「痛っつー……」

「……避けられなくはなかったろうに」

「避けたら、もっと怒っただろうが」

「当たり前だ」

先程、龍斗の拳がクリーンヒットした顎辺りを押さえつつ、ぶちぶちと愚痴めいた呻きを零す京梧と、少しやり過ぎたかも、との顔をしながらも、矛盾していることをあっさり言い切る龍斗の足取りは、瑞麗や千貫と行き会うまでのそれよりも、格段に早かった。

成り行き……と言うよりは、済し崩しの内に氏素性は知れた、が、正体は今一つ不明な彼等と道行きを共にすることになってしまった瑞麗と千貫は、黙って彼等の後ろに付き従う風にはしていたが、時折、物言いた気に目線のみを交わす。

瑞麗にしても千貫にしても、噂等々は知っていた『京一の師匠と龍麻のはこと』と直接の面識を持ったのはその日が初めてで、だと言うのに、穏便でないやり合いをも果たした出会いからそこまでの僅かの間に、語られずとも、目の前の二人の『関係』が手に取るように判ってしまい、何となく、言葉にはし難い気分に揃って陥ってしまったが為に。

だが、真実の意味で大人な彼等は、『沈黙は金』を貫き通し、

「ルイ先生。少々、立ち入ったことをお訊きしても構いませんでしょうか」

瑞麗よりも先に、他人のプライベートに意識を払うのをすっぱり止めた千貫は、彼女に問い掛けた。

「立ち入ったこと? 何か?」

「昼間、我々──九龍様達の尾行をしておられましたか?」

「…………いいや。それは私達じゃない。そんな連中がいたのか?」

「はい。確かに、御殿場市内で後を尾けて来た輩がおりました。それが、未だに気になっておりまして」

「成程……。緋勇──ああ、龍麻と蓬莱寺では? あの二人も、此処に来ている」

「九龍様も、そのようなことを仰っておられました。あのお二人の可能性が一番高いだろう、と。ですが、最悪──

──最悪、レリック・ドーンの連中だったら、か……」

「はい。尤も、今、この場で我々が如何に推測しようと、どうともならぬことではありますけれども」

「確かに。だが、急ぐに越したことはないだろう」

「……ですな」

彼の、昼間の尾行者に関する問い──正しくは探り──を、きっぱり瑞麗が否定した直後、語らいつつも二人の歩行速度は上がり、与太話ばかりをしている風情だった京梧と龍斗の足も、一層早まる。

「『れりっく』。……九龍が言っていた、悪漢達だったな、確か」

「悪漢の一言で片付けられる連中じゃなさそうだがな。『秘宝の夜明け』とか何とか名乗ってるらしい奴等は、酷く質が悪いそうじゃねぇか」

「だとしても。秘宝とやらの為だけに、悪逆なことでも容易くして退ける連中の程など、高が知れている。違うか?」

「まあな」

真後ろの二人の会話を聞いてはいたのだろう、龍斗と京梧は、一瞬たりとも迷う素振りを見せず、複雑に入り組んでいる路々を正しく選び取りながら呆気無く言い切り、そんな二人の背を見詰めつつ、瑞麗と千貫は、彼等と行き会ったのは、幸だったの不幸だったのか、と秘かに悩み始めた。

嵌めたグローブの厚さだけを頼りにして、一息に、下ろした棍鋼ロープを伝った先は、更に明るかった。

二十メートル近くを滑り下りて、やっと地に足を着けられた九龍は、その事実に一旦は安堵したものの、辺りも一目で見渡せるし、足許に注意を払わず動き回れるのは有り難いが、それは、甲太郎を振り切って追い掛けて来るかも知れない鴉室や劉にとっても同じ、と渋い顔付きになる。

