良く晴れた五月中旬の週末の午後、龍麻と京一の緊張を駆り立てる、家中に響くような音で鳴った玄関チャイムに応えて出て来た京一の母は、

「いらっしゃい。待ってたのよ」

と、何時も通りの調子で出迎えてくれて、が、常ならば二人を連れ込む居間でなく、和室の客間へと彼等を通した。

その所為で、龍麻の背中には滝のように、京一の背中にもそれなりに冷や汗が流れて行ったが、京一の母も、既に客間で待っていた父も、何処からどう見ても普段着で、どうということのない表情を湛えていたから、先日の電話で、大切な話があるから、と息子に言われたが為、一応、こういう形を取っただけのことで、自分達が何を打ち明けようとしているかまでは判っていない筈、と若い二人は思い込むことにし、相変わらず素晴らしくパワフルな京一の母に指図されるまま、居心地悪そうに、身を小さくして、ちんまり、と座卓を挟んで座布団に腰下ろした。

「親父。お袋。あのな、今日は──

──まあ、いいじゃないか。お茶でも飲んでからで」

もうこの際、一刻も早く片を付けた方がいいと、座るや否や、京一は『今日の話』を始めようとしたが、父は、やんわりと、「母さんがお茶を淹れて来てから」とそれを制してしまい、故に、それより暫く、顔の引き攣りを誤摩化せない二人と、和んでいる初老夫婦の間では、他愛無い世間話が展開されたが。

「二人共、どうしたの。今日は、やけに口数が少ないじゃない」

話のネタが中々浮かばず、何となし口を突いて出た、『京一の剣の師匠』と『龍麻のはとこ』──実態は、二人の傍迷惑な先祖達──のことを、差し障りない範疇で京一と龍麻が語り終えた直後、やっと、子供達の様子が何処となくおかしいのに気付いた風な感じで、京一の母が突っ込んできた。

「えっと、その…………」

「まあ、何つーか……」

だから二人は、これを切っ掛けにしようと、目と目を合わせ、ソソっと座布団を外し、

「龍麻君? 京一?」

「どうしたんだい? 二人して」

「……親父。お袋。電話で言った通り、今日は、大事な話があって来たんだ」

少々目を丸くした両親へ向かって、京一が切り出した。

「…………どんな?」

「いきなり、こんな話されたって、親父達も困るだろうけど。親まで騙し通すのは良くないだろうって、ひーちゃんと──龍麻と二人で話し合って、だから、その……。……あー…………」

「だから? 何だい? ……いいから、言ってみなさい。そのつもりで来たんだろう?」

「………………俺も、龍麻も、男だけど……男同士だけど、一生を共にする約束をしたんだ。それを、許して欲しいとか言うつもりはない。でも、何がどうなっても、俺達の気持ちは変わらないってことだけは、言っとこうかと思ったんだ。……親父やお袋には、悪いと思う気持ちがなくもないけど、普通の結婚──嫁とか孫とか、そういうのを俺に期待するのは諦めてくれ」

始めの内こそ言葉を濁しがちだったが、両親の目を捉えた京一は、頭を下げながら言い切り、

「あの…………。おじさんやおばさんには、本当に申し訳なく思ってるんですけど、その…………」

流石に、二人の顔を見遣れなかった龍麻は、深く俯いたまま、畳に両手を付こうとした。

「あら、龍麻君。そんなことする必要は無いのよ」

「……ま、大体、思ってた通りの話だったよ」

だが、揃って土下座せんばかりになった彼等を、京一の両親は留める。

「え……?」

「……こっちも、バレてると思ったから、白状しに来たんだけどよ……」

或る日突然、息子に、生涯の連れ合いだと、選りに選って男を紹介されれば、取り乱すのが子を持った親としての一般的な反応だろうが、初老夫婦は衝撃の告白をされてもケロっとしたままで、龍麻は、俯かせていた顔を持ち上げ瞳を見開き、京一は、やっぱりなー……と、ばつが悪そうに視線を漂わせた。

「お父さんが言った通り、そんなことじゃないかと思ってたのよねー。三月の頭に帰国してるって言いに来た時、あんた達は『そう』なんだろうって、薄々判ったから。──んもー、龍麻君ってば。だから、おばさん、あの時言ったじゃない、龍麻君なら大丈夫だから、って」

