「患者ったって、病人じゃねぇだろうが。俺にだって、一応、馬鹿弟子に言って聞かせなきゃならねぇ事も、問い質しとかなきゃならねぇ事もある。……放っとけ。大体な、医者のくせして人の腹殴るこたねぇだろ」

「病人だろうがそうじゃ無かろうが、患者は患者だ。剣術馬鹿師弟の間だけにしか通用しない、馬鹿な志ばかり振り翳すんじゃない、馬鹿。お前の馬鹿弟子と一緒で、ぶん殴られなけりゃ世間の道理も飲み込まない馬鹿のくせして、偉そうにほざくな。医者にまで、お前達の剣の道だの何だのが通用する筈無いだろうが」

「……あー、判ったから。馬鹿馬鹿言い過ぎだってんだ。ごちゃごちゃと、うるせぇ女だな、てめぇも。────そりゃそうと、岩山。この馬鹿、引き取ってくが構わねぇな?」

京梧が、有無を言わさず京一をぶん殴ったように、たか子も、有無も言わさず京梧をぶん殴ったので、じっと成り行きを見守っていた龍斗が、パチパチと、彼女へ向けて小さく拍手を送る傍らで、剣術馬鹿と女傑は、互い言いたい放題にやり合い、「他人の説教なんぞ冗談じゃねぇ」と一方的に口論を打ち切った京梧は、不機嫌そうな顰めっ面をしながらも、ケロッとした調子で、馬鹿弟子を連れ帰る、と言い出した。

「連れ帰ってどうするんだい。何か、根本的な手立てがあるとでも?」

「それは、やってみなけりゃ判らねぇ」

「判らないってのに、明日にはどうなるかも判らない患者を、病院から引き摺り出す気か。何かやるなら、ここでやりな」

「…………そりゃ、まあ。ここでも、やってやれないこっちゃねぇが。うっかりすると、ここの半分以上吹き飛び兼ねねぇぞ。それでもいいのか?」

「そうかい。だったら、とっとと連れ帰れ。その代わり、明日もう一度、お前が馬鹿弟子を担いで来い」

申し出や伺いと言うよりも、宣言、と言った方が相応しかった京梧の主張に、若干たか子の目は吊り上がったが、馬鹿弟子のこのざまを何とかする為の『試し』をしたら、この病院が半壊するかも知れないと、あっけらかんと告げられた途端、彼女はあっさり掌を返し、好きにしろ、と顎を杓った。

「明日になっても、この馬鹿がてめぇで立てなかったらな。────おし。龍斗、龍麻、帰ぇるぞ。九龍、甲太郎、お前達は、依頼人だかに渡しちまった村正、取り返して来い。……ああ、そうだ。それから。誰か、結界築ける奴はいねぇか? 手ぇ貸せ」

ならば、これで話は決まりだと、たか子と龍斗以外の、事の展開に付いていけない一同を京梧はさっさと促して、京一の襟首引っ掴みながら、ぽかんとしてしまっていた青年達を振り返り、

「……結界、ですか。でしたら、私か劉が──

──晴明様。わたくしが参ります」

口を開き掛けた御門を遮って、それまで、自身の存在さえ消す風に、ひたすら沈黙を保っていた芙蓉が、突如、一歩前へ進み出た。

「………………芙蓉?」

ひっそりと、しかし確かに放たれた芙蓉の言葉に、彼女を見返した御門は、ポーカーフェイスの得意な彼らしくもなく、瞳を見開きつつ息を詰まらせる。

「私が共に参らせて頂きますのが、一番宜しいかと存じます」

「……判りました。では、芙蓉、この件は任せましたよ」

…………何故、己を主としている筈の芙蓉が、命じた訳でも無いのに、自分が、と言い出したのか、彼にも判らなかった。

龍麻の頼みならば、未だ理解出来る。式神であろうとも、芙蓉も又、黄龍の器や今生の黄龍を護る宿星の一人であるから。

だが、手を貸せ、と命じる風に言ったのは神夷──京梧であって、龍麻では無い。

彼女に与えられている最も重要な使命は、星見の一族である秋月家のマサキを護ることであって、今生の黄龍の唯一の相手の命が左右される局面であろうとも、本来なら芙蓉は、御門が命じぬ限り、又は龍麻の達ての頼みで無い限り、自ら動いたりはしない。

……けれども。

芙蓉の眼差しが、己で無く、京梧や龍麻や京一でも無く、緋勇龍斗、その人へと秘かに向けられているのに気付き、何か訳があるのだろうと察した御門は、多くを問わず、彼女の好きにさせると決めた。

