始めの内は、龍斗の視線が向いていた方、と言う以外の根拠なしに、初手は細かった、が、徐々に、獲物を飲み込んだ蛇の胴の如く太さを増して行く道を辿っていたのだったが、程無い内に、確かに、自身にも覚えのない氣が向かう先から放たれているのを感じ取って、京梧は我知らず、両の口角を持ち上げていた。

──彼の方へと向かってくる、人のモノであることだけは確実な氣は、持ち主の『技量』を如実に物語っていた。

『力』は持ち合わせていない、そういう意味では尋常な人間で、しかし、このような場所を彷徨っているにしては酷く落ち着いた、冷静な人物である、と。

ほんの少し、強張っている様子が感じられなくもないが、それは恐らく、此処と言う場所に相応な緊張、若しくは警戒の表れで、と言うことは、やって来る何者かは、戦う者として、大層、優れているかも知れない。

…………そう思うだに、彼が口許に浮かべた、ニヤリ、とした笑みは、深まる一方だった。

久し振りに、やり合い甲斐のある相手と、存分に、満足するまで暴れられるかも知れない、と期待して。

まあ、『力』は…………、のようだから、その部分に関してだけは、存分、と言う訳にもいかぬだろうが、それでも充分に楽しめるだろう、とも。

「……幾つになっても、この癖だけは抜けねぇな」

感じ取った何者かの氣へ向かって歩を進めながら、ふと、己の考えが、悪癖とも言えるものに満たされ切ってしまったのに気付いて、京梧は、中々消せない、浮き立つ気持ちが齎す笑みの中に、若干の苦笑を織り交ぜ……、つ、と足を留めた。

「………………おや」

彼が、自身の得物である刀を振り回すにも困らぬ広さになったその場に留まった途端、辿っていた道の影の中から、全身黒尽くめの、白髪の男性が姿を見せて、彼も又、京梧の姿を見遣るなり、ピタリと止まった。

「……不躾だが、少々、尋ねても宜しいかな?」

五メートル程の距離を隔てて立ち止まり、京梧の姿を眺めた男は、刹那、こんな地の底で、全身和装の挙げ句、腰に刀を差している者と出会したのに少しばかり驚いている様子を見せたが、瞬く間に、そのような気配を消し、眼鏡の奥の、閉じている風に細めた瞳の底だけは光らせながら、好々爺の雰囲気で、ものを尋ねてきた。

「何を?」

「蓬莱寺京一、と言う名に、心当たりはおありかな?」

「……ない訳でもねぇな」

「お身内かな?」

「…………だったら、どうだってんだ?」

「………………。……申し遅れましたが。私は、千貫厳十朗と申します。葉佩九龍様のご友人の、阿門帝等様の執事を務めております」

京梧の面立ちより、京一との血筋的な関わりを見出せたのだろう、白髪の、雰囲気は何処となく上品そうな男──千貫は、問いを重ねつつ言葉遣いを若干変えて、腰も低くし、名と素性を告げる。

「しつじ? ……そう言われても、俺にゃ、何だかよく判らねぇが……要するに、あれか? お前さんは、九龍や甲太郎の友垣の身内か?」

ってことは、久し振りにやり合えるって当ては外れちまいそうだな、と仄かに不満気な態で京梧は問い返した。

「はい。そういうことになります。蓬莱寺さんや、緋勇さんとも、面識が少々。──そちらは、蓬莱寺さんの剣術の師匠とお見受け致しました。一度、九龍様からお噂を伺ったことがございます」

「……ま、一応な。あの馬鹿は、俺の馬鹿弟子だ。…………ったく、九龍達の身内たぁな。マジで当てが外れちまった」

「当て、とは?」

「何でもない。こっちの話だ。……で? そんなお前さんが、何だってこんな所に?」

「それは、私がお尋ねしたいことです。そちらのような方が、理由もなく、このような所に潜り込まれているなどと言うことは、到底有り得ませんでしょう。──私は今、九龍様や坊ちゃま達のお供で此処におりますので、皆様の探索の妨害になることは、如何なることでも見逃す訳には参りません。例え、そちらが、蓬莱寺さんの剣の師匠だとしても、事と次第によっては、今ここで、話を付けさせて頂かなくてはなりません」

「…………ほう。話、な」

だが。

誠に柔らかな物腰で、丁重な言葉を使いつつも、千貫は、例え相手が『身内の身内』であろうと、この場に居合わせた理由如何によっては、只の顔見せで終わらせるつもりはない、と暗に言って退けたので、再び、京梧の口許には、本当に微かに笑みが刷かれた。

彼と龍斗が、わざわざ地の底まで下りて来た理由は、偏に、こそこそと隠れて『悪巧み』を働こうとする『子供達』を纏めてぶん殴る為で、それ以上のことを成すつもりはこれっぽっちもないが、大きく括れば、それは、九龍達の探索の邪魔と言えぬこともなく。

その辺りを上手く空っ恍けて、不穏な気配を匂わせれば、千貫が『その気』になってくれるのでは、と彼は期待した。

京梧自身、我ながらどうしようもねぇな、と呆れてはいるが、これは、と見込んだ相手との戦いや死合いを欲するのは、もう、彼等のような人種にとっては本能にも等しいので、一旦は外れたと思った当てが未だそこにあったことに、素直に心弾ませ、

「なら、しち面倒臭ぇ言い合いは、これで終いにして。とっとと、話とやらを付けようじゃねぇか」

彼は敢えて、わざとらしく腰の刀の鯉口辺りを掴み、鍔に親指を掛けながら、グッと、得物を押し下げる。

何時でも抜ける、と言わんばかりに。

「……そうですか。このような形で話を付けさせて頂くのは、九龍様のご不興を買うような気がしてなりませんが、そちらがその気なら、致し方ありませんな」

何処となく大仰だった、彼の一連の動作を視線だけで追って、千貫は、細めていたまなこを少しばかり開いた。

途端、霞む程の速さで動いた彼の指先が、一瞬、黒い上着の袖口に触れ、次の刹那、煌めく物が宙を走った。

一直線に、京梧の胸許目掛けて進んだそれは、音もなく抜かれ、そして翻った刀に、硬質な響きを立てながら払い落とされる。

「何処ぞの忍の末裔……って風には見えねぇが。飛苦無か?」

「随分と、古めかしいことを。確かに似たような物だが、せめて、スローイングナイフと言って貰いたいものだな」

弾かれ、カツリと地に刺さったそれは、平たくて柄の短い刃物で、厚みのない飛苦無としか見えなかった京梧は、素直に感想を口にし、千貫は、憮然となった。

「似たようなモンなら、別にいいじゃねぇか。飛び道具の親戚にゃ違いねぇだろう? 大道芸や軽業の親戚でもあるな」

「……大道芸や軽業のような児戯か否か、その身で確かめてみたらどうかね」

────成程、これが、このジィさんの戦法か、と思いながら、京梧は、得物を下段に構え。

────流石に、不意打ちなど喰らってくれる相手ではないな、と思いながら、千貫は、ゆらりと佇み。

彼等は互い、暫しだけ、動きを止めた。