物の怪退治を始めると言い切ったのに、次に龍斗が告げたのは、龍麻にとっては雑作も無い部類に入る事だった。

『力』は使わずに、異形が姿を見せても対峙せずに、唯、京一の傍に添って氣を注いで、もしも彼の意識が飛びそうになったら、殴ってでも叩き起こせ、と言うそれ。

故に、本当に自分がするのはそれだけでいいのかと、拍子抜けした感と戸惑いを覚えながら彼は暫し悩み、起き上がりたそうな素振りを見せた京一の背を抱き抱えながら、直ぐそこの床に腰下ろした龍斗と、道場の直中に立ち尽くす京梧の背中を、交互に盗み見た。

「なー……、シショー……」

京一も諸々が納得出来ぬのか、眉間に皺を刻みつつ胡乱に馬鹿シショーの後ろ姿を見詰めて、かったるそうに彼を呼ぶ。

「何だってんだ、馬鹿弟子。情けねぇ馬鹿は、四の五の言わねぇで大人しく引っ繰り返ってろ」

「……うるせえな……。──……さっき、あんたが話してた例の母娘……、アレに斬られて直ぐ、異形になっちまったんだろ……? なのに、何で俺は──

──浅手だったからだろう」

普段通りの悪態を吐く京梧に、弱い文句と共に『不思議』を尋ねた彼へ答えたのは、傍らの龍斗。

「あー……。程度問題って奴か……」

「恐らくは。『目の良い』甲太郎ですら、掠めたように思えただけで済んだから。それだけ、お前の受けた傷が甚く浅かったからだ。……但────

「……? 但?」

「…………いや、何でもない」

その理由は、至極単純だろうと語りつつも、彼は、言葉を飲み込んだ。

────但。それだけが理由わけでは無かろうが、とのそれを。

……桜ヶ丘で、御門や雛乃達が二振り目の妖刀と大山祇神社に付いて語らっていた時、龍斗は、たか子や龍麻と共に病室に籠っていたから、青年達の話を聞いてはいないが、似たような見当は付けていた。

京梧の話通り、件の妖刀に宿るモノが人の世をも呪い祟るならば、異形達が求めるモノは、『存在を知ってしまった世を滅ぼせる力』──黄龍であり、龍麻だろう、と。

だとするなら、出来事から今まで京一が喰われずに済んだ理由は、彼を『餌』と目したからだ。

今生の黄龍の護人の彼──黄龍龍麻にとって掛け替えない者を『生き餌』に、黄龍をも喰らう為の。

「私の言葉も聞かぬだろう異形の割に、随分と、厭らしい知恵が廻る。──芙蓉。お前も、こちらへ」

だが、こんな話を当の龍麻に聞かせる訳にはいかぬから、龍斗はその部分を伏して、ボソリ、本当に小さく呟くと、道場全てを覆う、が、一ヶ所のみに敢えての小さな綻びを伴う結界を築き上げた芙蓉も、傍に呼び寄せる。

