「…………? 何でです?」
無意識に、現代と、己や龍斗の『そもそもの時代』を混ぜてしまっている程に具合が悪いのに、その場に踏ん張り続けて忠告をしてきた京梧を、九龍は訝しんだ。
もう一振りの村正には、余程の曰くでもあるのかと。
「何でも何も──」
「──京梧っ。どうして、お前は起きているっ」
「……ああ、ひーちゃん…………。ちょいと、便所……」
「用を足したなら、直ぐに戻れば良いだろうに。お前は……」
が、先程も抱えていた洗面器に、冷たい水と氷と手拭いを入れて戻って来た龍斗が京梧を咎め、京一や龍麻がいる処では、『ひーちゃん』でなく『龍斗』と伴侶を呼ぶようにしている──然もないと、龍斗を呼んでいるのか、龍麻を呼んでいるのか、判らなくなることがあるから──のも忘れ、ぼうっと、眦吊り上げ始めた彼へ渾名で呼び掛けた京梧は、龍斗に引っ立てられてしまった。
「……伊予国。伊予国の一宮。──って、何処のことか判る? 甲ちゃん」
「伊予国は、今の愛媛だ。どの神社が、あの辺りの一宮に当たるのかまでは、俺も知らない」
「愛媛か。四国の瀬戸内海側か。…………じゃ、後でちょっくら、その辺のことを調べてみますか」
「そうだな」
「……お前等、手ぇ出す気か? 止めといた方がいいんじゃねえ?」
「うん。京梧さんも、駄目だって言ってたし」
部屋へとズルズル引き摺られて行く京梧と、彼を叱りながら引き摺る龍斗を、あーあ、と見送った九龍と甲太郎は、早速の打ち合わせを始め、京一と龍麻は、考え直せ、と二人を止める。
「京梧さんのあの感じからして、何か曰くがあるんでしょうけど、曰くも呪いも祟りも、引っ被るのは依頼人ですからー」
「そりゃまあ、そうかもだけどよ……」
「依頼のキャンセルは極力したくないんですよ。ロゼッタのハンターランクにも関わってきますし、ランク落ちちゃうと、報酬も減るんで」
「あ、それは深刻。うん」
「でしょ? 龍麻さん」
「しかし……、本当に酷そうな風邪だな。今と江戸時代の区別が曖昧になってる感じだったし、京一さんや龍麻さんの前で、龍斗さんを、ひーちゃんと呼んでたし」
「熱さえ下がっちまえば、ちったあ違うんだろうけどな。──お、そうだ。それよりも。そろそろ飯にしようぜ」
「あれ、もうそんな時間? じゃ、お昼にしようか。龍斗さんに頼まれてる小豆粥も炊かなきゃ」
けれども九龍は、如月達にも告げた、妖刀にどうこうされるのは依頼人、との主張を再び繰り返して、世知辛いことも言い、だから、うっかり、主に龍麻が、九龍が迸らせた世知辛さに頷いてしまった為、その話は済し崩しになり、そのまま、彼等は昼食の支度へと傾れてしまった。
小言を聞かせ続けながら京梧を部屋へ引き摺って行って、丁度良いからと敷布を取り替え、寝間着も替えさせて……、と甲斐甲斐しく世話を焼いてから、布団に押し込み直した彼が寝入るまで、龍斗は、ずっとその様子を窺っていた。
この世に生れ落ちてから過ごした月日──正しくは『数字』のみを数えれば、京梧も既に今年で五十路だが、五十歳、と言われても信じる者は皆無なまでに見た目は若く、実際、諸々の事情と言う奴の所為で、彼の『実年齢』はこの世の謎と化してしまっているし、身体の年齢とて、どんなに多く見積もっても四十になるかならないかと言った具合で、京梧がそんな風になった理由の半分──否、今となっては、『その理由の殆ど』は、他ならぬ龍斗にある。
それに加え、健康体の見本としか言い様の無い龍斗程では無いにしても、彼とて体は頑丈に出来ている方で、滅多には体調を崩すことも無い。
九龍や甲太郎に言わせれば、「体力馬鹿」と相成るくらい強壮だ。
でも、龍斗は不安で仕方無かった。
