お茶で良いかとか、この茶菓子は嫌いではないかとか、お茶などよりもビールの方が良いかとか、それはもう、盛大なもてなし攻撃を仕掛けてくる龍麻の養父母を前に、龍麻も京一も激しく居心地の悪い思いに曝されたが、いきなり本題を持ち出す訳にもいかず、訪問の理由を切り出す切っ掛けも中々掴めず。

人が良いのに間違いはないらしい夫婦が持ち出す話題に、シクシクとした痛みを増す一方の胃を抱えながら、京一は、畏まって正座したまま付き合い、龍麻は、胃が痛い、心臓が痛い、東京に帰りたい……、と心で泣きつつ、精一杯頑張って笑みを振り撒いた。

だから、話題の中身だけはほのぼのとしているひと時は延々と続き、龍麻達の高校時代の話や、中国での修行の話などが尽きても場に区切りは付かず、若い二人はその後も、龍麻の父が引き摺り出してきた古いアルバムを前に、龍麻も目にするのは初めてだった実父・弦麻の若い頃の写真を眺めたり、兄は小さい頃から武道が好きで、ずっと修行もしていたけれど、弟の自分は武道に全く興味が持てなくて……、との父の昔話や、自分達も高校の同級生同士で、卒業して直ぐに結婚した、と言う夫婦の思い出話に耳を貸したり、数年前に上京した際、京一の両親と一緒に食事をした際の話を聞かされたりして。

茶の間の窓の向こう側に、夕陽に染まった空が広がり始めたのを知って、もう、ここらが潮時だと、龍麻と京一は目と目のみで言い合った。

何も打ち明けられぬまま、この家に泊まることなど、到底、二人には出来そうもなかったから。

「……あの…………。電話では言わなかったけど、その……、今日は実は、その…………、義父さんと義母さんに話したいことがあったから、京一連れて帰って来たんだ……」

故に、やっと、永遠に続いてしまうのではないかとすら思えた穏やかな会話に、それでも一瞬の隙と沈黙が生まれた機を捉えて、つっかえつっかえ、龍麻が切り出した。

「話? 何か遭ったのかい?」

「何か遭ったと言うか……、えっと……。遭ったと言えば遭ったと言うか…………」

「どうしたの。龍麻ってば、はっきりしないこと言い出して。わざわざ帰って来てまで話さなくちゃならないような、大切なこと?」

あからさまにならぬように必死の努力はしているけれども、明らかに両親から視線をずらしている、縮こまって声も小さい龍麻にそんな風に言われて、彼の父も母も、戸惑った風になる。

「……ひーちゃ──龍麻。その話は、俺から──

──大丈夫、俺から話すから」

机の下の見えない処で、ぎゅうっと手を握り締め、意を決した顔になった龍麻に、京一は、自ら打ち明けると告げたが、龍麻は、強く首を振り、

「………………龍麻? 京一君? どうしたの? あの……何が遭ったのかしら……。東京とか中国で、何か酷く困ることでも起きたの……?」

「そういうんじゃなくて、あの……っ。……俺、京一と、一生を誓う仲なんだ。ずっと、一緒に生きてこうって。……だから、その………………」

とても不安そうな眼差しを送って寄越した母に、彼は、すまなそうに、とうとう打ち明けた。

「え……? 龍麻、それって……。あの、それって……、もしかして、お前と京一君は、お付き合いをしてる……ってことかしら…………?」

「……うん…………」

「ええと……。京一君は、本当は男の子じゃなくて女の子……な訳ないわよね……。でも、お前は男の子だから……。……………………え?」

「えっと……、俺は男だし、京一だって男だけど、その……、何て言うか、俗に言う、同性愛って奴で…………」

「…………そうなの? 本当に……?」

「うん。本当に……。二人には、御免って言わなきゃいけないって思ってるけど、でも、京一と別れるなんて出来ないから、義父さんと義母さんには、ちゃんと打ち明けなきゃいけないかな、って……」

「何時、から…………? まさか、高校生の時から……?」

「二年と一寸前くらい……。厳密には違うけど、大体、二年くらい前から…………」

ぽつりぽつりと続く、どうやっても辿々しさを消さぬ龍麻の話が進むに連れ、彼の両親は見る見る内に目を丸くし、父は絶句した風になって、母は、頭に浮かんだ言葉を、唯、舌の根に乗せるようになり。