…………甲太郎が、戦いに関しては己よりも長けているのを九龍は知っている。

今回の相手は面識のある鴉室と劉だから、真実の大事にはなりようがないのも判っている。

けれど、甲太郎一人きりでは、例え時間稼ぎのレベルであっても、それぞれの方面のプロである二人を食い止めるのは、難しいだろうと彼は踏んでいた。

「んーー……。取り敢えず、もうこっから先は、簡単には足取り追えないぞー、って思って貰う為に、スプレー缶でも転がしとこっかな。……わざとらしいかなあ。でも、後、こっちに出来ることったら、逃げるが勝ち作戦! しかない────って、ああああああ!」

そして、この予想が正しければ、程無く、二人の内の何方かが、自分を追い掛けて来るだろう、とも考えた彼は、空になったカラシニコフのマガジンを入れ替えながら、例の、未だ多少は毒々しい緑色した蛍光塗料が残っているスプレー缶をその場に放り投げようとして、はた、と動きを止めるや否や、叫び声を上げた。

「無理だって! 逃げられる訳ないって! 弦月さんは氣が読めるの、どうして忘れてた、俺! ルイ先生だって来てるのに、逃げるが勝ち作戦なんか到底無理じゃんか、俺! うわー、困ったぁぁぁ……」

ピタっと手も足も止めた彼が思い出したのは、彼の兄さん達やご隠居達同様、彼等の仲間達も持つ『特殊技能』の一つで、頭の片隅で描いていたぼんやりとした逃走計画は、実行不可能であるのに気付いてしまった彼は、さあ……っと顔を青褪めさせた。

「………………仕方無いなあ……。作戦変更!」

だが、顔色を悪くし、暫くの間、謎で不審な動きをしてから、よし! と彼は何やら思い定め、カラシニコフは構えたまま、一転、緩慢な足取りで奥を目指し始める。

──下り立ったそこは、益々、鍾乳洞としか思えぬ様相で、地面の凹凸は激しく、頭上から下がる岩の柱の数も、行く手を塞ぐ風に壁から地面から盛り上がっている岩々の数も決して少なくはなく。

ジメリとした、肌に纏わり付く重い空気と、荒涼な印象を与えてくる風景の中を、甚くのんびりと進み、

「あー、やっぱり甲ちゃん、振り切られちゃいましたか」

背後から響いてきた足音を振り返った九龍は、追っ手が、鴉室でなく劉であるのを確かめ、僅かだけ、ホッとした感じに頬の強張りを崩した。

「振り切ったっちゅーか、甲太郎が鴉室はんにしてやられたっちゅーか。……まあ、そんなトコかいな。…………くどいようやけど、ほんっま、堪忍な、九龍……」

くるん、と軽い調子でターンして見せた九龍を前に、背に負った青龍刀の柄へと手を掛けながら、劉は、心底申し訳なさそうに、再度詫びた。

「弦月さんが、そこまで気にすることないですって。こっちも仕事ですしね。弦月さんだって、仕事みたいなもんでしょ? ルイ先生が相手じゃ、断り切れないのも判ってます。……でも。龍麻さんと京一さんには、言い付けますからねー」

「……くーろーうー……。やから、それだけは勘弁してぇな……。アニキと京はんに、合わせる顔が……」

「えーー。いいじゃないですか。可愛い嫌がらせですって。兄さん達だって、多分、怒ったりはしないと思いますよ? ………………処で、弦月さん」

「…………何やねん」

「甲ちゃんが、宇宙刑事の相手してくれてる今の内に。ちょーっと、雑談でもしません?」

「雑談?」

「はい。龍麻さんと京一さんがアニキな者同士で。義弟だけの内緒話って奴、しませんかー?」

追っ手が鴉室だったなら『この手』は使えないが、劉が相手だったら未だやりようはある、との、腹の中での思惑を叶えるように、追い掛けて来たのは願った通りの相手だったので。

ちょろっと劉をいびってから、九龍は敢えて、彼が耳を貸さざるを得なくなる物言いを選びつつ、逃げるが勝ち作戦が通用しないなら、懐柔作戦しかないと、にっこりにこにこ、劉へと笑顔を振り撒いた。