「芙蓉。結界を解いてくれ」

それまでとは一転、身軽に振り返った龍斗は、気を失ってしまったらしい龍麻を抱き抱えつつ芙蓉を見遣った。

「御意」

言われるがまま、彼女は護持し続けていた強固な結界をほどき、

「大丈夫ですか!? 龍麻さん!?」

「おい! 京一さんっ。京梧さんっっ!」

「無事なのかっ!?」

妖しだけを迎え入れる結界に弾かれてしまっていた青年達が、大慌てで駆け寄って来た。

「無事の筈だが……、桜ヶ丘で診て貰った方が良いかも知れない」

「俺達は、どうってこたねぇから。馬鹿弟子と龍麻だけ連れてけ、餓鬼共」

「はい! 救急車──は拙いから、帝等、もっかい車貸してっ」

「ああ。……が、外まで運べるか?」

「何とかする。──京一さんっ。おいっっ!」

床に引っ繰り返っている剣術馬鹿師弟の内、弟子の方だけが意識を飛ばしており、龍斗から引き取った龍麻と、無事は無事だがピクリともしない京一の二人を、九龍達はズルズルと容赦無く引き摺り出す。

「芙蓉。お前は大事無いか?」

「はい。有り難うございます、龍斗様」

「そうか。なら良かった。済まなかったな、このような騒ぎに巻き込んでしまって」

「龍斗、お前はどうなんだ。それこそ、大事ねぇのか?」

「少なくとも、京梧、お前よりは。もう『四人分』では無いから」

気絶したままの京一と龍麻をひたすら引き摺り、呼び掛けながら、ぎゃあぎゃあと騒々しく表へ出て行った年少三人を見送って、龍斗は芙蓉へ語り掛けつつ、大の字に転がる京梧の傍らに座し、そのこうべを膝に乗せた。

「龍斗様。蓬莱寺京梧様。では、私はこれにて」

「判った。ならば、又改めて。お前には、きちんと礼をさせて欲しい」

もう、この場に己は必要無いと、芙蓉も二人へ一礼して辞し、そっと忍び出て行った彼女も見送ってから。

「……結局は、京一自身が何とかしたな」

京梧の髪の組紐を取り去って、龍斗はそっと、滴る程汗に濡れた明るい栗色の髪を梳き始める。

「てめぇのケツくらい、てめぇで拭いて当然だろ。俺やお前が、どんだけ手ぇ貸してやったと思ってやがる。それに、ありゃあ所詮、火事場の馬鹿力だ」

その指の心地好さに全てを委ねるように、京梧はゆるりと瞼を落とした。

「だが。本音は、自慢の弟子なのだろう?」

「何処がだ。あんなんは、不肖の弟子ってんだよ」

「全く……。天邪鬼なことばかり言わず、そろそろ、きちんと認めてやらなくては、流石に京一が不憫だ。お前以上かも知れぬ剣の才が傷み兼ねない」

「んなことで傷む剣の才なら、勝手に傷ませとけ」

「お前と同じく、唯一度のみでまことの天地無双をなぞってみせたのに、駄目か?」

「その程度、誰が褒めるか。落第点の天地無双なんざ使うような馬鹿は、俺から一本取れねぇ限り、認めねぇ」

「京一ならば、遠からず、お前からでも一本程度取れると思うが」

「………………いいや。あいつは、決して。『俺からは』一本も取れない」

唯一無二の伴侶を労りながらの龍斗と、彼のそれに甘んじる京梧のやり取りは、曰く『不肖の弟子』な京一の事になり、パチリと、京梧は瞳を開く。

「……何故なにゆえ?」

「…………優しいから」

「優しい……、な」

「お前だって、判ってんだろう? ────あいつの性根の底は、甚く柔らかく出来てやがる。優しいとしか言えない、俺には無い、俺とは真逆の柔らかさだ。善くもまあ、こんな風に育ちやがったと、お天道様を拝みたくなる程の。……必要なことではある。あいつの強さの源でもある。あいつの剣の才を支える、誠に大切なモノの一つ。…………だが。それ故に、俺『には』勝てない。例え何が遭っても。もしも、二人、如何なる仔細にてか死合わなけりゃならなくなったとして。その時、俺にはあいつが──京一が斬れる。そうなったとて、京一には、決して俺は斬れない。…………勝てる訳が無い。尤も、あの馬鹿は、いざとなりゃ、俺やお前が相手だろうが叩っ斬れると、本気で思い込んでやがるがな」

