それより十日程が過ぎた、六月の半ば。

数日前に東京の梅雨入り宣言が出はしたものの、一粒の雨も降らなかったその日。

新宿を訪れた鳴滝は、中央公園の、道心が築いた結界内に断りもなく侵入した。

同じ頃。

やはり、中央公園に赴いた龍山は、躊躇うことなく、鳴滝がそうしたように、道心の結界に足踏み入れた。

……辺りから『生きている人』の気配が瞬く間に消えた、取り巻く風景だけは普段の新宿中央公園と何ら変わらぬ中を、彼等がそれぞれ行くこと暫し。

酷く耳障りの悪い奇声を放ちながら襲い掛かって来た、誰の目にも、異形──化け物と映るそれを、鳴滝は、自身の操る古武道で、龍山は、唱えた呪の一言で、真、簡単に退けた。

「ん? ……ああ、龍山さん」

「お主、鳴滝か?」

まるで、仕方無く戯れ言に付き合ってやる風に、やれやれ、と言った感を漂わせつつ異形達を討ち果たした直後、それまで、自分以外は誰もいない、と思っていた鳴滝の前には龍山が、やはり、己一人だけだと思っていた龍山の前には鳴滝が急に現れ、行き会った二人は、おや……、と言葉を交わし、

「……こうもあっさり倒されちゃ、詰まらねえなあ」

「やはり、貴方の仕業ですか」

「悪ふざけも程々にせんか?」

存外あっさり登場した、『悪戯』を仕掛けた張本人──道心を、鳴滝と龍山は揃って振り返った。

「少しくらい遊ばせろ。……いいじゃねえか、もっとえげつないことしてやったって、お前等はびくともしねえだろ? ──で? わざわざ、何の用だ?」

手荒い歓迎もいい加減に、と零す彼等に、相変わらずサイケデリックな出で立ちの破壊僧はケラケラと笑いを返して、手にしていた一升瓶の中身をラッパ飲みしつつ、近くの芝上にドカリと胡座を掻いた。

「……ま、大体予想は付くがな」

「多分、その予想通りじゃな。お主を頼りにしている封龍の一族の末弟に、話を聞いたじゃろう?」

「まあな。龍山、お前さんも鳴滝も、てめぇの弟子から聞いたんだろ? 『緋勇龍麻のはとこ』の話をよ」

座り込んだ道心に倣い、龍山も彼と向かい合うようにその場に腰下ろして、彼等は直ぐさま本題に入り、

「念の為、調べてみた」

鳴滝が、徐に口を開いた。

「どうだった?」

「やはり、『緋勇龍麻のはとこ』は、戸籍上は存在しない。弦麻兄弟の従兄弟──龍麻達が、緋勇龍斗の父、と言った人物も存在していない。……あくまでも、序でだが。『神夷京士浪』と言う人物も、戸籍上は存在しない。あいつの本名は『京梧』で、蓬莱寺京一の親族という話も小耳に挟んだから、そちらも調べてみたが。蓬莱寺京一の一族に、京梧、と言う名の者も、法神流剣術の宗家とされる者もいない。更に序でに、法神流剣術のことも調べてみた。昔から、聞いたことのない流派だ、余程、習い手がいないのか? とは思っていたが、改めて調べてみたら、習い手がいない処の話ではなく、あれは、江戸時代の初期から中期に掛けての何処かで途絶えてしまった筈の流派で、今に伝える者は皆無、との答えが出た」

「…………要するに。俺達の戦友の一人は『幽霊』で。突然降って湧いた、『緋勇龍麻のはとこ』も『幽霊』で。黄龍の器の親戚な『幽霊』と、剣術馬鹿な『幽霊』が、幽霊同士、寝起きを共にしてやがって。あの小僧共は、双方共に『幽霊』だと知っていながら、自分達の親戚だと言い張ってる、ってことか」

「そういうことになるの。……尤も? 神夷達が『幽霊』だろうが何だろうが、龍麻達が何も彼も弁えた上で、穏便に事を済ませようとしていると言うなら、放っておいても良かろうが」

淡々とした声で、先日、愛弟子の訪問を受けた日より今日までの間に調べ上げたことを鳴滝が告げ切れば、ボソボソと道心と龍山は言い合い、顔見合わせた。

「それは、私もそう思う。……が、本当のことを知っておいても損はない」

「で? だったらどうすんだ? 正体は『幽霊』だった剣術馬鹿のツラでも拝みに行くのか?」

「取り敢えずは。何か、判るかも知れん。もう一人の『幽霊』のツラも、拝んでみたいしの」

ふむ……、と顔見合わせた、己よりも年長な仲間二人と、交互に鳴滝は視線を合わせ。

三人は、行ってみるか、と揃って立ち上がった。

『神夷京士浪』──京梧と、龍斗の二人は『幽霊』であると簡単に調べ上げてきた鳴滝に、彼等の今の住まいが調べられぬ筈は無く、新宿中央公園を後にして数十分後、迷うこともなく、彼等は、京梧と龍斗が住まう場所近くへ辿り着いた。

「今日は、どうも御馳走様でした」

「んじゃ、又。……ああ、そうだ、馬鹿シショー。今度は、何時に稽古付けてくれんだよ?」

──眼前に迫った角を曲がれば、『幽霊』二人の現住居であるマンスリーマンションの玄関が見える、という場所まで、彼等が足を進めたその時。

目指す方角より『幽霊』の親戚達の声がし、さっと、三人は氣と気配を消して物陰に隠れた。

「てめぇが、その、『馬鹿シショー』ってな言い種を改めたら、何時でも相手してやるぜ?」

「ああ? 言い種を改めろ? 俺は、ホントのこと言ってるだけじゃねえか」

「ほーーーー……。その『馬鹿シショー』から未だに一本も取れねぇ、情けないヒヨッコなのは何処の誰だ? あ? 馬鹿弟子?」

「こ、んの…………」

「……まあまあ。京梧も京一も。それくらいにせぬか。近所迷惑だ。──京梧。京一の些細な悪態くらい、黙って聞き流してやったらどうなのだ」

「…………この馬鹿弟子の吐く悪態の、何処が些細だ」

「京一もさ、京梧さんに突っ掛かってばかりいないで、少しは殊勝になりなよ。京梧さんが京一のお師匠さんだって言うのは、どうしたって変わらないんだから」

物陰に潜んだ彼等に次いで届いたのは、『幽霊』の親戚達と、当の『幽霊達』がやり取りを交わす声で、聞こえてくる四つの声の内、全く聞き覚えがない声が、緋勇龍斗と言う『幽霊』の物なのだろうと思いながら、三人はひたすら息を殺し、

「ではな。龍麻、京一。気を付けて」

「馬鹿弟子は兎も角、龍麻、お前『は』気を付けろよ」

「ハハハ…………。──それじゃあ。又、来ますね」

「俺は兎も角って、どういう意味だ、馬鹿シショーっ! ……ったく……」

中々尽きない会話に彼等が焦れてきた頃、漸く、『幽霊』の親戚達が、その場を去る気配が伝わってきた。

が、親戚──龍麻や京一を玄関先で見送っていたらしい『幽霊』達が、中へ引っ込む気配はしなくて。

「…………出て来いよ。いやがるんだろう?」

ぶちぶちぶちぶち、『馬鹿シショー』への文句を零し続ける『馬鹿弟子』な彼と、そんな彼を宥め続けるもう一人の彼が、彼等三人が潜んでいる角を曲がらず、マンション前の通りを真っ直ぐ行って暫く。

苦笑混じりの呼び掛けが、物陰へ潜む彼等へと、『幽霊』の一人より放たれた。