何の彼んので、此度も大分世話になった阿門邸を発った九龍と甲太郎が、改めて桜ヶ丘中央病院を訪れた時、見舞った患者二名は、美味しくない、味気無い、と言いながらも元気に朝食を頬張っていた。

そんな兄さん達の姿に、「流石、体力馬鹿……」と思いつつも心底ホッとして、情けなくも腰が抜け掛けた年少二人は、京梧に、「この件では、もう二度と馬鹿弟子に詫びるな」と言われたのも無視し、九龍はダーダー泣きつつ盛大に、甲太郎は控え目に、再度、彼等に詫びた。

尤も、京一からは京梧そっくりの説教を喰らい、龍麻にも盛大な苦笑を頂いたけれども、二人は直ぐに笑い飛ばしてくれて、漸く、九龍と甲太郎にも掛け値無しの笑みが戻った。

──それから、年少二人は後回しになっていた甲太郎の診察を受けて、その間に、年中二人は退院手続きを済ませて、仲良く肩を並べて西新宿の道場に帰ったが。

九龍が元気に開け放った格子戸の先で、手ぐすね引いて『子供達』を待ち構えていた似非臭い笑顔全開の京梧と、綺麗過ぎて却って恐ろしい笑顔全開の龍斗に、彼等は行く手を塞がれる。

昨夜、あんなにハードな『労働』をこなし、『労働終了』より十二時間と経っていないのに、常通り傍迷惑な程に元気溌剌としか言い様の無い御隠居達の姿に、「馬鹿なんてレベルを通り越した、体力と気力の化け物……」と戦慄する間も無く取っ捕まった『子供達』は、道場の床に揃って正座させられ、辟易以上の説教を喰らい、流石に泣きを入れて勘弁して貰ってからも、ここ最近恒例のお仕置きと化している、道場の床磨きを命じられた。

……とは言え、京梧の忠告を無視した挙げ句、あんな騒動を引き起こしてしまったのに、若干強烈過ぎた説教と恒例のお仕置きで許して貰えたのだからと、幾つになっても馬鹿師匠に噛み付きたいお年頃から脱せられない京一でさえ、一言の文句も言わず隠居達の罰に甘んじ、

「つ、かれ……た…………」

やっと、京梧と龍斗が揃って「良し」と言うまで何度もやり直させられた床磨きを終えた四名は、揃って同じ呻きを洩らし、二階の茶の間で討ち死にした屍と化した。

「これで、お前達も多少は懲り……る訳が無いな……」

「あんな程度で、この餓鬼共が懲りたら世話ぁねぇ」

もそもそもそもそ、両脚を火燵の中に突っ込んで、死ぬ……、だの、死んだ……、だの呻き続ける屍中な子供達の様に、龍斗と京梧は溜息を零す。

「ほら。餅を焼いたから、そろそろ起きないか? 冷めたら固くなってしまう」

「……ったく、どいつもこいつも、あれしきで情けねぇ」

「あー…………。……頂きます……。食べないと死ぬ……」

「あのな、馬鹿シショー。俺もひーちゃんも、一応、ついさっきまで、桜ヶ丘の入院患者だったの覚えてっか……?」

微塵も容赦の無い『体力と気力の化け物』達にあしらわれ、ヨロヨロと、龍麻と京一が起き上がって、

「甲ちゃんは兎も角……、俺は常人なんですが……」

「俺だって、体力は常人だ……」

九龍と甲太郎も、何とか頭を持ち上げた。

「…………あ。処でですね、実は────

そうして、緩慢に箸を取り上げた若人四名は餅にかぶり付き出し、二枚目の安倍川餅を一口飲み込んだ処で、九龍が、例のクエスト依頼人の正体に関する事情説明をし出した。

────と、言う訳で。依頼人の正体とかその他諸々、知られちゃったら拙いと思ったんで、弦月さんやJADEさん達には、企業秘密の一点張りで押し通しちゃったんですよ。だから、上手いこと口裏合わせといて貰えません?」

「成程な……。……判った。俺とひーちゃんは、あいつ等の嫌味にも説教にも慣れてっから、誤摩化し通しとく」

「うん。大丈夫。いざとなったら黙らせるから。皆でも、京梧さんと龍斗さんには捩じ込めないだろうしね」

少々長かった彼の説明を聞き終え、確かに……、と頷いた京一と龍麻は、了解、と再度揃って頷き、

「…………武州下原、か。……九龍。お前の思い付き通り、その依頼人──現代いまの刀工の末裔』は、刀鍛冶だったのかも知れねぇな」

京梧は、複雑そうな声音で呟いた。

「え、何でです?」

「武州下原は、五箇伝の内の一つで、刀の流派としては相州伝と言う。元々は、鎌倉の幕府と共に栄えた流派で、戦国の終わり頃に武州元八王子に移り、お前達の言葉で言うなら、あー……、『ぶらんど』ってのか? 兎に角、そんなんに当たる武州下原刀を生み出した。鎌倉の終わり、その相州伝を確立したのが、刀工・正宗。今の世じゃ、刀の、そして刀工の頂点とも言われる者でありもの。村正一門だった刀工の末裔が理由わけも無しに住まうにゃ、因果に過ぎる。況してや、『あの』妖刀・村正を求めたとあっちゃ、な」

