そんな教え方をしたのも敢えてだったのだろう、口頭で唯一度きり千貫が告げたクエスト依頼人の住所を、あの一瞬で違わず記憶してくれた甲太郎に抱き付きながら感謝しつつ──言うまでもなく、飛び付いた瞬間に蹴られた──九龍が向かった場所は、静かな住宅街だった。

現在の八王子市の中心からは外れた、怪談で有名な城跡に近い辺りで、畑などもそれなりに多い印象があった。

万が一、スピード違反で警察車両に追い掛けられたら却って手間取るので、法定速度ギリギリで飛ばした九龍達が、そんな景観だった目的地に辿り着いたのは、出立から約一時間と少しのちの午後八時半前後で、未だ人通りも多く、以前にも咲恵に拵えて貰った『記憶補正機能付き・特製お休み香水』を駆使しても、他人様の家に押し込むには不向きな時間帯だった為、少し離れた町角に見付けたコインパーキングに車を突っ込んで、じっと息を潜め、彼等は通行人の数が減るのを待った。

必要最低限の手順だと判っていても、時間を無駄にしている気がして仕方無く、焦りばかりが募って、珍しく一言も口を利かない九龍は苛ついた顔をしており、甲太郎はひたすらアロマを吹かし続けて、幾度か、二人揃って阿門に嗜められながら時をやり過ごし、車内時計のデジタル表示が午後十時に近付いた頃、漸く、そっと三人は車から忍び出た。

目的の住宅への最短距離上にはコンビニがあったので、防犯カメラ除けに遠回りをし、彼等は裏手から件の家屋の敷地内に潜り込む。

────そこは、随分と古い家のようだった。

少なくとも戦前に建てられたのに間違いは無さそうで、家屋から切り離された、作業場のような建物もあった。

「……ひょっとして。刀工の末裔は、やっぱり刀工、とか……?」

「九ちゃん。今はどうでもいい事に惹かれてないで、さっさとしろ」

故に、まさかなー……、と動きを止め掛けた九龍の臀部を、甲太郎は容赦無く蹴り上げる。

「あ、うん」

喰らったのはそれなりに鋭い一蹴りだったが、文句も言わず、九龍は辺りの気配と様子を窺い、見付けた換気扇の隙間から、キュポンと音立てて蓋を開けた『特製お休み香水』の小瓶を突っ込んでより、庭の影に踞り直して待つこと十分。

「そろそろ、いいっしょ。ホームセキュリティ関係も無さそうだし、お邪魔させて貰って、家探し開始!」

昨今は見掛けなくなりつつある古びた勝手口の施錠を、『秘密で素敵な解錠グッズ』でサクッと開けた彼は、甲太郎と阿門を促し、家内への侵入を果たした。

家探しを始めて三十分と経たぬ内に、呆気無く二振り目の妖刀・村正は見付かった。

手当り次第に辺りを漁る必要も無かった。

何故なら、見付けた、と言うよりは、『呼ばれた』と言った方が正しいから。

……そう。九龍は再び、大山祇神社であの桐箱を掘り当てた時のように、妖刀に『呼ばれた』。

「…………うーわー……。どうしよ。まーた、呼ばれたっぽい。御門さんに忠告されたばっかりだってのに」

「だからって、躊躇ってる暇なんかあるか。九ちゃん、俺が持──

──皆守、退け。恐らく、新宿に戻るまで、俺が預かっておくのがいいだろう」

「本気か? 阿門。洒落じゃなく面倒臭い妖刀だぜ?」

「暫くの間なら何とかなる。いざと言う時には、神撫手で抑え込める筈だ。制限時間付きだが」

「……判った。なら、任せる。サンキューな、帝等」

どうらや家主のみが寝起きしているらしい、生活感も薄い家内に人の姿は見当たらず、『呼ばれる』まま、客間らしき和室の床の間に飾られていた妖刀へと近付いた九龍は、昼間、桜ヶ丘で御門よりくれられた忠告を思い出して伸ばし掛けていた手を止めたが、条件付きで阿門が役を買って出てくれたので、有り難く妖刀の抑えを彼に任せ、