「あの────

龍麻に代わり、今度は京一が、自分達の想いを伝えるだけでも伝えようと口を開いた、丁度その時。

先程までとは一転し、息詰まるような空気だけに支配されたその部屋の雰囲気を、更に肌身に突き刺さる方向へと瓦解させる風に、突然、龍麻の母が、頬に涙を伝わせ始めた。

「…………御免なさい……」

「龍麻の──大切な息子さんの人生狂わせるようなことになったのは、申し訳なく思ってます……」

罵倒されたり、頭ごなしに怒鳴られたり叱られたり、泣き喚かれたりするかも知れない、との想像は幾度となくしたが、龍麻の母に、言葉も声もなく、瞬きすら忘れて、唯、はらはらと泣き濡れられる想像は龍麻も京一もしたことがなく、二人は揃って、その場に両手を付き、唯々、深々と頭を下げた。

説得の言葉など、到底思い付かなかった。

「……龍麻? あのね、お母さん、お前がお嫁さんにするって決めた人を連れて来るのとか、お前の結婚式とか、孫とか、楽しみにしてたの……。弦麻義兄にいさんと同じような道選んだお前は、そういう人生は送らないかも知れないって判ってても、やっぱりね、期待はしたの……。お父さんだって、お母さんだって、余り古臭いことは言いたくないけど……緋勇の家の直系は、もう、お父さんとお前だけだから……。この家に帰って来ることはなくても、跡くらいは継いでくれるかしら、って思ってたりしたのよ……?」

「……うん、それも判ってるけど……。判ってはいるけど…………」

「なのに………………。なのに、どうして………………?」

「それ、は…………」

「……………………どうして!? どうして、もっと早く言ってくれなかったの!! お母さん、『若いお婆ちゃん』に憧れたりしたのに! こんな田舎じゃ、跡継ぎがどうのとか家がどうのとかって、どうしたって言われるから、そういうこと、出来ればお前にも一緒に考えて欲しかったし! でも、お前のお相手が京一君じゃ、子供は出来ないじゃない! お母さん、四十代だけど、四十代は四十代なの、もう、お前の弟か妹を産むのは凄く厳しいのっ!! もっと早く言ってくれれば、今まで子宝には恵まれなかったけど、もう一回頑張ってみようとか考えられたのに! 何でそんなに大事なことを、二年も黙ってたのっ!? あたしやお父さんに言わないで、どうするつもりだったのっっ!?」

頭を下げることしか出来なくなった二人を前に、切々と、彼等の胸に突き刺さる想いを洩らした龍麻の母は。

おいおいと泣きながら、龍麻も京一も咄嗟には言われている意味が飲み込めず、「ん? 一寸待て……?」と、考え込まざるを得なくなった訴えを続けた。

「えーーー……と…………」

「ひーちゃん? 今の、どういう意味だ……?」

「そんなこと、俺に訊かれても…………」

だから、一応頭は下げたままにして、二人は、ボソボソと始める。

「すまなかったね、京一君。龍麻も驚いたろう? ……お母さんの科白じゃないが、ここは本当に田舎だから、色々とうるさいことが多くてね。高校卒業して直ぐに結婚したのに子供が出来なかったりした所為で、喧しい親戚に嫌味や当て付けを言われたこともあったから、龍麻には知られないようにしてたけれど、お母さんは、子供や孫のことになると暴走しがちなんだよ」

話がこんな風に転がるとは夢にも思っていなかったから、どうする……? と小声で相談を始めた彼等へ、龍麻の父が、泣き続ける妻にテッシュの箱を渡してやりながら、苦笑を向けてきた。

「……あ、のー……。義父さん……?」

「ん? 何だい?」

「義母さんは、孫と緋勇の跡取りのことで泣いてるだけ……?」

「多分、そうだよ? それがどうかしたかい? 心配しなくても大丈夫だ、暫く泣かせてあげれば、元に戻るから」

ティッシュの箱を渡してやるだけでは駄目だったらしく、もう、号泣、としか言えないレベルの泣き方になった傍らの妻を宥め始めた父へ、頭を上げ、ソロ……っと問うてみた龍麻に、父は、どうしてそんな、判り切ったことを確かめる? と、不思議そうに首を傾げた。

おいおい、を通り越し、わんわん、と言い表すしかない程に泣いて、ティッシュも箱が空になるまで使って、やっと泣き止み、泣き腫らしたからだけでなく、幾度も幾度もティッシュを擦り付けた所為もあって、本当に真っ赤になってしまった目許を何度も擦りながら、ちょっぴり恥ずかしそうに龍麻の母が息子達の方へと向き直ったのは、例の、声高で激しい訴えを叫んでより三十分程度が経った頃だった。

「御免ね、みっともない所見せちゃって……」

「いえ、そんなことは……」

「俺達こそ、いきなり、あんな話始めて御免……」

決まり悪そうな笑みを浮かべて見遣ってくる彼女に、慌てて、こっちこそ、と京一と龍麻は再び頭を下げた。

それより暫く、こっちこそ、いえ、こちらこそ、の応酬が続き、それでは話が進まないと、漸く龍麻の父が応酬を打ち切ってやっと、『本題』は進み始めた。