「てめぇで歩けったって、無理か」

「……あー、無理……。無茶言うんじゃねえよ、馬鹿シショー……」

「ったく、本当にしょうがねぇな……」

その間に、京梧はブツブツ洩らしながら、ブツブツ言い返す馬鹿弟子をベッドから引き摺り下ろすと、半ば肩で担ぐようにして抱えて本当にさっさと帰り出し、

「えっと…………。……御免、皆! 後で連絡するからっ。──京一っ! 京梧さんっっ!」

「甲ちゃん、行こう。ロゼッタの支部に行けば、依頼人の手掛かりが掴めるかも知れない」

「ああ。難易度は高そうだが、何とかしないと」

集ってくれた仲間達に一言のみ告げ、龍麻は慌てて京梧の後を追って、九龍と甲太郎はロゼッタ協会日本支部へ向かうと言い残し、踵を返す。

「芙蓉、で良いのか?」

「はい。十二神将が一人、天后・芙蓉と申します。緋勇龍斗様」

「…………そうか。では、芙蓉。宜しく頼む」

双方共に、物言いた気な顔で一言、二言交わした龍斗と芙蓉も、エレベーターホールへと歩いて行った。

「噂に聞くばっかりで、実際に会ったのは俺も初めてだが。……何者だ? 龍麻の先生のはとこってな。ありゃ、只者じゃねえぞ。京一の旦那の師匠ってのも、ちょいと掴み所がねえっつうか、『変人』のようだが」

「………………でしょうね。緋勇──龍麻と龍斗さんが血の繋がりを持っているのも、龍斗さんが、龍麻と同じく黄龍や龍脈に関わる『力』を持って生まれて来たと言う話も、疑う余地は何処にも無さそうですが。『それだけの人物』とは、到底。……それにしても、芙蓉は何故…………」

──去って行った六名と芙蓉の背を見送り、村雨と御門は、思わず顔を見合わせる。

「今まで機会が無かったから、私も、龍斗さんにお会いしたのは今日が初めてだけれど……。……何て言えばいいのかしら、龍斗さんって、龍麻君に凄く似過ぎてると言うか。その…………、龍麻君『以上』の何かがって言えばいいのかしら。そんな感じがするの」

同じく彼等を見送っていた葵は、少しばかり不安そうに、そして『怖そう』に、ぽつり……と呟いて、

「…………あの人は〜、多分〜〜、一寸だけ〜特殊なんだと〜思うの〜」

こっそりと、仲間達の胸の内を探る風な目をして周囲を窺ってから、暫し考え込み、うん、と頷きつつミサが言った。

「特殊? ミサちゃん、特殊って、どういう意味で?」

「それはね〜、小蒔ちゃ〜ん〜。舞子ちゃ〜んとか〜、葉佩く〜んの友達の〜、神鳳く〜ん達と〜、同じような〜人って意味よ〜〜」

「……えっと。…………御免。もう少し、判り易く言って貰ってもいいかな……?」

────だから。あの人は多分、舞子ちゃん達みたいに『幽霊さんがお友達』な人。幽霊だけじゃなくて、神様の声が聞こえる人。……シャーマンって呼ばれてる人達がいるでしょう? 日本ではね、シャーマンには三種類あるって言われてる。血統でなった人。修行をしてなった人。そして、『選ばれた』から、神や精霊の声が聞こえる人。…………多分だけど。龍斗さんってあの人は、選ばれた人。選ばれたから、否応無し、例え自分が望まなくても、神や精霊の声が聞こえる。舞子ちゃん達が『幽霊さんがお友達』なのと同じで、ヒトよりも、神様や精霊の方が『近い』。…………そういう人だと思う」

「………………そう言えば、龍斗はんって、しょっちゅう、『誰もおらん所で何かと話してる』みたいにしとる、妙な処のあるお人やったな。……そうか。あれは、そういう訳か」

「ああ、言われてみれば、そうだな。……選ばれたシャーマン、か。裏密の言う通り、龍斗さんが『そう』なら、確かに只者とは言えない」

ミサの間延びした声での説明が、今一つ小蒔には飲み込めず、深く首を傾げた彼女へ口調を変えたミサが説明を重ねれば、心当たりがある、と以前から龍斗を知る劉や醍醐は、納得、としみじみ頷き、

「…………本当は。……多分、本当は、少し違うけど。あの人はきっと、『選ばれた人』でも無い。そうじゃなくて。………………あの人は、きっと。『哲学の子供』」

ボソリと、仲間達の誰にも聞こえぬ低い低い声で、ミサは深く思い煩いながら一人囁いた。

「哲学の子供……? ……いや、だが。哲学の子供の意味は……────

────誰にも聞こえぬ筈の低くて小さな囁きを、どうしてか、御門が聞き留めたのにも気付かず。