何者かの、ここが病院であるのも失念しているらしいバタバタとした足音が聞こえて、末だ、病棟の廊下隅に溜まっていた一同は一斉に振り返った。
「済みません! 京一さんが倒れたって聞いたんですけど!」
「一体、何がどうなってるんだ?」
見遣ったエレベーターホールから声高に言いながら駆け寄って来たのは、一同の大半は面識があり、一部は噂にだけは聞いていた九龍と甲太郎で、そこまで先導して来てくれた研修医の彼を追い抜いた二人は、居並んだ年上達の中でも馴染みが深い、劉や如月の前で止まった。
「充から、京一さんが……、って話だけは聞いて、でも、詳しい事情判らなくって!」
「京一さんは? 龍麻さんは一緒じゃないのか?」
「二人共。ここは、入院病棟だよ。もう少し、静かに」
「気持ちは善う判るんやけど、もうちっとだけ落ち着こうや」
何時でも明るく元気一杯な九龍や、普段は無愛想で他人を寄せ付けない雰囲気の甲太郎が、顔色を変え、酷く焦っている風な態度を見せているのを目の当たりにし、思わず引き気味に構えつつも、「ああ、二人も、京一や龍麻を想ってくれてるんだな」と一瞬のみ嬉しく思って、が、如月も劉も彼等を嗜める。
「あ、そうでした。御免なさい」
「済まない。……で?」
「それが────」
「──葉佩さん。皆守さん。妖刀に心当たりはありませんか?」
きつめの声で、落ち着け、と言われ、はたと我に返り、詫びながら改めて事情を問うた彼等へ訳を語ろうとした劉を制し、事情説明など後だと、御門が口を挟んだ。
「妖刀? え、村正? 村正なら、今、持ってますけど?」
「村正? 貴方達の心当たりは、村正なんですね?」
「へっ? ええっと……、村正が、どうかしたんですか? って言うか、村正って『この村正』のことですか?」
「……? 村正は村正でしょう? ……そうですか。貴方達の心当たりも村正となると、外れですね。…………と、なると。蓬莱寺は、一体どうして……」
「一寸待ってくれ。その話には、多分、行き違いがある」
だが、御門が二人にした問いは単刀直入過ぎ、その所為で、九龍と御門の会話が酷く擦れ違ってしまっていると甲太郎は気付く。
「行き違い? どういうことです?」
「あんたが言ってる村正は、如月骨董品店で売られていた村正のことじゃないか? 今、九ちゃんが抱えてる奴だが」
「ええ。そうです」
「俺達には、その村正以外に、もう一振り、妖刀・村正の心当たりがある」
「もう一振り? ……我々の知らない妖刀・村正が存在していると?」
「ん? あ、ああああ、そういうことか。サンキュー、甲ちゃん。納得出来た。──ええとですね、御門さん。実は……────」
村正は村正でも、『村正違い』だ、と言う甲太郎に、御門も、黙って聞いていた者達も、話が能く見えない、と訝し気になり、己の勘違いを知った九龍は、何を何処から語ればいいやら悩みつつ、説明をしようとしたが。
「──九龍! 甲太郎!」
御門や劉達にすれば折悪く、そこからでも中の覗ける病室より、龍麻が飛び出て来た。
「あ、龍麻さんっ。話聞きましたよ! 京一さ──。…………ん……?」
酷く不安気な顔をして駆け寄って来た彼に縋り付く風にされ、九龍も、勢い再び声を張り上げ掛けたけれど、彼は、抱き締められるまでに龍麻が近付いた途端、ピッと、警告音らしき物を立てた己の『懐』に右手を突っ込みながら、言葉半ばで眉を顰めた。
「どうしよう……。京一、倒れちゃったまま目も覚ましてくれなくて、たか子先生まで、何とも言えないって……っ。……昨日のあれの所為なのかなって思うけど、でも、あれは…………」
「京梧さんと龍斗さんに、連絡取りましたか?」
「未だ……。京梧さんは、京一の代わりに出掛けてる筈で、龍斗さんは、一人じゃここまで来られないだろうと思って……」
「…………まあまあ。龍麻さん、落ち着きましょうよ。ね?」
