揃って数拍程動きを止めた後、先に動いたのも千貫だった。
一撃目よりは大振りだった腕の動きと共に、スローイングナイフは三、四つ程度の煌めきとなって再び京梧に迫り、が、途中で、塊の如く飛んでいた筈のそれは、各々軌道を変え、瞬きの間だけ瞳を細めた京梧は、円月を描くように切っ先を振り、迫ったそれを、悉く。
「益々、軽業じゃねぇか」
「あの青年は、刀を操っている最中でも口が達者だと聞いたが、どうやら師匠譲りのようだな。──師弟揃って賑やかなことだ。余り、感心は出来ないがね」
「悪いか? 余裕って奴だぜ?」
「……そういう処も、よく似た師弟のようで」
未だ、互い、出会い頭に立ち止まったそこから一歩も動くことないまま、彼等はそれだけのやり合いをこなし、軽く口先をも戦わせ。
────次に仕掛けたのは、京梧の方だった。
『楽しみ』が見込める程の相手、端から吹っ掛ける気は満々で、相手の素性が知れた今も、逃すつもりも手を抜くつもりも更々ないが、流石に、千貫が身内の身内であり、『力』の面では尋常な人である、と言う事実は明確な『制限』以外の何物でもなく、故に彼は、『力』を伴わぬ剣術のみを振るう為と、スローイングナイフの間合いを殺す為に、片手持ちに変えた刀の右下段の構えだけは崩さず、一息に千貫との距離を詰めた。
右手の得物は固より、左手が添えられた腰の鞘も又、如何なる時、飛び掛かって来てもおかしくない飛び道具を弾き落とすに万全で、切っ先を振り上げるにも、振り下ろすにも適した間合いにて、刀のふくら※1は、朧のように揺らいだ。
唯、見えぬ、のではなく、残像を残しつつも霞む疾さで得物を操る京梧も驚異的と言えるが、それを、やはり驚異的にも千貫は目で追っており、切っ先が、より己へと近付くのが判っていながら、敢えて踏み込み姿勢を落とすと、上着の懐辺りから腕を振った。
千貫の足下より浮き上がって来た京梧の白刃と、振られた千貫の腕の先に握られていた物は、柔らかい何かを打ち据えたような音を立てて弾き合い、
「……鋼じゃねぇな」
相手が手にする、夜陰に溶け込み切る鈍いだけの色を放つ、到底、金属で出来ているとは思えぬ刃物を、二歩だけ身を引きながら京梧は見据える。
「その通り」
逆手に握っていたそれを、ぬるりと順手に持ち替えて、千貫は微かに頷いた。
──今、彼の利き手にあるのは、フルカーボン製のファイティングナイフだった。
鋼を素材としていない為、金属探知器等にも引っ掛からぬ、シークレットなミッションをこなす者やテロリスト達は好む武器の一つで、刃のない刺突専用の物だ。
闇の中は勿論、薄闇の中でさえ、手練に扱われたら容易には存在に気付くことすら出来ぬ、そういう意味では、酷く厄介な。
「一発勝負なら、悪かねぇ。……だが、間合いの不利はどうする?」
先の尖った、両刃の短刀の態を持っていて、けれど、鋼で造られておらず刃もないと言うことは、斬るでなく突き専門の得物なのだろう、と踏んで、京梧は、下段だった構えを中段へと変えた。
「刺突に特化したこれと、スローイングナイフと。同時に躱すのは、君でも骨折りだと思うがね」
彼の構えが移った途端、詰めた距離を取り直した千貫は、又、上着の袖口へと指先を忍ばせ。
────以降、数分の間繰り返されたのは、宙を舞う刃と、翻る刃とのぶつかり合いだった。
引いた千貫を、京梧の刀の先が追い掛けようとする度、放たれたスローイングナイフが揺さぶり、京梧の脇を狙うファイティングナイフも、突き出される度、薙がれた刀に弾き返され。
「思った通りだ」
「何がだね?」
「あんたは、やり合い甲斐のある相手だ、って俺の見込みが、だ。吹っ掛けて良かったぜ。楽しくってならねぇよ。…………お前さん、今まで何人殺った?」
「そちらも、流石はあの青年の師匠だけのことはある。……君こそ、今までに何人斬り捨ててきたのかね? 到底、数え切れるとは思えないがな」
「さぁてね。遠い遠い昔の話だ、碌すっぽ憶えちゃいねぇが、無益な殺生だけはしたこたねぇのは確かだ」
「奇遇だな。私もだ。例え、私が生き残る為だけの行いだったとしても」
