一九九九年にユネスコの世界遺産にも登録された、中心部には名高いアンコール・ワットも有する、カンボジアの誇るアンコール遺跡は、言ってみれば、数多の遺跡の集合体のようなものだ。

九世紀頃に建造が始まり、十五世紀頃に放棄された、現在のカンボジア王国の源となった、クメール王朝の首都の跡。

世界遺産に登録されると同時に、二〇〇四年に指定が外されるまでは危機遺産ともされたアンコール遺跡群は、度重なる戦火に見舞われ、又、ベトナム戦争当時やその後の内戦当時にバラ撒かれた地雷の撤去が終了していない為に、未だに損傷の激しい部分も多く、修復作業は現在進行形で、未発掘の遺跡も、存在さえ知られていない遺跡も有している。

──今、九龍と甲太郎が潜入中の遺跡も、アンコール遺跡群の片隅にひっそりとある、ほんの一握りの者にしかその存在を明らかにしていない、かつての寺院跡だった。

その年の一月下旬頃、彼等が所属する世界最大規模のトレジャー・ハンターギルド、ロゼッタ協会より、件の寺院跡の最深部に眠る秘宝に関する要請が通達され、宝探し屋としてデビューした二〇〇四年より数えれば、既に五年近いキャリアを有するようになった九龍と、彼の専属バディである甲太郎は、ロゼッタ協会の要請に従い、カンボジアへ飛んだ。

シェムリアップ州の州都シェムリアップ市は、未だに治安が良いとは言い難いが、それでも、アンコール・ワットを筆頭とするアンコール遺跡を一目見ようと押し掛ける者達その他で賑わう観光地で、植民地として長らくフランスの統治下にあった為、ヨーロッパ資本の店々が立ち並ぶ立派な都市の一つでもあり、二人がカンボジアに入国してよりアンコール遺跡へ向かうまでの道程には、障害一つ無かった。

今回の『仕事場』である寺院跡も、それ程規模は大きくない、言ってみれば小ぢんまりとした遺跡で、潜入も踏破も容易かった。

目指したお宝を手にした瞬間、九龍は思わず、

「あー、楽な仕事ー」

と、暢気に垂れた程に。

……だが。

秘宝の奪取を叶え、来た道を戻り始めて幾許も行かぬ内に、毎度毎度の、「本当に、何処からどうやって嗅ぎ付ける!?」と九龍も甲太郎も問い詰めたくて堪らない『商売敵』、レリック・ドーン配下の武装兵達の待ち伏せを受けた。

それも又、毎度毎度のことだが、『鳶に油揚方式』でロゼッタのハンター達が奪取した秘宝を横から分捕ろうとするレリックの連中と、遺跡内でばったり鉢合わせた途端、物騒な銃撃戦が始まったけれども、それとて、何処までも毎度毎度の話で、戦闘が開始されたばかりの頃は、九龍にしても甲太郎にしても、「絶対、ロゼッタの中にレリックの内通者か何かが潜り込んでるんだ、でなきゃ、何時でも何処でも、まるで変態ストーカーみたいに後を追っ掛けられる筈なんか無い、一体どうなってんだ、ロゼッタの管理体制!」と喚く余裕すらあったが。

十数分後、そんな彼等の、慣れっこになってしまった『毎度の行事』に、暗雲が垂れ込め始めた。

──天香学園在籍時代から変わらず、《力》を駆使しての接近戦が基本スタイルな己の戦い方を少しでも有利にする為に、多人数を相手にする際には活用しているハンドガン、Glock 18C──ハンドガンとしては目一杯物騒なマシンピストルを操っていた最中、突然、甲太郎が顔を顰めた。

銃のトリガーを絞る指先は何とか動かし続けていたが、右手でこめかみを押さえ、その場に踞ってしまいそうなくらい身を折って。

「甲ちゃん? まさか、頭痛?」

「ああ……。……ちっ、こんな時に……っっ」

片目を瞑り、強く頭を押さえる彼の様子に、一瞬にして九龍の顔色は変わり、どうにかこうにか、遺跡の石床を踏み付けつつ姿勢を正した甲太郎は、眼差しのみで九龍にフォローを頼むと、上衣の内ポケットを探って頭痛薬入りのピルケースを引き摺り出した。

