「っとに、お前は……」

起き上がった弾みで、乗せられていた額から自身の胸許に落ちてしまっていた、冷たく濡れた手拭いを、ぽい、と洗面器の中に放り投げつつ、京梧は呆れの滲む吐息を吐いて、

「お前に黙って勝手をしたのも、それを隠していたのも、済まないと思っているけれども……」

ぼそぼそと、龍斗は言い訳を始めた。

「何度も言ってるぞ。怒ってる訳じゃねぇって。一度ひとたび、お前の中の『何か』の力を使ったら、何時までも『それ』を続けなきゃならねぇかも、みてぇな話はあの時に聞かされたし、俺は俺で、そうなった処でいっそ本望と言ったろうが。俺の命も体も、お前の好きにすりゃいい。……だから、そこじゃなくて。何時でも、てめぇと俺と、二人分の命の面倒見てるくせに、高が風邪程度で、さっきみたいな仕出かしまでするんじゃねぇ、っつってんだ」

だが、京梧はぴしゃりと言って、言い訳がましい彼を黙らせる。

「今は、あの頃じゃない。風邪くらいでおっ死ぬ奴なんざ早々はいない。食い物だって薬だって医者だって、『昔』よりゃ遥かにいい。食うもん食って、寝てりゃ治るんだ。案じてくれんのは有り難いが、お前の思い付きは大袈裟過ぎる。もう少しだけでいいから、『それなりのやり方』ってのを覚えろ」

「……それなりのやり方、と言われても………………」

「些細なことにまで、お前だけの力を使わなくてもいいってこった。てめぇだけで色々を背負い込むなっつってんだよ。それこそ、却って俺の寿命が縮んじまうぞ。…………って、あー、くらくらしてきやがった……」

──先程の龍斗の仕出かしのお陰だろう。あれからその刹那まで、大熱も風邪そのものも何処かに忘れてきたかの如くに振る舞っていたけれども、『未だ足りなかった』のか、龍斗相手に説教を垂れ出して直ぐ、京梧は、ばたりと真後ろに倒れ込んだ。

「京梧! 無理をするから……」

べちゃり、音を立てて布団に転がり、激しく咳き込み始めた彼の背を摩ってやってから、「京梧はああ言うけれど、後でもう少し、こっそり『足して』おこう」と無邪気に思って、又熱が上がってきたらしい京梧の説教などこれっぽっちも身に沁みない処か、恐らく理解も出来ていないのだろう『メルヘンの世界の人』は、昼食代わりの粥と薬を取りに、部屋を出て行った。

悲しいかな、『人間世界の常識』が今一つ飲み込めない、ヒトよりも、当人曰くの『みな──動植物や神仏や、善し悪し全て引っ括めた精霊の皆さん各種──との関わりの方が遥かにディープな、生まれ付いての『メルヘンの世界の人』が、伴侶の説教を無視して『ディープ過ぎる思い付き』を続行したのだろう。

翌日、京梧の体調は大分良くなって、が、床上げは未だ出来ず、御隠居達は部屋に籠ったままだった。

それを、これ幸い、と思った訳では無いが、前夜も、その日の朝早くからも、九龍は、甲太郎の体調を窺いつつも調べ物に勤しんで、正午過ぎ、カレー馬鹿な相棒が嬉々として拵えたカレーを頬張りながら、巻き添えを喰らわした兄さん達相手に、あーだーこーだを始めていた。

「ちょこっと調べたら直ぐに判ったんですよ。伊予国の一宮は、大山祇神社おおやまづみじんじゃだって。すんごく由緒正しい神社で、あの辺りの一宮ってだけじゃなくって、日本の総鎮守なんだそうで」

「ふうん……。で? その神社さんに行くつもりなんだ? 九龍達は」

「ええ。京梧さんが、そこに、もう一振りの妖刀・村正がー、って言ってましたから、行かない手は無いかと。国内ですし、特別な装備とかも要らないっぽいんで、昼飯食ったら、ちょっくら向かってみようかなー、と」

「……お前等だけでか?」

しかし、九龍の毎度の『あーだこーだ』も今回は甚く簡潔で、四国だから、今からでも行けなくはないか、と龍麻は暢気に言い、彼とは真逆に、京一は考え込む。

「はい、そうですけど。……京一さん、何か気になることでも?」

「いやな、俺自身が村正絡みで痛い目見たことあるし、馬鹿シショーもあんなこと言ってたから、こう……心配っつーか。考え過ぎかも知れねえけど、今日明日は特に予定もねえから、付き合った方がいいかも、って思うっつーか。明後日にゃ、小蒔に頼まれてる仕事があるから、新宿署行かなきゃならねえんだけどよ。それまでに片付くなら」

