
「そうか? まあ、要するに、身内の身内は身内だし、偏に勿体無いと思ったから、と言うのが理由だ。それで、納得して貰えるだろうか?」
「納得がどうのとか、そういう問題でもないが、兎に角、もういい。……いや、もう結構です、龍斗殿」
「だと言うなら、良いが。……ああ、そう言えば、私達はやり合っている途中だったな。茶々を入れてしまって、すまなかった。続きをするとしようか」
成り立っているようで微妙に擦れ違っている会話にも、『理由』を捲し立てられるのにも少々辟易したから、彼女は龍斗の言葉を遮ったのだけれど、遮られた方は今一つ満足いかなかったようで、話も、始め損ねた『やり合い』のことも蒸し返し、
「…………それも、もう結構です。一先ずの、身の程を思い知ったので」
「身の程? 何のことだ?」
「……………………。……こちらの話です。気にしないで下さい」
話を聞かされるのも、やり合いも、どうでもいい、と今度は肩を竦めた彼女は、自身が呟いた、身の程、が何を指しているのか判らず困り始めた龍斗に一瞬絶句してから、「噂通り、本当によく判らない人だ」と、深い苦笑を口許に刻んだ。
────この、緋勇龍斗と言う彼は、良くも悪くも訳の判らない人物で、やはり、良くも悪くも、様々な意味で勝ち目はなさそうで。
たった今、己が成した行いが、こちらに身の程と言う言葉を使わせたことすら、本気で判っていないようだ。
……と思ってしまった彼女には、そうやって、苦笑いを浮かべるしかなかった。
この彼には勝てない、と。
…………尤も。
勝てようが勝てまいが、正直勝ちたくもなければ、ここまで脳内の次元が何処かの彼方に飛んでいるような相手とは、言い合いも、やり合いもしたくもない。幼かった私の記憶にそれでも残っている弦麻殿も、確かに変わり者ではあったけれど、ここまで酷くはなかった。何処かおかしいのが緋勇一族の血なのだろうか、ああ、彼でなく、少なくとも、言動は『或る程度』一般的な緋勇龍麻が、今生の黄龍の器で良かったと、私は、心底思う。────とも、浮かべた苦笑の裏側で、彼女は考えていたけれど。
「……何やら、少々引っ掛かりを感じなくもないが、まあ、良い。──さて、私はそろそろ行くが、瑞麗、お前はどうするのだ?」
そんな彼女の様子を、龍斗は暫し訝しんでから、京梧が入って行った横穴へと体を向ける。
「私は、私の使命を果たしに行きますが。貴方は、それを阻止されたいのでは?」
「いや、別に? お前達は、此処を荒らす為に潜り込んだのではなかろう? お前達が多くを問わず、詮索をせず、私達の邪魔をせぬなら、咎めるつもりなどない。余計な手出しは困るが、多分、私達の望みと、お前達の使命は、そう大差なかろうから、好きにするといい」
言うや否や歩き出した彼に、瑞麗は戸惑いも露な声を掛けたが、彼は、肩越しに振り返ったのみで、彼女には余り理解出来ないことを吐く口先も、歩みも止めようとせず。
「………………有り得ない……」
眩暈を覚えながら、彼女は、諦めたように彼の後を追った。