舞子と神鳳が、医局の更に裏手にある職員の為のロッカールームに、それぞれの私物の携帯を取りに行った時、時刻は凡そ午前十時──九龍と甲太郎が目覚める少し前で、神鳳が九龍の『H.A.N.T』にメールを打ってみても甲太郎の携帯を鳴らしてみてもアクションは無く、真っ先に連絡が付いたのは、舞子が電話を掛けた、龍麻の義弟の劉弦月だった。

二月の中頃と言えば、乙女の祭典・バレンタインデーの時期、新宿中央公園にて『ひよこ占い』を営んでいる劉も、「意中のあの人に告白したいから運勢を占って欲しい!」と求める少女や女性達に押し掛けられる繁忙期で、舞子の電話に出た彼は、平日の午前中だと言うのに始めの内は忙しそうに受け答えていたが、事情を知るや否や、

「今直ぐ、そっち行く!」

と、大慌てで電話を叩き切った。

それより過ぎること約三十分、速攻で駆け付けた彼は、中央公園からの道中、手当り次第に仲間内に連絡を取ったようで、劉が桜ヶ丘へやって来てから更に数十分が経った頃には、仲間達の幾人かが院の門を潜った。

大抵の者は仕事に忙しい平日だったので、訪れたのは融通の利く職の者達のみだったが、それでも、劉の恋人であり織部神社の巫女の織部雛乃、自身の都合で店を開け閉め出来る如月、M+M機関の退魔師の壬生紅葉、ギャンブラーの村雨、『新宿の魔女』として名高い占い師の裏密ミサが、桜ヶ丘の特別入院病棟に集まり、彼等より暫し遅れはしたが、何とか時間を拵えたらしい、希代の陰陽師で財界のプリンスとも言われている御門晴明、彼の秘書でもある式神の芙蓉もやって来て、劉と舞子を加えれば計九名もになった一同は、たか子より改めて事情を聞き出し、龍麻にも、代わる代わる接して知ることを打ち明けさせようとした。

けれど、彼の話は何処か支離滅裂で、問いと答えも上手く噛み合わず、病棟廊下の隅に固まった一同は、思った通りだ、と顔を見合わせる。

唯一である京一が倒れただけでも龍麻にとっては大事なのに、たか子でも京一の処置をし倦ねているとなれば、彼がどうなってしまうか、仲間達には容易に想像が付いた。

…………『あの年』の一連の出来事の終わり──柳生崇高や、陰の黄龍の器や、黄龍そのものとの戦いを終えたあの時、命を落とし掛けた京一を目の当たりにした彼は、錯乱し、その身に内包したばかりの黄龍の力を暴走させ掛けた。

そんな彼を正気に戻したのは京一自身で、しかし、舞子の話では、今、京一は龍麻の呼び掛けにも応えないのだから、このままでは、龍麻の中の黄龍が目覚めてしまうかも知れない。

いいや、目覚めるだけなら未だしも、『あの時』のように、黄龍の暴走と言う最悪の事態も考えなくてはならないかも知れない。

『陽の黄龍の器』で、『今生の黄龍』となった彼は、戦う者としても、心の内も、比類無き、と言える程に強くはあるが、京一の身に何か起こる度、周囲が唖然とするまでの弱さや脆さを露呈するから……────

────そう、そんな想像が容易に付いたから、劉も、劉から報せを受けた一同も、息急き切って桜ヶ丘へ駆け付け、龍麻の様子をその目で確かめ、悪い予感に誤りは無かった、と一様に顔を曇らせて。

「……アニキ、刀がどうのこうの言うとったけど。何のことやろか」

「刀……。…………まさか、あれか? 宝探し屋の小僧共が如月の店に買いに来た、妖刀・村正。……もしかして、俺は、拙いこと小僧共に教えちまったか……?」

「…………いや。葉佩君と皆守君が買い取って行ったあれが、京一に何かをしたなら、岩山先生なら対処出来る筈だ。多分、あれじゃない。別の刀だ」

「でも。本当に、何かの刀──恐らくは日本刀が関わっているとしたら、如月さんの店にあった村正以上の妖刀、と言うことになりますよ。……そんな物の心当たり、ありますか? 村正以上の妖刀、なんて」

「……少なくとも、わたくしは存じません。ですが、もしも、そのような刀が本当にありますなら、皆様の何方かお一人くらいはご存知の筈。何よりも、そのような刀と関わりになったならば、その際に、蓬莱寺様がお気付きになられるのではありませんか? 私達の中で、誰よりも日本刀にお詳しいのは、蓬莱寺様です」