「……………………だからこそ。それも『込み』で、自慢の弟子なのだろうに。……京梧。お前の、たった一つの掌中の珠だ」

「……うるせぇ。それ以上言いやがったら、その口塞ぐ」

「おや。どのように? ──お前そっくりの天邪鬼なあの子が、心の内で、どれだけお前を想っているかを知るからこそ、そのようなことが言えるくせに────

──黙れと言った。その口、塞ぐとも言った」

大きく開いたまなこで天井を睨み付けた京梧が珍しく吐いた本音に、忍び笑った龍斗は滑らかに舌を動かし過ぎ、ムッと臍を曲げた彼にガツリと頭を掴まれて、宣言通り、その口を塞がれた。

接吻くちづけで以て。

三名の若人達に引き摺られた、昼間に『自主退院』して行った筈の患者とその付き添いに深夜外来に押し掛けられた桜ヶ丘中央病院は、一寸した騒ぎになった。

彼等の来院の報せを受けて、巨体を揺らしつつ素っ飛んで来た女傑院長も、一日中院に詰めていたのか、夜勤の手伝いまでしていた神鳳も、険しい顔で、担ぎ込まれた患者達を運び入れた特別入院病棟へ詰め、そんなタイミングで、「あ!」と、後回しにした方が良かった事を思い出してしまった九龍が、二振り目の妖刀・村正が見付かった旨と、京一と龍麻を桜ヶ丘に放り込んだのを劉に連絡してしまったものだから、連絡網が回った、ぶっ倒れたままの患者二名の仲間達も桜ヶ丘に駆け付けて来て────だが、しかし。

我が道しか往かない隠居二名に後始末を押し付けられただけの九龍や甲太郎や阿門では、今宵、西新宿の道場にて一体何が起こったのかの説明が出来ず、擦った揉んだの果て、帰宅途中だった芙蓉に連絡を付けて桜ヶ丘に赴いて貰い、諸々を上手く伏せた彼女の説明を受けて漸く仔細は判明したけれども。

今度は、主に御門や壬生による、宝探し屋達を相手取っての『二振り目の妖刀・村正探しの依頼人は何者だったのか問い詰め大会』が始まってしまい、四苦八苦しながら、手強過ぎる青年達の詰問を九龍と甲太郎が何とか躱していた最中、病室から出て来たたか子が、九龍達にしてみれば都合良く一同を怒鳴り飛ばしてくれた為、問い詰め大会は済し崩しに終了した。

「もう、心配は要らない。京一は、単に疲労で引っ繰り返っただけのようだし、龍麻は、唯眠ってるだけだ。判ったら、とっととお帰り」

姿見せるや否や盛大に怒鳴った女傑院長は、序でのようにそうも言ってくれ、やっと、真夜中過ぎの桜ヶ丘中央病院にての騒ぎは終息し、九龍達は脱兎の如く逃げ出して、憤懣を抱えつつの青年達も三々五々散り、

「神鳳。今回の件は、きっちり口を噤んでおけ」

「はい。言われるまでもありません。……処で、院長。蓬莱寺さんは兎も角、緋勇さんは、本当に眠っているだけなんですか? 僕には、そうとは思えませんが……」

「いいや。間違いなく、唯、眠っている。但し、『使わなくても良かった力』を使った所為で。放っといても朝には起きる筈だがな。……それにしても…………。京一が付いていて、『結果的には』だとしても、怪我一つ無く無事だったのに。龍麻は何故……──

騒々しかった彼等が消えた、静寂を取り戻した病棟の廊下で、神鳳に釘を刺し直しながら、納得いかなそうに、たか子は呟く。

「僕には詳細は判りませんが、単に理由があったのでは?」

「理由……。京一に関わる事以外で、『あの力』が目覚める理由…………」

彼女の呟きに、事情を能く知らぬ神鳳は、「そんなに深刻に考える事だろうか」と訝し気に言い、『その理由』如何では……と、たか子は目を細めた。