颯爽と、では無く、そそくさと大樹の根元より逃げ出して、道すがら、もう一回、「神様、御免なさい!」とやってからレンタカーに戻り、人家の無い辺りまで走らせた車を再び停めた四人は、トランクに放り込んでおいた、頂いたばかりの『お宝』の箱を、そろそろと開いてみた。
今にもバラバラになりそうな細長い箱の中に納められていたのは、紫色の絹地に包まれた、シルエットからして一目で刀と判る物だった。
「この場で、これが本物かどうか、俺達でも確かめられる方法あるのかな。銘とか見ればいいのかなあ……」
「村正の銘が入ってるからって、本物とは限らない。出来のいい贋作だってあるからな。……まあ、確かめるくらいなら俺にも出来るだろうけど。嫌な氣の刀だから、妖刀の類いには違いないだろうしよ」
ブツが刀なのに間違いは無さそうだけど、村正か否かの真偽を確かめるには……、と手には取らずに九龍は悩み、京一は、自分でも見定めくらいは出来る、と言いつつも、どうにも触れたく無さそうな素振りを見せて、
「なら、試しに俺が抜いてみようか」
二人がブツブツ言い出したのを横目に、「京一はもう、村正は御免だろうなあ……」と、高校時代の出来事を思い返した龍麻は、刀を包む絹地に手を掛けた。
「龍麻さん、平気か?」
「うん。ヤバそうなブツだけど、持つくらいなら平気そう。如月に押し付けたあれも、俺が持ってる分には大人しかったしね」
どうして、そこまで京一が村正を毛嫌いするのかの理由は知らないが、それなりの訳があるのだろう、なら、龍麻にも良くないのでは、と咄嗟に考えた甲太郎は彼を止めたが、心配無いよ、とにっこり笑んで、開いた絹地の中から、龍麻は『それ』を取り上げる。
「鎖が巻き付いていないだけで、骨董屋の所から仕入れた奴と、見た感じは殆ど一緒だな」
「鎖? そんなの付いてたんだ? 如月、何でそんなことしたんだろう。……ま、いいや」
「あ。龍麻さん、抜いちゃいます?」
「え? 抜く? ……って、おい。ひーちゃん、一寸待て」
彼の手によって姿見せたそれは、日本刀、と言われれば大抵の者が想像するだろうような見た目をしており、例えば札が貼付けてあるとか、縄や紐で縛って容易には抜けなくしてあるとか言ったこともされておらず、あっさり柄を握って抜こうとした龍麻を、今度は、九龍とのブツブツを慌てて止めた京一が制した。
「京一、何で? 持つのが俺なら、多分、問題無いと思うんだけど」
「確かに、ひーちゃんは大抵のもんに勝つけどよ。──今……っつーか、現代ではの話で、昔はどうだったかまでは知らねえけど、刀を仕舞い込む時には、普通、白鞘に入れんだよ。柄も白木の柄にする。白鞘は、『休め鞘』っつってな。刀は、古い拵えに入れたまんまにしとくと錆が浮き易くなるから、休め鞘に入れるんだ。そうしときゃ、万一錆が浮いて抜けなくなっても簡単に割れるから。でも、それのは塗りの鞘だ。桐箱が腐っちまうまで土の中に埋められてたなら、錆び付いちまってて抜けない。けど、もしも、それでも抜けたら…………」
「……もしかして、『只の妖刀』以上かも、ってこと……? 京一の考え過ぎじゃなくて?」
「さあな。お前相手に考え過ぎって言われちまえばそれまでだが、兎に角、気楽に抜こうとすんな。馬鹿シショーの言い分も引っ掛かるしよ」
「うん。判った。じゃあ、一回仕舞って────。……えっ!?」
長い間地中に埋められていた刀が、万が一、至極あっさり鞘より抜けたら、それは『普通の刀』では有り得ない、妖刀なんて例えでも追い付かないブツかも知れない、と京一に言って聞かされ、成程……、と龍麻がトランクの中に刀を戻そうとしたその時。
カタ……と、今は未だ彼の手にある『それ』が鳴った。
瞬く間に激しさを増したその音は鍔鳴りの音に似ていて、されど鍔鳴りなどでは無く。
刀そのものが、自ら震える音だった。
「うわ、これ、ホントにヤバいかもっ」
「ひーちゃんっ!」
