「……おっさんの『化かし合い』に、引き摺り込まれる羽目になるとはな」

へらへらした風情で、滑らかに舌先を動かす鴉室の言葉に、チッと甲太郎が舌打ちした直後。

「無気力青年も、『若者』って証明だな。────弟君!」

「任しとき!」

強い声での鴉室の呼び掛けに応えて、傾斜面を半ばまで滑り下りた劉は、その勢いを借りて地を蹴り、鴉室も、甲太郎をも飛び越えて、九龍を追うべく路を疾走して行った。

「待てっ!」

「君のお相手はこっち。俺を忘れちゃ困るなあ、無気力青年」

「…………ちっ。ふざけやがって……」

「心外なこと言うなよ、俺は大真面目だぜ? ……駄目駄目、この程度で腹なんか立ててるようじゃ、到底、この『お兄さん』には勝てないぞ、青年。──真面目な話。確かに君も九龍も頭の出来はいいが、駆け引きって奴には未だ未だ慣れてないみたいだから、そこの処、精進するといいんじゃないかい?」

事も無げに己を追い抜いて行った劉を、焦り気味に甲太郎は振り返ったけれども、無防備に鴉室に晒してしまった背中に熱源が迫るのを感じ、向き直りもせずその場に伏せてやり過ごした彼は、熱源──高温を帯びた、何らかの力らしきモノを放った張本人を射殺しそうな目で睨み付け、が、鴉室はにやけ面を湛えたままで。

「こっちこそ、悪かった。選りに選って、到底高尚には見えないあんたが、化かし合いだの駆け引きだのって手を使うとは思わなかったんでな。あんたは、頭を使うのは苦手だと思ってたが、た・しょ・う、使えるじゃないか」

人を喰ったようなにやけ面に、手加減なしの上段蹴りを悪態と共に見舞ってやりたい衝動に甲太郎は駆られたが、あからさまに腹を立てたら鴉室のペースに引き込まれるだけかも知れないと思い直し、せめてもの腹いせに、敢えての穏やかな声で嫌味を垂れ、

「くっ……。言うな、無気力青年……。……ま、まあ、あれだ。人生経験豊かな『お兄さん』を、あんまり舐めて掛かると、痛い目を見るってことで」

「人生経験豊かなお兄さん? 無駄に歳喰ってるおっさんの間違いじゃないのか? あんた、もう三十代だろう? ……だが、認識は改めてやるよ。猫でも歳を喰えば猫又になるしな。────化かし合いは、これで終わりだ」

似非臭い笑みまで添えて放たれた嫌味に、若干堪えた様子を見せたものの、直ぐに毎度の表情を取り戻し、着古したコートの裾を僅か靡かせながら猫背のまま近付いて来る鴉室に、再度の嫌味をつらっと吐き様、甲太郎は、ショルダーホルスターより銃を抜き去り片手で構え、トリガーを引いた。

────オーストリアの銃器メーカー、Glock社の手により開発されたハンドガンの一つ、Glock18C。

それが、天香学園卒業後、九龍と共に本格的にトレジャーハントの世界に飛び込んで数ヶ月が過ぎた頃から、彼が常に携えるようになったハンドガンの『一つ』だ。

たった今も、手にしたそれ。

『唯一の決定的な違い』を除けば、Glock社の代表的なハンドガン、Glock17と外見は殆ど変わらず、同社開発のハンドガンの特徴に則り部品にプラスチックを多用している為に軽く、口径も、9mm×19──世界で最も多用される9mmパラベラム弾なので、九龍が手にすること多いスタームルガーP85やGlock17と、弾薬を共有出来ると言う利点もある。