「父さん達は、お前達の気持ちが確かなら、それでいいと思ってるから。ま、こっちは気にしないでやりなさい。二人共、もう疾っくに二十歳を過ぎた大人なんだ、言われなくとも、相応の立場とか責任とかは判ってるだろう? 兎に角、他人様に迷惑を掛けたり、世間様の風当たりに拗ねたりする馬鹿をしなければ、お前達がどうやって生きようと、どういう関係だろうと、父さん達は構わないよ」

「母さんも、そう思うわよ。あんた達が良ければ、それでいいんじゃない? あたしやお父さんが口挟んだって、どうしようもないことでしょう。第一、最初っから、京一にお嫁さんが来てくれるなんて期待してないし、孫にはもう恵まれてるから、気にしなくていいわよ。龍麻君っていう、息子が一人増えるだけのことじゃない。ねえ? お父さん?」

「ああ。息子が一人増えるんだから、おめでたい話だな、母さん」

有り得ない事態に遭遇した者が拵える、狐に摘まれたような顔で、会話の内容が全く理解出来ない風に、ほけっとしている龍麻と、判っちゃいたけど自分の親って……、と拍子抜けしている京一を前に、悠々と茶を啜りながら、和気藹々、初老夫婦は話し続け、

「………………但し」

突然、京一の父は真摯な態度を取った。

「……何だよ」

「家はそれで良くても、龍麻君の家のことは、話が別だ。こういう言い方は、お前達には酷だろうが……京一。他所様の大事な一人息子の一生を、お前は狂わせることになるんだから、龍麻君の家まで行って、土下座くらいはして来なさい。龍麻君のご両親のことだから、命までは取られないだろうが、向こう様の気が済むようにしなさい。当然、その程度の覚悟はあるんだろう? ……龍麻君も。ご両親にぶん殴られるくらいの騒ぎにはなるかも知れないが、ま、それくらいはな」

「判ってる。最初からそのつもりだ。もう、二人でお邪魔しに行くからって、ひーちゃんに連絡して貰った。だから、月末、長野行って来る」

厳しい眼差しで見遣って来た父が言い出したことは、言い回しに至るまで、ほぼ、大分以前に、自分達の本当の関係を知る者の一人で友人の村雨祇孔と、もしも、龍麻とのことを両親に打ち明けたらどうなるか、との会話をした際に告げた予想通りで、思わず吹き出しそうになったのを何とか堪え、声だけは真面目腐ったものにして、京一は答えた。

「ちゃんとした格好して行くのよ。お土産も忘れるんじゃないわよ。お前、唯でさえ龍麻君の家には不義理してるんだから。あ、それから、一応、龍麻君の家の近所の外科、調べときなさいね。保険証、コピーといてあげるから。そうすれば、安心でしょ?」

「………………ヤなこと言うなよ、お袋……」

「家の親、そこまで過激じゃありませんから、それは大丈夫だと思います。はは……」

父親に申し渡された程度の覚悟など、もう決めている、と京一がしたり顔をすれば、今度は母が、病院に保険証、などと、穏やかでない話を当たり前過ぎる調子で言い出したので、京一は目一杯顔を顰め、龍麻は、それまでとは少々違う意味で頬を引き攣らせた。

「あら、そう? 家の馬鹿息子は、一遍くらい、それくらいの目に遭った方がいいと思うんだけど……でも、そうねえ、龍麻君のご両親は、間違っても過激なご夫婦じゃないから、蹴っ飛ばされる程度で終わっちゃうかもね。…………残念だわ」

「残念って、どういう意味だ!」

「細かいこと言わないの。男のくせに、みみっちいわね。──あー、良かったわー、思ってたようなことで。お金貸してくれとか言われたら面倒ねえ、とか思ってたのよ。尤も、そんなこと言われたって、あんた達に貸せるようなお金なんかある訳ないでしょ、の一言で終わるんだけど。処で、話はもうお終いよね? 二人共、この後の予定ないでしょ? 折角だから、四人でご飯でも行こうかって、お父さんと話してたの。だから付き合いなさいね。支度して来るから、一寸待ってて頂戴。いいわね?」

けれども彼女は、馬鹿息子の言い分などに貸す耳はない、と毎度毎度のことを言い出し、二人を押し切り始め、

「んじゃ、部屋行ってっから。支度出来たら呼んでくれよ。──ひーちゃん、行こうぜ。……ひーちゃん?」

「…………御免……。俺、腰抜けちゃって立てない……」

流石に今日ばかりは、両親に何を求められても嫌とは言えそうにないと、素直に母親の申し出を受け入れた京一は龍麻を促し、が、酷く情けない顔で彼を見上げるしか、その時の龍麻には出来なかった。