「確かに。蓬莱寺は刀を扱う者ですから、その彼が、そのような物と関わって、為す術無くああなったと言うのも、それに関して緋勇が何一つも聞かされていないと言うのも、おかしな話かも知れません。私も、それ程までの妖刀の話など耳にしたこともありませんし。……ですが、今はその話よりも、緋勇の『あれ』を何とかする方が先ですね」

「そ〜ね〜……。御門く〜んの言う通りね〜〜。ミサちゃ〜んの占い通りなら〜、もう少し〜すれば〜、何とか〜なる筈だけど〜……」

龍麻やたか子達が詰める病室から少々離れた所で、自分達のやり取りが決して龍麻には聞こえぬようにと、彼等は、潜めた小声で思う処を言い、

「…………だけれども。何ですか? 裏密さん」

「……………………今──ううん、今日は何とかなったとしても。そこから先は、ミサちゃんにも判らない。そんなの、ミサちゃんだって視たくない」

御門は一層声を潜め、ミサに至っては、口調さえ変えて囁き合った。

それよりのちも、仲間達は入れ替わり立ち替わり、京一の手を握り締めたまま添った枕辺より離れようとしない龍麻の様子を窺い続けたが、誰にも、彼を励まし切ることも、宥め切ることも出来なかった。

仲間達の誰もが名字でなく名を呼ぶ一部の『例外』を除き、龍麻が、仲間内では京一以外で唯一名を呼ぶ義弟の劉の言葉には、それなりの反応を見せたけれども、そこまで、だった。

龍麻にとって、京一の代わりになれる者など、この世の何処にもいないのだ、と示すかのように。

一同がそうしている間にも、他の仲間達──例えば、今は真神学園で教員をしている美里葵や、小蒔や、雛乃の双子の姉の雪乃などが、仕事の合間を縫って桜ヶ丘に駆け付けて来て、彼女達も、出勤して来た紗夜も、幾度となく彼へと声を掛けたが結果は変わらず。

龍麻と京一の共通の親友でもある醍醐雄矢でも、龍麻の『今』に変化を齎すことは出来なくて。

────そろそろ、昼休みを口実に仕事場より抜け出して来た者達が、職務に戻らなくてはならない時間が迫って来た頃。

いけないとは判っていても、朝の騒ぎ以降、白衣のポケットに突っ込んだままにしておいた携帯電話を、神鳳は再度取り出した。

バタバタしてしまっていて、あれ以来、中々そんな機会は得られなかったが、本当に些少だけ手が空いたので、もう一度、九龍達に連絡を取ってみようと彼は思った。

九龍にも甲太郎にも、『そちら』関係の特殊な力は無いが、今朝から続いているこの騒ぎに何か心当たりはあるかも知れない、もしもあるなら、龍麻よりはまともに事情も語れる筈だ、と一階ロビーの片隅の、公衆電話が置かれているそこに立った彼が、携帯の短縮ダイヤルを押そうとした瞬間、連絡を付けようとしていた当人達が、暢気な風情で正面玄関の自動ドアを潜った。

「やっほー、充。久し振りー」

「龍さん! 皆守君もっ。何をしていたんですか、今までっ」

「へ? 何を、と言われても……。充がくれたメールは見たけど、あれに気付いた時、俺達、地下鉄乗っててさー。桜ヶ丘にいるから、兎に角連絡欲しいってことだったっしょ? だから、メールじゃ埒明かない話かもだし、どの道、桜ヶ丘行くからー、とか思ったんだけど……? ──って、そりゃそうと、充は何でここに?」

「研修医みたいなものです。けれど、今はそんなことはどうでも良くてっ。二人共、早く一緒に来て下さい、蓬莱寺さんが倒れたんです」

患者の来院だろうか、と玄関を振り返った途端、目の中に飛び込んできた九龍と甲太郎の太平楽な姿に、思わず、何を悠長に! と声のトーンを上げながら彼等へ駆け寄った神鳳は、詰め寄られても尚、のほほん、と応えた、風呂敷に包まれた『荷物』を抱える九龍へ、早口で事情を語る。

「え? 京一さんが? ちょ……、嘘!? 何で!?」

「九ちゃん、そんな話も後だ。行くぞ」

「あ、うん!」

そこでやっと、登場時から、えへら……、と笑み続けていた九龍も、怠そうに欠伸を噛み殺していた甲太郎も、揃って瞬く間に真顔になり、先に立って早足で廊下を行き出した神鳳の後を追った。