独りでに揺れ出した『それ』から、パッと、龍麻は放り投げるように手を離したが、ガシャリとトランクの床で跳ねた刀は、衝撃故か、それも又独りでにか、するりと鞘から抜けた。
開かれたままのトランクルームを薄く照らす、オレンジ色の淡い光を弾く刀身には、錆は固より、曇り一つ無く。
「馬鹿野郎っ、お前等、ぼさっとしてんな!」
「京一さん!」
何時でも抜けるように腰に差しておいた自身の刀を抜き去って、京一は、トランクルームを取り囲んでいた三人を押し退けると、音も無く宙に浮き上がり、龍麻へ切っ先を向けた『それ』を叩き落すべく得物を振り、自分達を庇った一、二秒分だけ、京一は『間に合わない』と見た甲太郎が、振り上げた足でトランクリッドを蹴り閉めた。
向かい来る刃を迎え撃った刃が弾き、長いが故に、自らの意思で以て龍麻に襲い掛からんとした刀の柄は、激しい音を立てて下りたトランクリッドと車体に挟まれ軌道を逸らす。
「京一っっ!」
「……っぶねー…………。……っとに、マジで碌なもんじゃねえな、妖刀なんざ」
「京一さん、無事ですかっ? 甲ちゃんは?」
「俺は平気だが……。……京一さん、一寸見せてくれ」
妖刀の蠢きは、何かに──例えるなら最期の足掻きに似ていて、弾かれた刀がトランクリッドに挟まれた瞬間、京一も甲太郎も飛び退ったので、上手く退けられた筈だと判ってはいても、龍麻も九龍も京一の傍へ駆け寄り、やっぱり妖刀になんか関わるんじゃなかった、とブツブツ言いながら得物を納めた彼の左脇腹辺りを、甲太郎は直に触れて確かめた。
「甲ちゃん?」
「おい、何やってんだ、甲太郎」
「……いや、無事ならいいんだ。あの刀の切っ先が、あんたの脇腹を掠めたように見えたから」
飛び退った刹那、弾丸をも避け切る動体視力を有する甲太郎の目には、妖刀が京一の体を掠めたと映ったが、触れてまで確かめた体の何処にも怪我一つ無く、彼が羽織っていたコートにも斬れた痕は見当たらず、この闇だから見間違えたのかも知れない、と甲太郎は安堵の息を吐く。
「えっ? 京一、本当に平気っ!?」
「ああ。平気……だと思うぜ? 別に何処も斬れてねえし、コートだって無事だしよ。……ほら」
「………………うん、何処にも掠った痕すら無い。……あー、良かった。俺が迂闊に取り上げちゃった所為で、京一に何か遭ったら……」
「大丈夫だっつーの。何なら脱ぐか?」
「……えー…………。ここで、京一のストリップは一寸。って言うか、そんなことまでしなくていいってば。無事なら、それで」
『目』の良い甲太郎に、そんな風に見えたから……、と言われ、京一自身も己の腹を見下ろし首を傾げ、龍麻は、ペタペタと叩かんばかりにして彼の体を確かめてから、馬鹿な冗談を言った相方を睨みつつも、あからさまにホッとしてみせた。
「京一さん、ほんとに無事です?」
「くどいって。無事だっての」
「なら、いいですけど……。何か済みません、巻き込んだ挙げ句にこんなことになっちゃって……」
「んなこと、一々気にすんな。俺達もお前達も、こんなんは何時ものこったろ」
何時しか蠢きを止め、嫌な氣を放つだけの『只の古い刀』の如くになった妖刀を、少々及び腰で取り上げ大急ぎで鞘に突っ込み、トランクの片隅に放り投げて、バン! とトランクリッドを閉めてから九龍は京一へと向き直り、こんな騒ぎ、自分達には珍しくも何ともないと、しつこく心配された彼は苦笑する。
「ま、でも。そいつは、とっとと手放すに限るぜ。さっさと、ロゼッタだか依頼人だかに送っちまえ、九龍。もう、確かめたり何だりも面倒臭ぇから、それが依頼品に間違いないって押し通せ。何がどうなろうと、要は、ハンターランクが下がらなきゃいいんだろ?」
「そうですな。最初に送ったのと、これの他には、『本物の』妖刀・村正はこの世の何処にもありません! って言い張っときます。──んじゃ、戻りますか」
但、何時までも手許に置いておくのは良くない、と彼が言うので、とっとと東京戻りましょー、との九龍の号令に皆も頷き、何処と無く急く風に、四人は車に乗り込んだ。