タクシーが桜ヶ丘のロータリーを出るや否や、一刻も早くロゼッタの日本支部へ向かいたくて仕方無い九龍は、そわそわと、運転席の後ろから身を乗り出してスピードメーターをガン見し始めた。

一方、後部座席のシートに深々と沈み込んだ甲太郎は、腕組みし、眼前を占める助手席の背を睨み付け、

「……気持ち悪い」

暫しのち、ボソっと呟いた。

「え!? 甲ちゃん、具合悪い? 酔った?」

「違う。乗り物酔いなんかしたことも無い。そうじゃなくて、さっきから、喉の奥に小骨が刺さってるみたいな気持ち悪さが抜けないんだ。頭の隅に、何か引っ掛かってるようなんだが……」

「例の話絡み?」

「それ以外、有り得るか?」

「ふむ……。何だろう。京梧さんがしてた話の何かかな。それとも、御門さん達がしてた奴? 然もなきゃ、ブツそのものに何かヒント?」

出立から未だ五分と経っていないのに、まさか車酔いでもしたのかと、慌てて見詰めた彼は大層悩まし気な顔を拵えており、甲ちゃんが引っ掛かってる何かの正体が見えれば……、と九龍も共に悩み出す。

────運転手。停めてくれ」

しかし、そこからも数分と行かぬ内に、あ、と目を見開いた甲太郎は、タクシーの停車を求めた。

「へ? 甲ちゃん、何で? 早く支部に行かないと──

──いいから。降りろ、九ちゃん」

結局、ワンメーター分しか進まず、支払った千円札の釣り銭も受け取らぬ内に車から引き摺り下ろされた九龍は、直ぐさまぎゃあぎゃあ騒ぎ出したが、暴挙を働いた当人は抗議を全て躱し切り、尚も彼の腕を引き摺って、大通りに林立するビルとビルの隙間の、人気無い場所に潜り込む。

「甲ちゃん! 話聞いてってば! ロゼッタの支部に──

──九ちゃん、うるさい。静かにしろ。今の今まで『そこ』に気付かなかった自分を盛大に罵りたいが、遅ればせながら、引っ掛かりの正体が見えたんだ」

「…………ほう? して、それは?」

ダン、と乱暴に物陰へ押し込められて更なる大声を放つ彼に、漸く、甲太郎は暴挙の理由を語り始め、九龍も声を潜めた。

「『依頼人の正体』に関して、だ。────桜ヶ丘で京梧さんがしてくれた話と、武器商人や陰陽師達がしてた話が、所々、微妙に噛み合ってない気がしてたんだ。全員が、二振り目の妖刀・村正に付いて語っていたにも拘らず。俺の記憶の中の何かとも、何処かがズレてるように思えて仕方無かった。……だが、そうなって当然だったんだ。京一さん達の仲間内は、京梧さんの話の『時代』が、本当は幕末当時なんだと知る筈無いんだから」

「………………ん? 御免、甲ちゃんが言わんとする事が判んない。京梧さんの体験談が、本当は江戸時代末期の出来事ってのの、何がそんなに重要?」

「話を最初から順に追ってきゃ判る。……いいか? 依頼人は、初代村正の方の妖刀を、これじゃ無い、と突っ返して来たよな。考えてみりゃ、そこから、もう話がおかしかったんだ」

「……んんんんん?? え、そこから?」

「そうだ。──あのクエストの依頼内容は、『妖刀・村正を手に入れて欲しい』だった。『どんな妖刀なのか』の指定は無かった。なのに依頼人は、一本目の受け取りを拒否した。違う、と言う理由で。『只、本物の妖刀・村正が欲しいだけの好事家』なら、あれで良かった筈なのに。けれど、ロゼッタからのメールをお前が受け取った時、京梧さん以外に二本目の存在を知る者は無かったから、俺達には訳が判らなかったし、助言を求めた京一さんも、本当は村正の事なんか能く判ってもいない、趣味が悪いだけの好事家が、『紛い物の妖刀・村正』を欲しがってるだけでは、と言った」

「うん。だから、そんなん、どーやって探せば……って思ってた処に京梧さんが来て……────。…………お? まさか、依頼人は最初っから、二本目の妖刀・村正の存在を知ってた……?」

