「えーーと、何々……?」

ズリズリ畳の上を這って進んで、取り上げたコートから引き摺り出した『H.A.N.T』の画面に、九龍は目を走らせた。

「…………えっ!? 嘘っっ!?」

四つん這いのまま、うーん? と届いたメールを読み終えた途端、彼は、裏返った声の叫びを上げる。

「九ちゃん?」

「え、嘘。何で? 意味判んない。どーゆーことだ、これ?」

「九龍?」

「どうした?」

両手でガッと『H.A.N.T』を握り締め、何やら喚き出した九龍を、事情が全く見えない三人は呼んだが、彼は酷く困惑した顔で、一人ブツブツ言い続けるのみで。

「おい、九ちゃんっ」

「……おあ? …………あ、ああ、御免。……それがさ。甲ちゃん、聞いて下さいな。昨日、ゲットして直ぐに依頼人に送った村正、あるっしょ? 何時も通り、一旦、ロゼッタの支部経由してから、今朝、依頼主の手に渡ったらしいんだけど、突っ返されて来た、って日本支部から連絡がー……」

甲太郎に苛立った声を出されて漸く振り返った彼は、眉間に幾本もの深い縦皺を刻みながら、事情を告げた。

「突っ返された? 依頼品は、妖刀・村正で間違いないんだろう? あの刀は、確かに本物の妖刀だと、守銭奴な骨董品屋も保証してた。なのに、何で」

「は? 村正……? お前等が如月の店で仕入れたクエストの為のブツって、村正なのか? コーコーん時、俺達が押し付けた、あれか?」

「……物好きな人だね」

訳を知り、だと言うなら確かに納得いかない、と甲太郎も眉を顰め、飛び出た村正の名に、高校時代、あれとは少々因縁を持ってしまった京一は本気で渋い顔になり、龍麻も、呆れた風に言う。

「そうです、あれです。あれを──妖刀・村正を手に入れて欲しいって、ロゼッタに依頼してる人がいるの見っけて、村雨さんが、それならJADEさんの所で売られてるって教えてくれて、で、昨日」

「九ちゃん、どういう理由で突っ返されたんだ?」

「……それが。そこが本当に訳が判んないんだけどもさ。…………違う、って」

「違う? 何が?」

「あれじゃないんだって。あの妖刀・村正じゃなくって、別の妖刀・村正なんだって。……甲ちゃん。どういう意味だと思う?」

「どう、と言われても。妖刀は妖刀で、村正は村正じゃないのか?」

「だよねえ……。妖刀は妖刀だよねえ。JADEさんが、紛い物掴ませる筈無いし……。……京一さん、専門家のご意見は?」

「あ? 俺に振るか? ……昔に一寸遭ったから、正直、俺は村正とは関わりたくねえが……。────妖刀だの村正だのっつっても、村正って銘の刀がこの世に一振りしか存在してない訳じゃない。ぱっと思い付くだけでも、靖国神社、東京国立博物館、徳川美術館、その辺に行けば、展示されてりゃ幾らでも眺められる。妖刀伝説だって、軽く胡散臭いのから、まるっきり胡散臭いのまで、山程転がってる」

────あの妖刀は、己が求める妖刀では無い。

……それを理由に、送られて来た品をロゼッタへ返送した依頼人の主張の意味が判らず、宝探し屋達は、この手の話は専門な京一を見詰め、胡座を掻き直した京一は、若干溜息を吐きはしたものの、村正に付いて語り出した。

「聞いてるだけで、それこそ胡散臭いな」

「それって結局、村正の妖刀伝説の、全部が嘘臭い、ってことですよね」

「そうとも言うな。……でも。俺とひーちゃんが如月に押し付けた村正は、確かに妖刀だった。あれは、俺に言わせりゃ、良くねえ。俺の知る限りじゃ、妖刀と言える村正は、あれ一振りだけだ。だから、お前達の依頼人が欲しがってる、あれじゃない村正ってのは、胡散臭くて嘘臭い伝説を持ってる方の村正──要するに、本物じゃなくて紛い物の方、ってことなんじゃねえ? そんなモンがあるのかどうか、とは思うが。村正って銘の刀の全て、妖刀だと思い込んでる奴もいるし、どの村正も、同じ村正だと思ってる奴もいるから、その依頼人も、能く判ってねえのかも」