今の世は『昔』とは違い、医術も薬も良いし、風邪で命を落とす者は極々稀だと頭では判っていても、幕末の頃は風邪で息絶える者も珍しくは無かったから、思考や習慣その他が、どうにも当時から抜け切れない彼にしてみれば、酷い風邪と言うのは一大事で、子供達には、「それは幾ら何でも迷信以外の何物でも無い」と止められるだろう『風の神祓い』の呪
風邪を引いた切っ掛けが、草履の鼻緒が切れる、と言う、縁起の良くないことにあったのも嫌だった。
こうやって寝かせておくだけでは……、と思うなら、桜ヶ丘
理性の理解と、感情の理解は、龍斗にとっても別物で、占めた枕辺から少しだけ身を乗り出し、京梧が寝息を立て始めたのを確かめると、彼は、氣も気配も足音も消し、そっと立ち上がると部屋の障子と窓を少しだけ開いて、暫し『虚空』と何やら話し込んでから、ひたすら氣や気配を絶ち続けつつ京梧の枕辺に戻り、先程以上に深く身を乗り出した。
眠ってしまった彼の唇に自身のそれを合わせ、丹田で練り上げた内丹を静かで長い息に乗せて、京梧の中へと送り出し────。
「…………ひーちゃん」
──けれども、唇と唇が離れる寸前、布団の中から伸ばされた腕が強く龍斗の肩を掴み、眠った筈の彼が、ぱちりと瞼を開いた。
「京梧……」
「ひーちゃん。…………龍斗。お前、今、何した」
傍目には、少しばかり長いだけの接吻
「何……、と言われても」
「……龍斗。俺は別に、怒ってる訳じゃねぇぞ」
ったく……、と怠い体で何とか踏ん張り起き上がって、彼は、ばつ悪そうに俯いてしまった龍斗を膝に引き摺り上げた。
「…………あの。その……」
よいせ、と小さな掛け声と共にズルリと腕を引かれ抱き抱えられ、益々、龍斗は面を伏せる。
「だから。怒ってる訳じゃねぇっつってんだろうが。────なあ、龍斗。この際だから尋ねとく。前々っから、きっちり話しとかねぇと、とは思ってたんだがな。お前が『仕出かしやがった今』が、一番いい機会だ。……龍斗。お前、今、何をした? そして、どうして俺は『歳を取らない』?」
「それ、は…………」
「昔みてぇに、お前と二人、こうしていられるようになって、もう直ぐ四年になる。数えだけなら、俺の歳は今年で五十だ。でも。四年も前のあの時から、伸ばした髪以外にゃ俺の見て呉れには変わりが無い。…………本当だったら、あの年の春、俺はあの世へ逝く筈だった。けれど、お前のお陰で、こうして生きてる。……あの時、言ってたな。お前の中に流れてる龍脈に等しい『何か』を使えば、俺とこの世とを繋ぎ止めておけると。──龍斗。今さっきの仕出かしは、あの時にお前がしたことと、似たり寄ったりじゃねぇのか? あれから四年が経っても俺が『歳を取らない』のは、俺に内緒で、その『何か』を使ってるからじゃねぇのか」
時折咳き込みながら、深く俯いてしまった龍斗を、あーもー……、と子供相手にする風にあやしつつ京梧が始めたのは、そんな話で。無言のまま、こくりと、龍斗は小さく頷いた。
「……始めの内は、お前自身の中の『命を支えているモノ』と言うか……、兎に角、そんなようなモノの面倒を、折に触れて見ていただけだったけれど。その、段々、欲が出てしまって……。せめて、私の歳がお前の『体の歳』に追い付くまで常に『それ』に手を貸し続ければ、お前と私の寿命の差も縮まるのではないか、と思ってしまって、だから、あの──」
「──龍斗。もうちっと、俺にも判り易く言え……。……要するに、あれか? 欲を掻いちまって以来、お前は常に、お前と俺と、二人分の命を支えてるようなもんってこったな?」
「……………………有り体に言えば、大体、そんなようなこと……と言えるような、言えないような……? ……寿命と言うよりは、不老長生……と言うか……?」
再会を果たしてより約四年、二人揃って酷くは体調を崩さずに来られた為に、双方共に敢えて触れずにいたことを、いい機会だから、と晒された挙げ句、京梧には内緒にしておいたことまで問われてしまって、渋々、隠し事を打ち明けた龍斗は、若干挙動をおかしくし、畳の縁だけを見詰め始めた。