強い日差しに晒された大気は、真夏特有の、肌を焼く熱を孕んでいたけれど、広い公園の木陰のベンチは、乾いた風の通りも良く、確かに、京梧でなくとも眠気を誘われる場所だった。

得物入りの刀袋を抱き込む風に、着物の袖の中で腕を組んで、瞼を閉じ、万全の昼寝体勢を整えた彼がうたた寝をしていた時間は十分にも満たなかったが、幸せな微睡みから戻った彼が、下ろしていた瞼を開いた時、直ぐそこの茂みに埋もれていた筈の龍斗の姿はなかった。

「あの、とんちきが……っ!」

右を見ても左を見ても、前を向いても後ろを向いても龍斗はおらず、盛大に悪態を吐いた彼は、刀袋を引っ掴むと、全力で駆け出す。

十分弱で睡魔に別れを告げたのが幸いしたらしく、容易に龍斗の氣は辿れ、更に駆ける速度を上げた京梧が着いた先は、新宿中央公園が造られた際、園内に取り込まれる格好になった熊野神社の境内だった。

……恐らく、『皆』の誰かに、神社にいる仲間が呼んでいると言われたか、然もなければ、祭神に招かれでもしたのだろう。

その辺に漂っている『皆』の誰やら──へ向けてなのだろう、多分──に笑みを振り撒きつつ、声も掛けつつ、擦れ違う人々に、目一杯、奇異の視線を向けられ露骨に避けられているのも気付かずに、境内のあちらこちらを、ふぅらふぅら彷徨っている龍斗を呆気無く発見した京梧は、それまで以上の速さで無意識の放浪を続ける彼に近付き、渾身の力で首根っこを引っ掴んだ。

「ああ、京梧。起きたのか?」

「起きたのか? じゃねぇっ。俺がうたた寝してるの判ってて、何で一人でふらつきやがる、迷子になるのがオチだろうがっ!」

「私は別に、迷子になっている訳ではなく、『皆』が──

──それを、迷子ってんだっっ。いい加減肝に銘じろっ!」

京梧が、龍斗の氣を容易に辿れるように、龍斗は、彼以上に容易に京梧の氣を見付けるし感じるから、毎度の出来事に怒りのオーラを発している彼がやって来ているのに、疾っくに気付いていたのだろう。

襟首を摘まれても、これっぽっちも驚かず、眦を吊り上げている伴侶を振り返って、龍斗はにっこり笑い、何故、京梧が怒っているのか判っていない風な顔付きで、何処までも毎度の如く、自分は迷子になった訳ではないと主張し始め、だから一層、京梧の顔付きは凶悪になり、

「くどいようだが、私は、何方に行ったら良いの判らずに、当てもなく彷徨っている訳でななく、『皆』に呼ばれて──

──あー、もういい! 判ったから黙れっっ。飯行くぞっっ」

どうしたって堪えない龍斗の態度と言い分にキレた彼は説教を打ち切り、龍斗の左手首を荒っぽく引っ掴むと、西新宿の住宅街の片隅にある小さな蕎麦屋を目指すべく、どすどす、足踏み鳴らしながら中央公園を後にした。

西新宿の五丁目と四丁目の境目辺りにある小学校の近所の裏道沿いに、老夫婦だけで営んでいる、店なのか家なのかの判別付け難い外観をした、本当にこぢんまりした蕎麦屋がある。

そこが、現在の京梧と龍斗の気に入りの蕎麦屋で、公園を出た二人は、馴染みになりつつある老夫婦の蕎麦屋へ向かい始めた。

その店は、中央公園からならば、ものの五分と掛からぬと言うのに、彼等が着いたのは、公園を出てより約三十分後だった。

移動に、本来の六倍の時間を要したのは、まあ……言わずもがなだ。

連れ合いに手を引かれつつも尚、龍斗は、誰が呼んでいるだの、誰が話し掛けてくるだのと言っては有らぬ方へ突き進もうとして、その度、京梧は、曰く『とんちき』を引き摺り進行方向を向かせながら小言を垂れて垂れて……、そんなこんなの所為で、五分の道程に二人は三十分を要した。

蕎麦屋の少々くたびれている暖簾を潜った時、京梧が若干疲れたような顔色を見せていたのは、そんな珍道中を繰り広げてしまったからに他ならないだろう。

彼の心労を知らず、龍斗が、悉く『皆』との話を邪魔されたと、何処となく拗ねていたのも一因かも知れない。

だが、何処から見ても人の良いのが判る老夫婦が出してくれる蕎麦が目の前に出されて直ぐ、二人の機嫌も直ったようで。

平日の真っ昼間から、冷やで一杯引っ掛けつつの昼食を終えた頃には、人目憚ることなく己達の仲睦まじさを垂れ流す、傍迷惑な毎度の彼等に戻っていた。

端から、彼等のやり合いなぞ所詮は痴話喧嘩で、犬も食わないけども。

それから。

昼食を摂った蕎麦屋から、少し行った先の細やかな商店街で買い物をしてから帰ろう、という話になった処までは良かった。

家に着く頃には、丁度そんな頃合いになるだろうから、茶請けでも調達しよう、と。

毎度毎度、餡子たっぷりの団子では飽きるから、何時ぞや、龍麻と京一が手土産に持って来てくれた塩煎餅でも、と。

しかし、何時でも何処でも発動する、龍斗の迷子癖の最大原因である『皆』との語らいタイムが、その道中でも当然発動してしまった所為で、京梧と龍斗の二人がマンスリーマンションに帰り着いたのは、夕暮れが終わる頃だった。

「疲れ、た…………」

もう、説教を喰らわす気力も尽きたのか、玄関扉を潜って草履を脱ぎ捨てるなり、京梧は、倒れるように狭い部屋の壁際でへたり込んで、後に続いた龍斗は、ほんのすこー……しばかり申し訳なさそうな顔をしながら傍らにしゃがみ込み、盗み見る風に彼の顔を覗き込む。

「京梧……?」

「……別に、怒ってねぇよ……。ああ、怒っちゃねぇから……」

龍斗の機嫌取りを兼ねて、散歩をしながら昼食と買い物を済ませて帰って来るだけの筈だったのに、余程の珍道中を繰り広げる羽目になってしまったのか、本当にぐったりした声で、京梧は投げ遣りな感じで問い掛けに応えた。

「その…………、私も、すまないとは思っているのだが…………」

呆れているような、龍斗の耳には見捨てたと言わんばかりに響く声を出され、小首を傾げる風に京梧の顔色を窺っていた龍斗は、気後れしている気配を全身に滲ませつつ、彼らしくもない、ボソボソと歯切れの悪い調子で詫びを言い掛けたが。

「嘘じゃねぇって。腹立ててる訳でも呆れてる訳でもない。唯、ちょいと疲れただけだ」

しゅん……、と肩を落とし、視線も畳の縁へと落としてしまった彼の様を横目で眺めた京梧は、「本当は、少しばかり嘘も混じってるけどな……」と心の中だけで呟き、なけなしの気力を振り絞ると、笑みを浮かべ、伸ばした腕で龍斗を引き寄せながら、甘やかしの科白だけを舌の根に乗せた。