──異形達の真の狙いが龍麻なら、殊更、彼に『力』を使わせる訳にはいかない。

芙蓉には、築いた結界を護持して貰わなくてはならない。

だからと言って、『全ての事情』を知らぬ者達への助成は乞えない。

しかし、『四人分』を支えている今の龍斗では、流石に普段通りには戦えない。

彼に叶うのは、精々、龍麻と京一、それに危ない目に遭わせることになってしまった芙蓉の護り程度で、後は、京梧独りに任せるしかない。

そして、言葉にされずとも、京梧も最初からそうと承知していた。

「久方振りに、ちょいと気合いでもいれとくか」

だから、道場の直中に独りきりで佇み続ける彼は、軽い口調で言うと、胸までの髪を後ろで一つに纏めていた組紐を解き、『昔』のように総髪に結い上げ直した。

「……懐かしい」

「……だろ?」

「その為に、髪を伸ばしていたのか?」

「褌と同じで、こっちのが気が締まんだよ」

「……総髪と褌と、同等で良いのだろうか」

「当たり前ぇだ。何が肝心か、って話だからな」

彼のその姿に、龍斗は懐かしそうに、そして嬉しそうに目を細め、微かに笑った京梧と二人、与太を言い交わす。

与太の裏側に、これから始まるのは、『京梧でも気を締めなくてはならぬ事』との意味が隠されていると、龍斗以外に気付く者はいなかったが。

──さて。そろそろか?」

「恐らく。…………京梧──

──その先は、お前が言うこっちゃない」

そうして、龍斗は一層姿勢を正し、某かを言い掛けた彼を制した京梧は、神刀・阿修羅と共に腰帯に差した愛刀を、音も無く抜き去った。

飛び出た大通りで改めてタクシーを拾い直した九龍と甲太郎は、無言の圧力で以てかっ飛ばさせたそれで、同じ新宿区内の私立・天香学園高校に乗り込んだ。

車内で連絡を付け、「兎に角、大至急!」と、彼等自身の仲間で友人な天香学園・現理事長の阿門帝等と、彼の執事な千貫厳十郎に訴えておいた為、察しの良い二人は万全体制で出迎えてくれ、阿門邸の応接間に飛び込むや否や、九龍は、

「御免! すんごく勝手なお願いなんだけど、何も訊かないで協力して!!」

と、九十度角度のお辞儀で二人を拝み倒し、今から約百五十年前──恐らくは僅か四年で終わった文久年間、現在の三重県桑名市周辺に在していた筈の刀鍛冶の末裔、若しくはその親族の子孫に関する調査に力を貸して欲しい、と頼み込んだ。

「…………。私で宜しければ、協力など幾らでもさせて頂きますが、流石にそれは、この場では。末期とは言え江戸時代の話でございますから、正攻法では寺院の過去帳辺りが頼りです。現地に向かいませんと、如何せん、どうにも。せめて、明治に入ってからならば、多少は違いますが……」

「そうだな。──葉佩。どうして、そんな事を知りたがる? 些少でいい、事情を語れ。その方が、恐らく話が早い」

しかし、幾ら九龍の頼みでも、それは難易度が高過ぎる、と千貫は困った顔になり、阿門は、話が唐突過ぎだと、九龍と甲太郎を見比べる。

「と或る人の命が懸かってるから。……実は、探し出したい人物の情報の在処は、判ってるんだ。俺が、ロゼッタ経由で引き受けたクエストの依頼人だから。でも、事情があって、あそこから依頼人の個人情報漁るのは、どうしても出来ないんだよ。俺達がその依頼人の身元調べてるって、絶対に農協に知られる訳にはいかなくって、だから、何とか別の方法で……」

「…………ああ、そういう事情で。ならば、話は簡単です」

その部屋での自身の定位置である、一人掛けのソファに腰下ろす阿門に促されるまま、九龍がこの場で言える限りの訳を告げれば、一転、千貫は掌を返し、最初からそれを言えばいいのに、と薄く笑った。

「……え。簡単?」

「はい。でしたら、九龍様達が、とは知られぬよう、ロゼッタ協会から教えて貰えば宜しいではないですか」

「………………でもですね、千貫さん。そのー、俺に言わせれば『農協』みたいなもんでも、ロゼッタ協会も、まあその、一応は、世界最大規模のトレジャー・ハンターギルドな訳でして。お宝だの《秘宝》だの、セコく集めた小銭だの溜め込みまくってる所為もあって、色々諸々のセキュリティとかも、ちょーーーっと、レベルが、その」

「……おや。私は、あちらに忍び込むとも、クラッキング等を試みるとも、一言も申しておりませんが」

だから、今度は九龍が困った顔をした。

潜入しての探索は言わずもがな。内部からでも難しいのに、外部からロゼッタのコンピューターネットワークに侵入して不正に情報を引き出す試みは、余程の専門家でも手を焼く筈、と。

だが、千貫は。そんな真似をするとは言っていない、と意味深長な笑みを深めた。