少し急く風に語られる甲太郎の弁に、九龍も、徐々に顔付きを変え始める。

「そういう結論にならないか? あれ以降、ロゼッタから何の報せも無いんだ、依頼人は二本目を受け取った筈だ。違う、とも言わずに。恐らく、あれこそが求めていた品だったから。──もし、二本目の存在を知る以前の俺達がした想像通り、『紛い物の妖刀・村正』を求める悪趣味な好事家が依頼人なら、再度、受け取り拒否騒ぎが起きてても変じゃない。その手の連中は、『現代では』誰も存在を知らなかった『地味な妖刀』なんかじゃ無く、紛い物に付き物の『派手な妖刀伝説』を好む奴等が大多数だろう? ……だから、本来なら俺達は疾っくに、今回のクエスト依頼人は、二本目の妖刀・村正の存在を知っていた人物、と気付くべきだったんだが、初手の、『依頼人は悪趣味な好事家』って思い込みを、そのまま引き摺っちまったんだ。────だが。『本当の問題』は、ここからだ」

「おおう? 本題、こっから?」

「ああ。ここまで来ちまえば、『依頼人の正体』に関する答えは簡単に出る。京梧さん曰く、あの妖刀に纏わる事は『知ってる方がおかしい』んだ。だってなら、あれはかなりのレベルで、本当に長い間、存在そのものが秘されてたってことになる。にも拘らず。京梧さんが体験した出来事からも既に百五十年近く経つのに、その存在を知れる者は、例の刀工の血族だ。恐らくは末裔」

「…………あー……。すんごく納得……」

「……でもな。ここから先は桜ヶ丘での話になるんだが。──九ちゃんや京梧さんがした話から、武器商人や陰陽師達は、その答えに気付いたって不思議じゃなかった。俺達みたいな思い込みは殆ど無かった筈だし、京一さん達みたいに頭の中まで筋肉質寄りじゃないから。なのに、連中がしてた話と京梧さんがした話は微妙に噛み合ってなかったばかりか、『正解』に気付いた奴は皆無だった。……連中に、『正解』が掴める筈なんか無いんだ。京梧さんの話を、今から約三十年くらい前の事だと思ってる限り、あの話に出てきた刀工の末裔は、現代人──乃ち、今現在も生きてる可能性が高い人物と考える方が普通だ。妖刀を京梧さん他人に託した存命中の当人が、ロゼッタ相手に、その妖刀探しを依頼するなんて、考えられっこない」

「そっか……。彼等の中では、『現在の刀工の末裔』が、京梧さんが出会った末裔とイコールなんだ。で、未だ生きてると思ってる。………ん? と言うことは、もしかして…………」

「その、もしかして、だ。────だから。絶対に、連中よりも先に、俺達が依頼人を探し当てなけりゃヤバい。万が一にでも、京梧さんが出会った方の末裔は百五十年近く前の人物、なんて知られる訳にはいかないだろう?」

「…………んだね。そうなっちゃったら、御隠居達の正体まで芋蔓式だかんね。……あああ、だから甲ちゃん、タクシー降りたんだ。そんななのに、ロゼッタで依頼人の個人情報漁るのは拙過ぎるから」

────そこで漸く、話と事態の全てが飲み込めた九龍は、煤けたビルの壁に背を凭れながら、んー……、と己の靴先を眺めつつ唸り出し、

「ふむ…………。なら、俺達だけでも依頼人に関する調べは付きそうだけど、ロゼッタ農協関係も、兄さん達関係の伝手も使えないとなると、要らない時間が掛かるかもだから……。…………甲ちゃん、天香行こう」

「天香? 阿門達を引き摺り込む気か?」

うーうー言いながらの彼が出した、自分達の仲間に助成を求めるしかない、との判断に、甲太郎は渋い顔をする。

「今んとこ、それ以外の手は無いってばさ。あそこには、正体不明な敏腕執事殿もいるしね」

「仕方無いな……。そこは、妥協と誤摩化しを駆使するしか無さそうだ。──それはそうと、九ちゃん」

「何? 甲ちゃん」

「若干、頭痛が」

「……アロマ! こーちゃん、薬なアロマ吸って! 今思い出したけど、結局、今日の診察受けられてないしっ」

が、自身にもそれ以上の手が見付けられなかった彼は、渋々頷いて、序でのように、頭が痛くなり始めたと今度は顔を顰め、馬鹿ー! と九龍は騒ぎながら、右手で己の携帯電話を、左手で甲太郎のコートのポケットの中の似非パイプを探り当てた。