八王子より、行きとは異なるルートを辿って都内に戻った九龍達が西新宿の道場前に車を横付けした時、時刻は、午前十二時を廻っていた。
「葉佩……っ。リミットだ……っ!」
「御免、帝等! もう一寸だけっっ!」
「阿門! 走れっっ」
車が新宿区に入った辺りから妖刀はカタカタと震え始めており、厳しい目付きになった阿門が《力》を振るってもその蠢きは増す一方で、西新宿に踏み込んだ時には抑えの限界を超え掛けていた。
それでも、九龍と甲太郎は両脇から阿門を支えながら駆け出し、歯を食い縛る風になった阿門も、車を横付けした接道の先の、本当に控え目な光が灯る道場の玄関目指して走る。
「京梧さん! 妖刀、取り返して来ました!」
「京一さんと龍麻さんは!? 間に合──」
「──皆守! 葉佩! 伏せろっ!!」
ガシャン! と荒々しく四枚使いの格子戸を開け放ち、三人が中へと飛び込んだ瞬間。
バチリと痛々しい炸裂音が阿門の手より湧き上がり、《力》による抑えを振り切った二振り目の妖刀・村正は、独りでに鞘より抜け出、道場の直中の彼等目指して宙を滑った。
頽れる如く京梧が両膝を付いて踞り、道場に一瞬の静寂が訪れた刹那、
「……龍、麻…………っ。龍麻、いけない……っ。目を覚ましておくれ……っっ……。……黄龍っ! 龍麻を……っ!」
痛みで顔を歪めながら龍斗は、直ぐそこに佇む黄龍の背へ揺れる腕を伸ばした。
「……っとに、面倒臭せぇ……っ。しゃらくせぇな、雑魚共が……っっ」
一度は崩してしまった身を、京梧は愛刀を掴み直しつつ奮い立たせようとした。
「龍斗。お前もすっこんでろ。──無事だな……?」
「誰に言っている。お前、こそ……」
互いにふらつきつつも、起こした身の背を正した京梧と龍斗は、それぞれの構えを取り────だが。
「京梧さん! 妖刀、取り返して来ました!」
「京一さんと龍麻さんは!? 間に合──」
「──皆守! 葉佩! 伏せろっ!!」
直後、騒々しい音と共に道場の玄関扉が開け放たれ、帰還した九龍達が携えていた妖刀が、この時を待っていたとばかりに自ら宙を走った。
ヒュ……と風を切り彼等へ迫った刀は床板に突き刺さり、ウォン……! と不気味な共鳴音を響かせる。
「……もう一踏ん張り処か、振り出しか?」
「…………かも知れない」
カタリ、カタリと揺れながら唸る、真冬の怪談の如き様を見せ付けてくる妖刀からは、闇より滲み出て来た異形達よりも尚グロテスクな化け物が数多噴き出し、京梧達を取り囲み、
「芙蓉ちゃん! 龍麻を頼む!!」
彷徨っていた京一の指先が、刀掛けの内の一振りを掴んだ。
────神殿下の刀掛けには、彼の愛刀も捧げ置かれていた。
そう、天叢雲。
しかし、その時、彼が自ら選び掴み取ったのは、京梧がそこに掛けておいた、初代・村正の手による妖刀だった。
高校三年生だったあの頃、浅からぬ因縁を持ってしまった刀。
刀であるのに意志を持ち、手にする者を血に飢えた修羅と化させる、一度は刀を抜く精神
「只の化け物の分際で、何時までもふざけた真似してんじゃねえぞ。──てめぇ等が喰いたいのは俺だろ? だったら、化け物は化け物らしく、とっとと『餌』に掛かって来いよ」
決して抜けぬようにと絡ませてあった封呪の鎖は独りでに解
体の輪郭をも朧にさせた疾さで放たれたのは、法神流奥義の霞雪嶺で、直前にその威力の程を正確に見て取った京梧は、龍斗を抱き抱えてその場より飛び退き、黄龍は芙蓉を庇いつつ、掌中に生んだ黄金色の障壁でそれを防いだ。
闇から滲み出た異形達も、二振り目の妖刀・村正より滲み出た異形達も、霞雪嶺の凍氣に姿を崩し、
「馬鹿弟子が、生意気な真似しやがる……」
「だから。いい加減認めろよ、馬鹿シショー」
ポイと村正を手放して、床に転がる神刀一対を拾い上げた京一は、先程の京梧と瓜二つの構えを取る。
「あんたが『唯一度』なら。俺だって『唯一度』だ。あんたの弟子の俺に、出来ねえ道理はねぇよな、師匠」
そうして、京梧へニヤリと笑ってみせた彼は。
「剣聖奥義・天地無双っ!!」
何処までも、京梧と瓜二つの様で、あの奥義を。
…………だから、地は再び揺れて、閃光が辺りを満たし。崩れ掛けた身でのたうつ異形達の、耳を劈く嫌な叫びが上がった。
「……落第点」
「一々うるせえな、この耄碌ジジイっ!」
但し、異形達は未だに消え去らず、言わんこっちゃない、と渋面になった京梧へ怒鳴った京一は、阿修羅達を彼へ投げ付けると改めて初代の村正を手にし、
「てめぇ等の所為で、散々だ。そろそろ、きっちり滅んどけよ。二度と、その気色悪りぃツラ見せんじゃねえっっ!!」
星眼※に据えた妖刀・村正を、二振り目の妖刀・村正目掛け、渾身の氣を込めて振り下ろした。
────罅割れの音がした。
始めは、パキリパキリと、ゆっくり。次第に、パキパキと細かく忙しなく。
硝子細工が砕ける時のような、然もなければ薄氷が生まれる時のような、甲高くてやけに綺麗な音は二振り目の妖刀・村正が放つそれで、一同が意外そうな目付きで見守る中、小さく震えた妖刀は、音も無く砕け散る。
それは、募らせた積怨を以て、この世さえも呪った妖刀の最期にしては静か過ぎ、これで終わりとは思えぬと、疑いを消せなかった京一は、手の村正を構え直したが。
確かに出来事は『終わり』で、粉々になった鋼は床へと零れ行き、柄だけがコロリと転がって、異形達も、異形達を滲み出させていた闇も消えていた。
「今度こそ、終いだ、馬鹿弟子」
「……応」
それでも尚、京一は構えを崩さず、ポン、と京梧に頭を叩かれて漸く、村正を放り捨てた。
「………………あーーーー、疲れた……」
「……そいつぁ、俺の科白だ、馬鹿野郎……」
そして、弟子と師は全く同時にその場にベタリとしゃがみ込み、
「精々、有り難がりやがれ、ヒヨッコ」
「ざけんな。そこそこの間違いだろ、耄碌ジジイ」
深く背を丸めた二人は、仲良くその場に倒れ込む。
「龍麻様? ……龍麻様!」
直後、芙蓉が龍麻を呼ぶ大声が上がり、瞼を閉ざし傾いだ彼は、支えようとした芙蓉の腕を擦り抜け、そのまま昏倒した。
※ 星眼=顔の中心で構える。