双方共に呼吸すら止めてしまっているような、得物と得物が弾き合う音だけが響き続けたやり合いの最中、又、動きを止めて同時に間合いを計り始めた二人は、睨み付ける如く視線を絡ませて、それぞれの隠し切れない本性が浮かべさせる、凶悪とも言える笑みを見せ合い、戦いを再開しようとしたが。
「…………っと、やべぇ」
ふと、背後から漂ってきたらしい某かに気付いて、京梧は焦り顔を拵えた。
「余所見をしている場合か?」
「ああ。後ろの奴の方が、お前さんよりもよっぽど怖ぇからな。遊んでたのがバレたら、お叱りを喰らい兼ねねぇ。……すまねぇが、本気出させて貰うぜ」
刹那のみ、彼が背中に意識を払ったその隙に、千貫は、又もやスローイングナイフを投擲し、けれど京梧は、それが迫っているのに気付いていたにも拘らず、避けようともしなかった。
だから、ナイフは、彼の左頬の薄皮一枚だけを裂いて、何処へと飛び去り、沁み出るように微かに浮いた頬の血を拭いもせず、彼の足は地を蹴った。
「……チッ」
それは、それまでの彼の動きとは比べ物にならぬ疾さで、千貫は、思わずの舌打ちを洩らしつつ、咄嗟に上着の裾を跳ね上げ、腰のベルトに手を伸ばしたけれど。
「ちょいと、遅かったな」
京梧の動きも、刀の軌道も、千貫の目は捉えること敵わなかった。
気付いた時には、もう、切っ先は彼の首筋に迫り、先程のお返しと言わんばかりに、薄皮一枚を裂いていた。
「かも知れんな」
が、尚、中老の彼は表情一つ変えず、ファイティングナイフを持ち上げ掛け────。
「……京梧。何をしているのだ」
京梧の背の側から、茫洋とした響きの声が掛かった途端、京梧は、刀も身をも引いた。
「何って、まあその、色々、だな」
「色々、ではなく、悪い癖が出ただけだろうに。大方、遊んでいたのだろう?」
「……そういう訳じゃ──」
「──言い訳は良い。全く、お前は…………」
やって来たのは、男女二人連れ──龍斗と瑞麗で、一目で、連れ合いが何をしていたのか見抜いた龍斗は、足早に京梧の傍らに寄ると、呆れたように睨み上げ、
「おや。これはこれは……。今日は随分と、珍しい相手や懐かしい相手に会う日だ。──久し振りだな、マスター」
「ご無沙汰しております、ルイ先生。お変わりないようで」
千貫を見遣った瑞麗は、少しばかり驚いたような顔をしてから、二人がやって来た瞬間に、あっと言う間に好々爺の雰囲気を取り戻した千貫と、何処となく空々しい挨拶を交わし始める。
「瑞麗。こちらは?」
「千貫厳十朗。天香学園の生徒会長だった阿門帝等の執事で、学園のバーでマスターを務めている人です」
「しつじや、ますたぁ、とは?」
「…………簡単に言えば、龍や皆守の友人の阿門の、じいや、です」
「と、言うことは。九龍や甲太郎とも親しい?」
「それなりには。緋勇……──ああ、貴方も緋勇ですね。──龍麻や蓬莱寺とも、知らぬ仲ではない筈ですが」
そのやり取りを小耳に挟み、京梧とやり合っていた白髪の男性と瑞麗は知り合いらしいのを知った龍斗は、逃げ出さぬように京梧の二の腕を引っ掴みつつ、彼女へと顔を向けて、
「……成程」
「ルイ先生。そちらは?」
「緋勇龍斗殿だ。緋勇龍麻の、はとこ。隣の、恐らく、今の今までマスターがやり合っていただろう彼は、神夷京士浪殿。蓬莱寺京一の、剣の師匠だ。血縁関係にもあるらしい」
「そうでしたか。……ああ、失礼致しました、緋勇さん。ルイ先生からご紹介頂いた通り、私は、千貫厳十朗と申します。阿門家にて、執事を務めさせて頂いております」
「こちらこそ。……改めて名乗らせて貰う。私は、緋勇龍斗と言う。そちらにも、子供達が世話になっているらしいのに、連れが失礼を働いたようで、申し訳ない」
瑞麗の説明を聞き、千貫との名乗り合いを終え、彼へと軽く頭を下げた龍斗は。
「…………京梧。相手が誰だか、判っていて吹っ掛けたのか?」
「そりゃ、まあ。………………お前だって、瑞麗とやり合ったろうが。俺のこたぁ言えねぇぞ」
「それとこれとは、話が別だ。私には、程々にしておけと言っておきながら、互いの薄皮一枚剥ぐ程、素性の知れた相手と何をしていたのだ、お前は」
に…………っこり、と笑みながら、再び京梧を見上げ、そっぽを向いて言い訳を始めた彼へ、徐に手を上げた。
※1 ふくら=日本刀の先端の、カーブが付いている所。