「じゃ、引き上げ! 新宿に戻ろうっっ」

周囲を見回し侵入の痕跡の有無を改めた彼は、急かす風に甲太郎と阿門の背を押した。

「あ……、くっ……。胸、が……っ」

「龍斗様! 危ないっっ!!」

自ら立ち上がるのも容易でない龍斗と、身を挺して彼に覆い被さった芙蓉を喰らおうと、大蛇の如く床板を這いずった一匹の異形が歪な牙を剥いた時。

その全てを真正面から見た龍麻の髪が一瞬で逆立ち、道場の向こう半分を覆い尽くしつつある異形達の蠢きが、ピタリと止まった。

「……不出来なものなぞに宿るしかない、粗陋そろうな異形風情が」

逆巻いた髪も、光景を睨み付けた両の瞳も、既に黄金色に染まっており、洩れた低い声からは、京一でさえ怖気立った怒りが迸っていた。

「龍──。……黄龍っ!! 出てくんじゃねぇ……っ!」

『その正体』に気付き、ふっと気配を揺らがせた『彼』へ京一は何とか腕を伸ばしたけれども、既に『龍麻』は伏せる龍斗と芙蓉の傍らにあり、二人を襲わんとしていた異形を跡形も無く滅していた。

近付いたのみで。

「些末なモノ共が、身の程も知らず、我が前で何をすると?」

「……っっ……、黄龍……っ!!」

そして、尚も『龍麻』──黄龍は滑るように進んで、片膝付いた京梧よりも一歩先に出ようとし、這い蹲るしかなかった、碌に動かぬ筈の体を心のみで京一が立たせた刹那。

「…………龍麻の身が棲家なら。大人しく、馬鹿弟子連れ合いの言うこと聞いてろ。お前さんには関わりない始末だ」

ゆらりと身を起こした京梧は、荒い息を吐きながらも背を伸ばし、愛刀の切っ先を、事も有ろうに黄龍の眼前に突き付ける。

「蓬莱寺京梧。その物言い──

──聞こえねぇのか。すっこんでろっつってんだよ。────京一っっ。お前の阿修羅を!」

行く手を遮る刀と彼とを見比べて、黄龍は殺気立つ目をしたが、突き刺さる眼差しを躱した京梧は京一へと叫び、

「応っ!」

ガッと掴み上げた神刀・阿修羅を、京一は投げた。

振り返りもせず受け取った片割れを左に、己が腰の片割れを右にと、一対の神刀を手にした京梧は、宮本武蔵を開祖とする二天一流の、下段の構に能く似た構えを取って。

「……京一。『これ』が、まことの天地無双だ」

────く、と彼の両の爪先が浮き、踵だけが床を蹴った。

上半身は微塵も揺らがぬのに、腰から下のみが前に出た。

それは余りにもはやく、なのに、身の中心には決して揺らがぬ筋が通ったまま、歪な大木が幾本も絡み合っているような巨大な塊と化した異形に瞬よりも先に迫って、振られた両腕は霞み、

「剣聖奥義・天地無双!!!」

…………彼の叫びと共に、真実、地が震えた。

刀身の全てから溢れたいかの如くな閃光は、瞬く間に周囲を彼の氣で塗り潰した。

──足を掬われる揺れ、目に刺さる目映い光、一瞬で生まれたそれが、同じく一瞬で去ったのち、もう、異形達の姿は何処にも無かった。

「………………昔々。かの『宮本武蔵』が唯一度だけ。俺に振るってくれた真の天地無双は……────

──だが、一対の阿修羅は京梧の腰に戻らず、彼の手よりホロリと零れ、カランと乾いた音を立てて床に転がる。

「師匠っ!!」

阿修羅に同じく、彼自身も床に頽れ、京一は、震える腕を神殿下の刀掛けへ伸ばした。

……全て滅したかと思われた異形達が、再び、闇の中からみ出していた。