だが、他人にとっては兎も角、甲太郎にとって、この銃の最大の利点は……──

「げっ! 無気力青年、そいつはマシンピストルじゃないかっ! 何ちゅー物騒な物をぶっ放すんだ、青年!」

────己目掛けて掃射された、彼の銃の威力と弾丸数と『連射速度』をその目で確かめた鴉室が、飛び退りながら叫んだ通り。

Glock18Cは、単なるハンドガンでなく、機関拳銃──マシンピストルと言う部類に属する。

ハンドガンの態でありながら、マシンガン等と同じ、フルオート機能が搭載されている銃。

それが、甲太郎がGlock18Cを選んだ理由であり、彼にとっての最大の利点だ。

九龍と二人、宝探しの旅から旅を繰り返し、世界中を飛び回っている彼には、これまで、時間を掛けて銃器の扱いを学んでいる暇など無かった。

多少なりとも訓練を積まなくてはどうにもならないライフルの扱いだけは、ロゼッタ協会の訓練施設に通って習得したけれども、それ以外は、九龍を一人で探索に行かせる訳にはいかないの一念で、要領とコツを半ば強引に飲み込んだのみで済ませてしまった。

しかし、Glock18Cと、彼以外には意味を成さぬだろう『その独特の使い方』は、彼のそんな不利をカバーしてくれる。

ハンドガンサイズでのフルオート射撃を叶えるマシンピストルは扱いが難しい為、どのメーカーの物でも命中精度が期待出来ないと言う欠点を持っているが、その欠点も、却って甲太郎には好都合だった。

……現状の彼では、きちんとした訓練を積んだ相手には、射撃技術では決して勝てない。

故に彼は最初から、命中精度や正確な射撃などと言うことは無視している。

と言うより、端から銃で以て敵を倒そうとは、毛頭考えていない。

彼に必要なのは、マシンピストルの、サイズに見合わぬ連射速度と威力だ。

大抵の者が怯むそれを敢えてバラ撒くこと、それが、彼の求めていることであり、彼にしか出来ない『独特の使い方』であり。

「ぐっはっ!!」

────甲太郎が手にした装弾数十七発のGlock18Cから、全弾が、一二〇〇発/分の速度で発射され、跳ね踊るように足下の固い土を削ったそれ等から逃げるべく、大慌てで鴉室は飛び退いたが、直後、後先考えず半歩以上身をずらした所為で体のバランスがずれた彼の腰を、酷く重たい蹴りが抉った。

呻きつつ、その場に崩れ落ち掛けた処を狙い澄まして、今度は臑への一撃が繰り出され、

「悠長に、あんたの相手をしている暇は無いんだ」

完全に、鴉室が地に這いつくばったのを横目でのみ確かめて、踵を返し、甲太郎は駆け出す。

……そう、それこそが、甲太郎にしか出来ない『彼独特の使い方』だった。

九龍と共に宝探しに勤しむ日々の中で、幾度か、レリック・ドーンや、レリックに類似する物騒な連中とやり合った経験から、彼は、如何に己の身体能力がヒトに非ざるとも、銃器等を携えた多人数を一度に相手にするには、やはり限界があることを悟った。

複数の敵が相手でも、複数の銃口が相手でも、己のみを生き延びさせるだけならば、アロマを銜えたままでも渡り合えるが、九龍を守り、己をも守るには、ヒトならざる《力》が齎す疾さだけでは足りなかった。

…………だから、その、足りない部分を埋める為に。

今尚、『接近戦専門』の己の戦い方を少しでも有利にする為に。

敵達を怯ませ隙を作らせる為に。

彼は、弾丸をバラ撒くだけが目的の銃を手に取った。

九龍と、九龍の命を守る為に。

彼を悲しませないように、己と、己の命をも守る為に。

「痛ってぇぇぇ…………。……骨……は、ああ、イってないな。ってことは、あれでも本気じゃないって? やるな、無気力青年。…………本気出しときゃいいのに。甘いのか、それとも優しいのか、さもなきゃ、そこまでの『意気地』がないのか」

────まるで、バネが爆ぜるような勢いで走り出した甲太郎の後ろ姿を、恨みがまし気な目で追って、骨が折れていないことだけを確かめ立ち上がった鴉室は、ボソボソと独り言を呟くと、せーの、と小さく掛け声を呟きながら駆け出し、甲太郎を追って行った。