「ふむ……。なら、甘えさせて貰っちゃおうかなぁ……。明日には片付く仕事の筈ですし、明後日は、甲ちゃんが桜ヶ丘に予約入れてるんで、俺達も、何がどうなっても一旦はこっち戻るつもりですから。……どう思う? 甲ちゃん」

「……付き合って貰うのが、無難……だな。仕事自体はそんなに大袈裟なものじゃないが、ブツがブツだから、俺達よりもそっちには詳しい京一さんに、同行して貰った方がいいんじゃないか?」

「確かに。……京一さん、お願い出来ますか?」

「ああ、いいぜ。ひーちゃん、どうする?」

「あ、俺も行く。四国って、行ったこと無いんだよね」

「…………観光しに行くんじゃねえぞ?」

「判ってるってば。……愛媛って言ったら、やっぱり蜜柑かな。瀬戸内だから、魚とかも美味しいよねぇ」

「だから、ひーちゃん、そうじゃねえ……」

カレーを掻き込みながらの京一が、ほんの少々過保護めいたことを言い出した所為で、今から四国に行くと決めた宝探し屋達に、彼も、観光気分の龍麻も引っ付いて行くことになり。

何処に何をしに行くか、一から十まで告げてしまったら、龍斗経由で京梧に話が届き兼ねないので、その日も、ぱたぱた伴侶の看病に勤しむ隠居の片割れには、一寸仕事に行って来る、明日には戻るから、とだけ告げ、至極簡単な支度を整えると、午後一時過ぎ、四名は西新宿を発った。

多分だけれど、飛行機を使うのが一番早いんじゃないかな、早めに着ければ、向こうで色々堪能する時間も取れるかもー、と。やはり観光気分で羽田空港へ向かい、午後三時過ぎに離陸する松山空港行きの便の席を確保して、午後四時半過ぎ、定刻より少し遅れて到着した松山空港にてレンタカーを借り受け、松山自動車道やしまなみ海道と言った有料自動車道路をちょいとばかり飛ばしながら行き、午後八時頃、四人は、瀬戸内海に浮かぶ大三島──愛媛県今治市大三島に乗り込んだ。

観光客相手の店は殆どが閉店してしまっていたが、飲み屋の類いは未だ開いていて、瀬戸内海の幸ー! と盛り上がりまくった龍麻と九龍は、一目散に海鮮料理も振る舞ってくれる感じの店へと突進してしまって、ラーメンとかカレーとかでいいじゃないか、と渋りながらも京一と甲太郎は、彼等の『海の幸堪能』に付き合って。

「ここまで来て今更だけど、能く能く考えてみたら、このクエストの経費、結構掛かっちゃってない? 却って足が出るんじゃ」

「あー……。そんな気がしますけど、もう、こうなったら意地ですな。例え赤字になっても、ゲットしないとです。依頼品を依頼主に送ったのに、違う、なんて突っ返されたまんまじゃ、俺の、宝探し屋としてのプライドが」

「でも、赤字は良くないような」

「……龍麻さん、最近、ぶっちゃけて言えば細かくなりましたなー……」

「まあねぇぇぇ……。俺だって、あんまりなことは言いたくないけど、倹しく生きてると、どうしてもねー……。別に、お金に興味は無いんだけどさ……」

「………………頑張りましょう、ローン返済。あれさえ終われば……!」

「……うん。あれさえ返し終われば……っっ!」

仕事はこれからなので、誰も酒には手を出さなかったものの、こっちが美味しい、あっちも美味しい、とやりつつ、何時しか、龍麻と九龍は酔っ払いの繰り言のようなことを言い合い始め、

「ひーちゃんも九龍も、何しに来たつもりでいるんだか……」

「食うだけ食えば、あの管巻きも忘れるだろうから、放っとくに限る。突っ込んだ処で、今の九ちゃんと龍麻さんには、多分、火に油だ。ローンだの何だのの話は、少し耳に痛いしな」

「……確かに、耳に痛い」

そんな二名を、素面のまま出来上がってやがる……、と苦笑しつつ眺めながらも、京一も甲太郎も、その手の愚痴には触れたくないと、然りげ無くそっぽを向いた。