蓋を弾き開けたケースから、白い錠剤を直接口の中に放り込んで、彼は、噛み砕いた薬を強引に飲み込む。

けれど、何時まで経っても、即効性の筈の薬は効かなかった。

戦闘最中に襲われた酷い頭痛は、その痛みを増す一方で、とうとう堪え切れなくなった彼は、石柱の影で石床に膝を付く。

「甲ちゃん! しっかりして、甲ちゃんっ!!」

「……俺のことなんか、気にしてんな、馬鹿九龍……っっ」

「あーもー! 黙る! 兎に角、甲ちゃんは黙るっ! 今、何とかするからっっ」

その様に、甲太郎と怒鳴り合いつつ手榴弾を取り出した九龍は、この遺跡が崩壊しようと構うもんか! と武装兵達目掛けてパイナップルをバンバン投げ付け、怯んだらしい相手の銃が沈黙した隙を突いて、甲太郎の腕を引き、石柱の影から飛び出した。

濛々と上がった砂埃を目眩ましに、出口へと続く通路を駆けたが、行く手にはレリック・ドーンの別働隊が待ち構えており、このままでは潜入して来たルートは使えない、と気付いた彼は、懐から高性能端末『H.A.N.T』を取り出す。

遺跡内部の地図を頼りに、脱出ルートを模索しようとして。

「北側……」

「え? 何、甲ちゃん?」

「遺跡の北側に、外部に通じてる隠し通路……が一本、ある……っ。……ここからじゃ、崩れちまってる区画を迂回しなきゃ、ならない……から、遠回りだが、そのルートが一番確実の筈…………」

「甲ちゃん、大丈夫だから。『H.A.N.T』にナビゲーション──

──そんな、悠長なことしてられるか……っ。一々、『H.A.N.T』の画面なんか確認するより、記憶に頼った方が早い…………っっ」

「だけど!」

「……っっ…………。いいから、言う通りに走れ、九龍っっ」

しかし、九龍を制した甲太郎は、自分がナビゲーションをすると怒鳴り、歯を食い縛って前を見据えた。

そうして、レリックの者達から半ば逃げ出すように、『安全地帯』──その小さな部屋に転がり込んで、九龍が扉を塞いだ途端、甲太郎は、ドン、と頽れそうな身を石壁に預けた。

酷く激しい頭痛に耐え得る限界など、疾っくに超えてしまっていたが、暢気に苦しんでいる場合では無い、己の所為で九龍を危険に曝す訳にはいかない、その一念のみで、彼は、体を支えていた。

「甲ちゃん、少し休もう」

「……九ちゃん、そんな場合じゃ…………」

「そこの扉は完璧に塞いだ。少しの間なら、休む時間くらい取れる」

「だから……っ」

「甲ちゃん。──甲太郎。俺の言うこと聞いて」

気力だけを頼りに立ち続ける彼の傍らに寄った九龍は、強い口調で嗜め、少々無理矢理、彼をその場に座らせる。

「済まない……」

「大丈夫。大丈夫だから」

渋々なれど、言われた通りに甲太郎は腰を下ろし、力無く詫びてきた彼のこうべを、九龍はそっと、両腕で抱き抱えた。

「酷く痛む?」

「いや……」

「甲ちゃん。ほんとのこと言え」

「………………そろそろ、痩せ我慢も効かないくらい、だな……」

「そっか…………。……甲ちゃん。やっぱり、病院に行こう。ちゃんと診て貰おう? な? その方がいいって」

「……嫌だ」

「まーた、そういうことを言う……。でもさ、でないとさ……」

「…………判ってる。お前言う通り、診て貰った方がいいんだろうってことも。けどな……」

「うん……。甲ちゃんの気持ちは判るんだけど……。…………判った。今は、この話、無し。ノーカウント」

「そうだな……。……九ちゃん、悪い、少しだけ……」

「あ、うん」

包み込んだ頭を、そっと優しく撫でながら、九龍は、ここから脱出出来たら直ぐにでも病院に……、と言ってみたが、甲太郎は頑に拒否し、その件に関して余り強くは出られない彼は話を流して、凭れ掛かってきた甲太郎を、己の膝を枕に横たわらせた。