「…………へー。神鳳君、お医者さんになるんだ。でも、何でここ?」
「五年前の『あれ』の後、お二人にここへと連れて来られた時から、ずっと考えていたことなんです。岩山院長が為さる霊的治療を目の当たりにして、この病院でなら、僕の《力》も、人──生きている者の為に生かせるかも知れない、と。院長先生だけでなく、ここには、高見沢さんも比良坂さんもいらっしゃいますしね」
「あー、成程な。確かに、ここは『お前向き』の職場かもな」
そういう訳で、と神鳳に告げられた龍麻と京一は、「成程……」と、しみじみ納得を見せ、
「ええ。大学の講義にゆとりがある時しか来られませんし、僕は未だ医学部の五年生ですから、本当に見習いですけれどもね。……処で、お二人は、今日は? 高見沢さん達から、先日、龍さんと皆守君も診察に来たと聞いていますが、又、何か厄介なことでも?」
「ううん。俺達も九龍達も、特別なことが遭って桜ヶ丘に、って訳じゃなくて、一寸したことで、って奴。──あ、そうそう。たか子先生、いる?」
「いらっしゃいますよ。お呼びして来ますね」
「悪りぃな、神鳳。ちょっくら頼むわ」
ほんの少々だけ立ち話をしてから、二人の求めに応じ、神鳳は、たか子を呼びに行った。
「何だい。今日はお前達かい? 全く……、ここは万の病院じゃないんだ、何の用なんだい?」
「あ、ダーリンに京一君だぁ。おはよぉ」
「おはよう、高見沢さん。おはようございます、たか子先生」
程無く、彼等の目的の相手、たか子と、彼女と共にいたらしい舞子がロビーにやって来て、僅かにムッツリした顔の院長と、えへへー、と嬉しそうに笑う看護師と言う組み合わせ相手に、龍麻が用件を切り出そうとした横で。
「あ、悪りぃ、ひーちゃん。その前に一寸電話。小蒔の奴に、俺じゃなくて馬鹿シショーが行くって、あっちの師範に伝えといて貰うか……────」
そうだ、一つ、済ませておかないといけないことを忘れていた、とコートのポケットから取り出した携帯で電話を掛けつつ、向き直った龍麻に話し掛けた京一は、言葉半ばで、ふっ……と、突然瞼を閉ざし、小蒔の携帯を呼び出し始めた自身のそれも、常に携えている得物も手から零して、その場に頽れた。
「……京一? ────え……。京一? 京一!」
それは、本当に余りにも唐突な出来事で、その場に居合わせた者達の誰もが、一瞬、何が起こったのか理解出来ず、リノリウム張りの床に彼の体が叩き付けられる音が辺りに響いてより更に一拍程置いてから、ハッと我に返った龍麻が、焦り顔で跪き、大声で彼の名を呼びながら体を揺すっても、京一からは、反応の一つも返らなかった。
後十分もすれば、時計の針が午前九時を指すと言う頃、漸く起きて来た龍斗に、外出の支度を終えた京梧は、新宿署へ出掛けるから、と告げていた。
「お前が? 何故? 今日、ええと……警察? に行くのは、京一だった筈だが」
「それが、ちょいと遭ってな。馬鹿弟子の奴、どっか具合をおかしくしてる風だったから、岩山の所に行かせた。行かせたっつーか、龍麻に引き摺ってかせた。……だから、俺が代わりに、な」
「具合が悪い……。……お前の風邪を、貰ってしまったとか?」
「……そんな風でも無かったな。あの馬鹿にゃ、これっぽっちも覚えが無い様子で、俺にきつく言われるまで逆らってやがったし、龍麻も、心当たりは無さそうだった。言い付けた俺自身、何処がどう、とは言えねぇんだよ。但、あいつの構えだけが、何かおかしいと物語ってたから行かせたってだけでな」
「でも…………」
「『でも』? ……ひーちゃん? 何か、気になることでもあんのか?」
「気になる、と言うか。目が覚めてからずっと、何やら『騒がしい』から。だと言うなら、『皆』も、私の『身内』の一人の京一を案じてくれているのだろうとは思うのだが、どうにも、こう……大仰な騒ぎ方のような……。本当に珍しいことに、私にも『皆』が何を騒いでいるのか、はっきりとは判らぬのだけれど」