「………………なあ、シショー?」

「ん?」

「まさかな、とは思うけどよ。九龍達の依頼人が、本当に刀工だったとしたら。妖刀を打った先祖達と、同じ事しようとしたんじゃ……」

「…………かも、な。愚かしい事この上ねぇが」

何故、そんな声の呟きをするのかと、問うた九龍に京梧は語って、そこより京一がした想像に、彼は肩を竦める。

「そうだったのだとしても。あの妖刀は、もう砕け散ったのだ。きっと、忘れてしまうのが一番良い」

「……だろうな。所詮、この世から消え去った代物と積怨だ」

「あ、でも。そう言えば、一振り目は? あっちの妖刀は──

その所為で、茶の間は僅か奇妙な雰囲気で覆われたが、過去と流すのが最良の方法だと龍斗と甲太郎は言って、龍麻は、『妖刀・村正』は未だある、と。

──そっちこそ、もう忘れとけ」

「『妖刀・村正』など無い」

しかし、京梧と龍斗が、揃って首を横に振った。

「え? 無い……んですか? けど、あっちは別に、砕けたりとかしてませんよね?」

「ああ。刃毀れ一つしていない。が、私と京梧にとっては懐かしく、大切な仲間を思い出させてくれる品だったあの妖刀も、最早、妖刀では無くなったから」

「…………? 何でです?」

「京一が、あれを、真刀にしたから」

「……え、俺……?」

「自覚もねぇのか? 何処までも、しみじみ馬鹿だな、馬鹿弟子。火事場の馬鹿力でしかなくとも、抜いた者へ牙も剥かずに大人しく操られる妖刀なんざ、妖刀と言えるか。──要するに、勝てたってこった。そして、妖刀はお前に負けた。……だから、あれは、少なくともお前にとっちゃ、妖刀で無く真刀だ」

だから、龍麻も京一も、は? と目を瞬き、龍斗と京梧は口々に訳を語って、

「…………………………そっか。勝てたんだ…………」

はにかんだ風に、京一は微かに笑んだ。

「妖刀には妖刀だろうって、咄嗟にやっちまった事だけど……。……そっか。…………何か、『あの頃』から十年経っても、ずっと、どっかに刺さってた棘みたいなもんが、漸く抜けたような気がする…………」

…………本当に嬉しくて、安堵もあって、そして、どうしようもなく照れ臭かったのだろう。想いを溢れさせてしまった直後、彼は、そそくさとトイレに逃げて行く。

「龍麻さん? あんな風になっちゃう程、京一さん、あっちの村正と何か遭ったんですか?」

「うん、まあね。でも、それを俺の口から白状すると、叱られるじゃ済まないから秘密」

「ほう……。なら、後で馬鹿弟子の口を割らせるか」

「京梧さん……。何も、敢えて京一さんの傷を抉らずともいいんじゃないか? ……まあ、俺も、興味が無いと言ったら嘘だが」

「それ見ろ。同じ穴の狢が何言ってやがる、甲太郎。今夜の酒の肴は、馬鹿弟子の恥で決まりだ」

「……京一、確実に暴れますよ?」

「暴れてどうなるものでも無い。今よりは未熟だった一昔も前の話なのだし。……ああ、そうだ、九龍。あの村正をネコババしても良いか?」

尻尾を巻いて逃げた彼を、珍しく本気で照れてる……、と愉快気に見遣った残り五名は好き勝手に言い合って、京一の過去の恥を日没後の酒宴の余興にしようと決め、だから、その夜の西新宿の道場の、夕食と言う名の宴会は彼の黒歴史が肴とされて、嬉々として馬鹿弟子の古傷を抉った挙げ句に粗塩を擦り込もうとした京梧と、馬鹿シショーの無体に怒り狂った京一との激しい師弟喧嘩も繰り広げられたが。

そんな騒ぎも、『メルヘンの世界の人』による、激烈な鉄拳制裁で幕を閉じた。

……因みに。京一の黒歴史は、当人の抵抗虚しく、人の話を聞かない隠居達によって、きっちり以上に暴かれた。