閉め切った病室の扉を眺め下ろし、僅かの間だけ軽く首を傾げてから、会得出来た風に頷きつつ扉に鍵を掛けた龍斗は、龍麻を腕に抱いたまま、京一の横たわるベッドへと歩を進めた。

「岩山院長。この先、何を見ても、何を聞いても、どうか、他言せずにいて貰えるだろうか」

「口を固くするのも医者の仕事の内だ。言われるまでも無い。何をやるつもりなのかは知らないが、お前は、何やら『訳有り』のようだってくらいは判るからね。そうだろう? 緋勇龍斗。…………どうするつもりだい? 霊的治療を駆使したって、魂の傷なんざ容易には塞げない。そもそも、魂は、斬られて傷付くもんじゃない。それに。斬られるにしても、喰われるにしても、魂が滅んだ者は、死ぬか、生きる屍と化すか、二つに一つだ」

「だとしても。切り裂かれた魂の繕いは叶えられずとも。陰陽が示す理の通り、人の持つ魂魄も、氣──命の輝きの一つであるなら、京一を目覚めさせることは出来る。今の京一が自らのみでは支え切れぬ命を、共に支える力があれば良い」

「……他人の命を支えるなんてことが、出来るとでも言うのかい? そんなやり方じゃ、儂でも、京一に付きっ切りで力を使い続けて、何とか、って処が精々だ。限界は直ぐに来る。時間の問題だよ」

「時が稼げれば良い。二日──せめて、一日。一日だけでも、京一が京一として在ってくれれば、どうにかなる。命の輝きは、心の輝きにも等しい。京梧と私の『子供達』──京一も、龍麻も、九龍も甲太郎も。皆、『強い』者達だ。積怨のみで打たれた、高が妖刀如きに負けるなどと、私は思わない」

まるで、もう逝ってしまった者のように横たわり続ける京一の枕辺に立って、暫し固く瞼閉ざした彼の面を見下ろし、たか子へ向き直った龍斗は、低い声で彼女と語らってから、ベッドの傍らに置かれたままのパイプ椅子に龍麻を座らせると、身を屈め、視線を合わせ、言い聞かせる風に告げ出す。

「龍麻。『あの時』を憶えているな? お前達が、京梧と共に私を『迎え』に来てくれた日の事を。……あの時と、同じ事をする。私ではなく、お前が」

「俺、が……? ……出来るなら、します。幾らだって…………。でも、どうやれば……」

「私が手を貸す。お前の片割れは京一で、京一の片割れはお前。お前にしか、京一の命は支えられない。それは、お前にしか出来ない。その代わり、私が『お前』を支える。やり方は、『どうでもいい』」

「……え、どうでもいいって、龍斗さん……?」

「このような事に、定まったやり方などある筈が無かろう? 指を結ぶでも、腕に抱くでも、唇を重ねるでも、兎に角、お前がやり易いようにして、氣と想いを京一に与えれば良い。後は、私が引き受けるから」

「えっと………………」

「……ほら。躊躇っている暇も、悩んでいる暇も無かろう。何時までも、しょぼくれた顔をしている時でも無い。龍麻、今は、お前がしっかりしなくては」

「……はい…………。……そう、ですよね。俺がしっかりしなきゃ、京一が………」

廊下で縋り付いて来た龍麻を抱き締めた時から、龍斗は、周囲には気付かれぬように、そっと自らの氣を龍麻に注ぎ続けて、ややもすれば荒ぶろうとする彼の氣を宥め続けていたのだけれども、京一の枕許に戻った途端、彼は又、酷く顔を歪めて泣きそうになり、氣も乱れさせたので、再び、励ます風に、それでいて叱っている風に、龍斗は様々龍麻を諭し、一度、息を飲んで立ち上がった龍麻は、一瞬のみ、たか子へ逡巡の視線を流してから、覆い被さる風にして、横たわる京一を両腕に抱いた。