傍目にもはっきりと、九龍が不審気な表情を拵えたのにも、言い淀んだのにも気付かず、龍麻は捲し立てるように話を続け、そんな彼とは真逆に、九龍は一転、にへら、と『何時も通り』に笑むと、抱えていた『荷物』──ロゼッタの日本支部より引き取って来た、依頼人に突っ返された方の『妖刀・村正』を直ぐそこの壁に立て掛けて、龍麻を宥めつつコートの内側より取り出した『H.A.N.T』を開き、ちらりと画面に目を走らせてから甲太郎に手渡した。
「だけど……っ」
「大丈夫ですって。京一さんですよ? 京一さんが、どうこうなったりする筈無いですって。龍麻さんだって、能く判ってるでしょーに」
「う、ん……。けど…………」
「あ、処で。龍麻さん、初めまして! な人達、紹介して下さいな。京一さんが起きた時、黒髪ロングヘアーな美人のお姉さんがー、とか、茶髪ショートのチャーミングな婦警さんがー、って言うの、まどろっこしいじゃないですか。ねえ? ──おっ。弦月さん、向こうのポニーテールのお姉さんは、雛乃さんの双子のお姉さんですか?」
無言のまま、後ろ手で甲太郎に『H.A.N.T』を手渡した直後、劉にも目配せをした彼は、龍麻の左の二の腕を、ちょい、と摘みつつ甚く場違いな話を始め、
「……一寸、いいか」
押し付けられた『H.A.N.T』を見遣った甲太郎は、目的は判らぬまでも九龍の意は汲み一緒になって龍麻を構い出した劉や、葵や小蒔をその場に残し、御門や如月や壬生達と共に、少しだけ離れた隅に寄る。
「どうした、皆守君」
「『H.A.N.T』が、エネルギー源の発生を感知した。マイクロ波じゃなくスカラー波で。未だ微弱だが、少しずつ数値が上がってってる」
「スカラー波のエネルギー源……。龍麻…………?」
「多分」
「待ちな、皆守。壬生も。本当に、そいつの『元』は龍麻の先生なのか? 未だ、俺達の誰も、何も感じちゃいねえぞ」
何事だ、と問う如月に、甲太郎は『H.A.N.T』を掲げ上げて、目紛しく変わる何やらの数値が表示され続ける画面を示し、考え込み始めた壬生と、彼に頷きを返した甲太郎へ村雨が待ったを掛けた。
「俺や九ちゃんには、氣だの龍脈の力だのは感じ取れないから、本当の処は判らないし、『H.A.N.T』が言ってる『これ』の源が、龍麻さんだとしての話だが。あんた達には『異変と感じ取れない類いの力』なんじゃないのか」
「我々には異変とは感じられない、けれど、科学的な事象のみを数値として表す機械には感じ取れるモノ。若しくは力。…………もしも、緋勇が、無意識の内に『正しい黄龍の力』を振るおうとしているのだとしたら、可能性はありますね。陰陽の均衡が完璧に等しい、黄龍──龍脈の力そのものを、彼が使おうとしているならば、それなりの大きさに膨れ上がらぬ限り、我々には異変とは感じられないのが道理です。私達の『力』は、その龍脈を源としているのですから。……でも。如何なる力であろうと、それがどんなに微弱であろうと、単なるエネルギー源として数値化する機械なら……────」
「……皆守様。御門様。それは。…………お二人共、それは、例え龍麻様ご自身が意識しておられずとも、蓬莱寺様に万一の事あらば、龍麻様は、この世の滅びを欲される、と語られているに等しいと、お判りの上でのお言葉なのですか」
しかし。甲太郎も、暫し沈黙を保っていた御門も。
心の何処かでは、龍麻は『正気』を保っていて。『正気』のまま、京一が失われた世界など要らない、と思い詰めているのだとしたら、決して有り得ない話ではない、と口々に告げ、彼等の言い分を聞き終えた雛乃は、自身の発言の意味の重さが判っているのか? と、問い詰める風な口調になったけれども。
「ええ、雛乃さん。判っていますよ。判っているからこそ、です」
「一応は、俺にも判ってる。そんなことにはならないように、言ってる」
御門も甲太郎も、全く同時に、僅か頷いてみせ、
「……こうなると、思慕の念が深くて一途が過ぎる人柄と言うのは、厄介この上無い」
少しでも場の雰囲気を和ませようと、『義弟漫才』まで始めた劉と九龍を前にしても、微塵も表情を移さない龍麻を盗み見た御門は、広げた白扇の影で、顰めっ面をしながら呟いた。