「………………でも、ま、平気だろ。大抵のことは、岩山に任せときゃ何とかなる。遅くたって、昼までにゃ帰ぇって来るって」
「だと良いが…………」
茶の間にやって来て直ぐさま茶を淹れ出した龍斗は、事の成り行きを聞き終えた直後、酷く不安そうな顔になって、
「──京梧。お前の出稽古に、私も付いて行って良いか? 仕事が終わったら、そのまま、桜ヶ丘に連れて行って欲しい」
考え込むようにしてから、彼は、用が済み次第、桜ヶ丘へ、と乞い出した。
「お前が、そうしたいってなら、別に構わねぇが……。……その代わり、大人しくしてろよ。余分なこと言うんじゃねぇぞ」
「判っている。支度をして来るから、少し待っていてくれ」
毎度の『皆』とやら同様、龍斗自身も大仰なことを言う、とは思ったものの、それで彼の気が済むならと、『引率役』を京梧は承諾し、支度を終えた二人は道場を出て、先ずは、と新宿警察署へ向かった。
数年振りに再会したのに、食事だけで「じゃあ、又」と言うのも寂しいから、少しだけでも飲もうと、張り切って──主に九龍が──夕薙を誘っておきながら、ホテルの彼の部屋で飲み始めて程無い内に、とうとう睡魔に打ち負け床で爆睡してしまった九龍と甲太郎の二人は、午前十時を過ぎた頃に目覚め、何はともあれ風呂を貸してくれ、とバスルームを占拠させて貰って寝惚けた頭をすっきりさせてより。
「御免!!」
盛大に迷惑を掛けた夕薙に──やはり、主に九龍が──詫びていた。
「ほんっと、御免な、大和っ。まさか、大和の部屋で、俺も甲ちゃんも爆睡しちゃうとは思わなくって……」
「九龍、余り気にするな。そういうことだってあるさ。俺達の仕事は、ハードな肉体労働みたいなものだからな」
顔の前で拝む風に両手を合わせ、繰り返し詫びる九龍に、夕薙は苦笑を返し、
「まあねー。それは確かだけど。そういう風に言って貰えると俺も気が楽だけど。そういうことなら、って済ませちゃうのも、何か、こう……」
「俺は事実を言っているだけなんだが……、そうだな、どうしても気になると言うなら、九龍。今度、甲太郎をバディに貸してくれ」
一転、ニヤリと笑ってから、彼は九龍をからかい出す。
「それは駄目」
「断る」
今回のことをチャラにする代わりに、甲太郎をレンタル、と言われ、彼は冗談を言っているのだと判っていながらも、九龍も甲太郎も、真顔で即答した。
「ははは。冗談だ、判ってるだろう? 俺だって、お前達の噂は聞いているからな」
「噂? どんな?」
「『専属バディ』を取り上げると、葉佩九龍は職場放棄する、とな。一回、やったんだって? 統括部の本部長が、一度限りの約束で、どうしても、と新人ハンターに専属バディ殿をレンタルさせたら、甲太郎が帰って来るまで仕事はしないと叫んで、ロゼッタの本部を飛び出したそうじゃないか。……そんなこと、前代未聞だそうだぞ、九龍」
「…………あー、あの時の話。……だってさー、あれはさー…………」
「……ま、前代未聞だろうな、あんな馬鹿をやらかすハンターなんか。──九ちゃん、頼むから、もう少し後先考えてから行動してくれ。噂とは言え、未だに、あの時の話が蔓延してるなんて、恥もいい処だ」
「そう言う、お前の噂も蔓延してるぞ、甲太郎。葉佩九龍のバディ殿は、相棒以外には『平等』に冷たくて素っ気無くて、少しでもちょっかいを出そうものなら、三倍返しにされる、と。……本当に相変わらずだな、二人して」
「それの、何が悪い? 九ちゃん以外のハンターなんか、俺にはどうでもいい」
「……うん、まあ、その。甲ちゃんも俺も、相変わらずっちゃ相変わらず。ハハハハハ」
夕薙の冗談をとば口に、三人は、適当に居場所を占めたホテルの客室にて他愛無いやり取りに興じていたが。
「あ、そうだ。用事あったんだっけ。──御免な、大和。俺達、この後行く所があるから、又今度なー」
「じゃあな、大和」
「ああ、又。その内にな、二人共」
桜ヶ丘中央病院に、甲太郎の診察予約を入れていた日だったのを思い出した九龍は、もう行かなきゃ、と『荷物』を抱えて立ち上がり、甲太郎と共に夕薙に別れを告げた。