そんな彼の様を見守りつつ龍斗は窓辺に寄り、ガラス戸を全て開け放つと、じっと『虚空』を見詰めながら、口の中で何やら呟き始めて。

「岩山院長。刃物を持っていたら貸してくれ」

やがて、『虚空との語らい』を止めた龍斗は、たか子へそんな求めをし、彼女が無言の内に懐から取り出したメスを受け取ると、

「龍麻。黄龍の力までは使わなくて良い。今のお前がそれをしてはいけない。唯、京一を想えば良いから。────済まない。痛むと思うが、こうするしかないようなのだ」

京一に寄り添いながら、ほんの少し髪の先を棚引かせた龍麻の『力』を言葉で制しつつ、曝させた彼の首の付け根に、深くメスを突き立てた。

次いで、自身の左掌も裂いた龍斗は、鮮血滴る手を、龍麻の傷口に強く押し付ける。

傷そのものも、血を流すそこを押さえる彼の力も存外な痛みを齎し、龍麻は顔を歪めたが、龍斗は一層の力を腕に籠め、龍麻が着込んでいた白いシャツや薄青色したセーターの首回りの殆どが、流れ出た二人の血で嫌な色に染まった頃。

「ん………………」

────微かに、京一の喉が鳴った。

「……京一?」

それは、本当に微かな、酷く掠れた音だったが、京一を深く抱き締め頬寄せていた龍麻にはクリアーに聞こえ、伏せていた面を持ち上げた彼が、ギュッと京一の服毎、手を握り締めた直後には、長らく水に浸されていたおかの生き物が酸素を求めるに似た、上擦っていて激しい呼吸の音がした。

「京一! 京一!!」

「…………ひー、ちゃん……? 龍麻…………? あれ、俺…………?」

荒い息遣いが穏やかなそれへと落ち着いた後には、それまで、ぴくりとも動かなかった京一の瞼が持ち上がり、朧げに移ろった彼の眼差しは、自身の両肩を掴んで強く揺さぶる龍麻の面に定まる。

「良か……った…………。良かった……。本当に、京一が起きた……。……京一……。京一…………っっ」

「……龍麻……? 泣いてんのか……? 何で…………? 俺、何かしたか……?」

「…………ううん。京一は、何もしてない。俺が悪かったんだ。俺が、あんな真似さえしなきゃ……っ。……御免。御免、京一…………っ」

「あんな真似……? あんな真似って……? お前、別に何もしてねえだろ…………? …………なあ、龍麻。そんな顔すんの、止めねぇ……? 頼むからさ……」

「うん………………」

間近まで顔を寄せ、潤み切った瞳で見詰めてくる龍麻を甚く不思議そうに眺め、ポツリポツリと話しながら、困り果てた風に京一が彼を宥めれば、こくりと頷きつつも、龍麻は彼の胸に顔をうずめて縋った。

「京一。気分はどうだ?」

「龍斗サン……? ここ、たか子せんせーのトコ…………の筈で……。……なあ、俺、どうして…………」

「お前は、京梧が手を出すなと言った妖刀に斬り付けられたのだ。お前の身では無く、魂を。……だから」

「魂……? あれに…………? ……そっか。じゃあ、あの時…………」

「詳しく知りたければ、岩山院長に聞くと良い。診て貰わねばならぬだろうしな。──龍麻。私は、京梧達を呼んで来るから、京一を頼む」

漸う、龍麻を抱き締め返した京一は、今度は、枕辺に佇む龍斗に気付き、どうしても朧げになる眼差しで尋ねて、

「京一。お前、倒れた時の事、何か憶えているか?」

病室を出て行った彼と入れ替わりに、たか子がそこへ立った。

「………………いや、何も。小蒔に電話しようとしてたのと、ひーちゃんに話し掛けてたのは憶えてるけど、そっから先は…………。……あ、でも、そう言えば……、あれからずっと、早く喰いたいとか何とか……そんな風なこと、ナンカに耳許で囁かれてたような気はするっつーか……」

「成程な。魂を喰らう物の怪、か。随分と『らしい』ことを言う連中だね」

「なあ、たか子せんせー……? 俺、どれくらい引っ繰り返ってた……? 俺は、どうなる……? もしかして、ヤバいか…………?」

「……能く判ってるじゃないか。このままなら、お前は異形になる。今、そうしていられるのは、龍麻と、彼──龍斗のお陰だ」

京一の額辺りに手を翳して某かを確かめ終えると、未だに血の染みが広がり続けている龍麻の首に手を乗せて、たか子は淡々と言う。

「異形、な……。……冗談キツいってんだよ……。俺が、んな物になる訳ねえだろ……」

────お前は、異形に。

そう改めてたか子が告げた刹那、京一を抱く龍麻の腕の力は強くなって、心配すんな、と彼の髪を撫でた京一は、無理矢理、頬に笑みを浮かべた。

「京一さん!」

「気が付きました!? 京一さん!」

と、又、荒々しく病室のドアが開き、甲太郎と九龍が、真っ先に室内に飛び込んで来た。