そういう訳だから、と少々長く喋り、ズーーー、と龍麻が淹れてくれたコーヒーを京一は啜って、

「ふむ…………。本物じゃなくて紛い物、か。……けど、だとすると、どの村正伝説に関わってる刀のこと言ってるのか教えて貰えないと、探すに探せないなあ……」

そんな、間違った意味で難易度の高いこと言われてもー……、と九龍は黄昏れる。

「お帰り。九龍、甲太郎」

と、茶の間の襖が開かれ、水の張られた洗面器を抱えた龍斗がやって来た。

「あ、龍斗さん。ただいまでーーす」

「ただいま」

「済まないな。お前達が帰って来たのは判っていたのだが、寝込んでいる京梧から目が離せなくて」

「その話なら、京一さん達から聞いた。災難だったらしいな」

「お大事に、って京梧さんに言っといて下さい」

「ああ。では、又後で」

温くなってしまった洗面器の水を換えに来たのだろう、何処と無く急いている感じで、龍斗は帰って来たばかりの子供達に声掛けてから、あたふたと茶の間を突っ切り、台所へ消えて行く。

「大変そうだなあ、龍斗さん」

「きっと、気が気じゃないんだろう」

「だね。気持ちは判るし」

彼の背をこっそりと振り返って、ぼそぼそ、九龍と甲太郎は小声で言い合い、

「未だ、熱高いのかな、京梧さん」

「昨日測らせたら、三十九度以上あったからなー……」

「……京一。それってさ、もう、風邪じゃなくてインフルエンザって言わない? 然もなきゃ肺炎?」

「…………かも。ま、でも、馬鹿シショーも体力はあるから平気じゃねえ?」

「だといいけど」

京一も龍麻も好き勝手に言い合って、その時、又、茶の間と廊下を隔てる襖が、ガタリ、と鳴った。

「え、京梧さん。どうしたんですか?」

「シショー、起きてて平気なのかよ。部屋引っ込んでろって」

おや? と四人が顔巡らせたそこには、見るからにげっそりしている京梧が、戸枠に手を付き立っていた。

約四年前、龍斗との『再会』を果たしたあの頃には、肩に付くか付かないか程度の長さだったざんばら髪を、京梧は何を思ってか、『昔』のように伸ばしており、今では胸許辺りできちんと切り揃えられた、普段は丸打の組紐で一つに纏められている赤茶のそれも、汗で湿って首にも頬にも張り付いていて、目付きも肌の色も高熱に参っている者そのもので、息も荒く、「何で起きて来た!?」と、寝間着姿の京梧を一目見るなり、龍麻も京一も腰を浮かせ掛ける。

「あー……? 便所だ、便所……」

「だったら、とっとと用足して、とっとと戻れよ、馬鹿シショー。今以上に風邪拗らせんぞ」

「うるせぇな……。きゃんきゃん言うんじゃねぇ、馬鹿弟子。頭に響くだろうが…………。……それよりも。お前達、村正がどうとか、妖刀がどうとか、言ってなかったか……?」

だが京梧は、しんどそうに、シッシッ、と力無く京一へと手を振って、朧げな目をして子供達を眺めながら、掠れ声でぼんやり問うた。

「ええ、そんな話してましたよ。妖刀・村正を探して欲しいって言われて、如月骨董品店で売ってた奴、依頼人に届けたんですけど、それじゃない、違う、って言われちゃってですね。あれ以外に妖刀な村正ってあるのかなー、って」

「…………ある……。もう一振り、村正の妖刀はある……」

「へっ!? 京梧さん、それ知ってるんですかっ!? 場所とかも知ってます? 何処です? 何処ですかーーーっ!?」

「……伊予だ。伊予国。伊予国一宮。………………だが。絶対に、あれには手を出すな。例え、何が遭っても」

戸枠に身を預け、拗らせてしまった風邪の所為で、ゼイ……、と喉を鳴らしつつ、どうしても定まらぬ様子の眼差しで何とか九龍を見遣ると、もう一振りの村正の存在と、今ある場所を知ってる、と京梧は呟き、だが。

決して、手を出すな、と彼は言った。