────その時。

唯々黙し、主である御門の後ろにて、俯き加減でそっと控えていた芙蓉が、若干目を見開きつつ面を持ち上げた。

「…………来た」

と同時に、ミサは本当に低く呟きながら、芙蓉が見詰めた先を振り返った。

彼女達が眼差しを送ったのは、その廊下の突き当たりにある、人々が集った位置からは扉半分だけ窺える一基のエレベーターで、それは、チン、と軽い音を立てて開いた。

「こちらです」

「ああ、有り難う。──処で、これは一体……?」

「又、随分と餓鬼共が揃ってやがるな」

開いた箱より降りたのは、受付にいた紗夜の案内でやって来た龍斗と京梧で、二人は、廊下にゴチャッと溜まっていた一同を見渡し、不思議そうになる。

「龍麻。何事だ? 京一は?」

「……龍斗さん…………。……龍斗さん! 俺、もう、どうしたらいいのか判らなくて……っっ」

訝しみつつも歩みは留めず近寄って来た、細身な自身よりも尚小柄な龍斗に、龍麻は、今にも泣き出しそうに顔を歪めて、真実、縋り付いた。

「龍麻? どうし…………──────お前……」

「京一が、危ないかも知れなくて、だから……っ」

「…………龍麻。こちらへ。おいで」

「龍斗さん……?」

「案じずとも良いから。大事無いから」

「……はい…………」

何がどうなっているのか能く判らぬ内に、龍麻に縋られた龍斗は面食らったが、直ぐに、ハッと何かに気付いた色を頬に刷き、傍らにあった長椅子に彼を促し腰掛けさせて、優しく抱き締め、同じく優しい声で言いながら、彼の背を撫で、慰め始める。

龍麻に能く似た姿の、氣まで酷似しているはとこ殿にそうされて、僅かずつだが落ち着きを取り戻し出した龍麻の様子に、彼の仲間達は、「やはり、血の絆と言うのは強いのだろうな」と単純に考えたけれど、ミサと芙蓉だけは、当然と驚愕が入り混じった甚く複雑な表情をその面に掠めさせた。

「九龍。甲太郎。一体、何が遭った? ……馬鹿弟子はどうした」

「ええと。それが、その。俺達にも、能く判らないんですよね……」

「代わりに、私がお話しましょう。──お初にお目に掛ります。神夷さんですね? お噂は予々かねがね。私は、御門晴明と申します。……実は────

果たして何がどうなっているのかも、龍斗が今の龍麻から何を感じ取ったのかも判らないが、只事では無さそうだ、と悟った京梧は、龍斗に縋り切りになった龍麻と、龍麻を宥め続ける龍斗を横目で見遣りつつ二人の前に立ち、九龍と甲太郎を呼び付けて、呼ばれるまま傍には行ったものの、自分達にも何が何やら……、と困った彼等の代わりに、御門が訳を語った。

「………………。……じゃあ。何で馬鹿弟子が引っ繰り返りやがったのか、岩山にも、お前達にも能く判らなくて。唯一の心当たりが、龍麻が言った『刀』なんだな?」

「ええ。何か、ご存知の事でも?」

初対面の年上に、一応は失礼に当たらぬ態度を取りながら御門が事情を説明し終えて直ぐ、京梧の顔は強張り、

「大馬鹿者っ!!!」

御門の問いには応えず、面から一切の色を消した彼は、腹の底から怒鳴ると、ガンッ! と九龍と甲太郎の頭を手加減無しにぶん殴った。

「龍麻! お前もだっ! 揃いも揃って何やってやがるっ!!」

病棟の廊下中に響き渡った京梧の怒声は、龍斗ですら初めて耳にした心底の物で、九龍も甲太郎も、続きぶん殴られた龍麻も他の者達も、龍斗まで、びくりと身を震わせる。

「あれには、絶対に手を出すなと言ったろうがっ!! どうして、俺の言い付けが聞けなかったっ!?」

「…………御免……なさい」

「……済まない…………」

「あの……、御免なさい、京梧さん…………」

かつて無い程に京梧が憤っていると、彼の全てから感じ取り、誰に叱られても嘘臭い反省の態度しか取らない九龍も、説教など馬耳東風の甲太郎も、神妙な態度を取って心から謝り、それまで以上の強い力で抱き締めてくれた龍斗に縋ったまま、龍麻も小声で詫びた。

「神夷。うるさい。ここは病院だって判ってるのかい?」

「……よう、岩山。──そうガミガミ言うんじゃねぇよ。これが、怒鳴らずにいられるかってんだ」

鋭く盛大だった怒鳴り声は、当然、扉が開け放たれたままの病室にも届き、どいつもこいつも……、と巨体を揺すりつつ登場したたか子へ、京梧は軽く肩を竦めて。

「………………ま、熱出してぶっ倒れてた最中さなかだったとは言え、半端な咎めしかしなかった俺も良くなかった。お前達相手に、うっかり、あの刀の事を口走っちまったのも。……本当に、どうかしてた。ったく、具合なんざ悪くするもんじゃねぇな」

怒鳴るだけ怒鳴った所為か、たか子にチクリとヤられた所為か、憤りを飲み込んだ彼は身の力を抜く。

「お前、馬鹿弟子の『あれ』の原因を、知ってるね」

「ああ。たった今、知った。多分、馬鹿弟子のザマは、妖刀・村正、あれの所為だろうな。──ちょっかい出したのはお前等だ。途中まではお前達で訳を話せ」

常通りの、『馬鹿弟子』のそれに大層似ている、何処と無く不敵な笑みを唇の端にだけ浮かべる面を京梧が取り戻したのを見て、たか子は、知っている事があるなら何も彼も、と迫り、が、京梧は九龍へ話を振って、ふいっと視線を流し、彼が壁に立て掛けておいた『風呂敷包み』を取り上げた。

「あ、はい。……そのー、ですね。俺達、一昨日に…………────

風呂敷包み──長らく如月骨董品店で眠っていた妖刀・村正を京梧が取り出す間に、九龍は、昨日までの出来事を掻い摘んで話し、

「本当に、もう一振り、妖刀・村正が存在しているとは……。……しかし、僕達も、岩山先生も知らなかった事を、何故、神夷さんは……?」

『力』持つ者としても、幕末時から続く骨董品店の主としても、そんな話は初耳だと、如月が首を捻った。

「僕も初耳です。M+M機関にも、そんな話は伝わってません。なのに、どうしてなんですか」

壬生も又、如月と同様の反応を見せ、

「……俺が言うのも何だが。この話は、知ってる方がおかしい」

包みを解き、刀袋からも取り出した村正を鞘毎掲げながら、京梧は、壁に背を預けつつ言った。

────ちいっと長い話になるが。とっくり語ってやるから、黙って聞け、餓鬼共」

そうして。

本当に懐かしそうな目をして、右手で掲げた妖刀・村正を眺め上げた彼は、今度は酷く遠い目をし、宙のみを見据え、低い声で話し始めた。

共に村正の銘を持ち、共に妖刀と呼ばれる、二振りの日本刀の話を。