「お前と、とことんまで呑んだ最後は、何時だったっけかねぇ……。……ああ、あの時か。富士からの帰りの。何で、わざわざ東海道伝いで江戸まで、って、全員でぎゃんぎゃん喚きながら吉原宿の旅籠に泊まってよ。戦勝の祝い酒だと誰からともなく言い出して。宴会になった、あの夜。流石に疲れに負けたのか、ひーちゃんや下戸連中は先に休んじまって、飲ん兵衛連中も片っ端から潰れちまって、最後まで踏ん張れてたのは俺とお前の二人だけで。何だ彼んだ言いつつ、朝まで呑んだんだったよな」

付き合ってやっても良い、との天戒の声が聞こえた筈は無いのに、京梧は、しかと応えを受け取った風に酒を煽りながら語りを続け、

『……そうだったな。あの夜の酒は、気分のいい酒だった』

聞こえる筈無い応えを、天戒は返し続ける。

「江戸に戻ってからの大晦日の宴会も、新年の宴会も、お前と二人きりで、とことん、とはいかなかったから。……そうだな。あれが最後だ。…………足りなかったな」

『…………ああ。足りなかった。貴様が思う以上に』

────聞こえる筈無いのに。届く筈も無いのに。

酷く懐かしいモノを探す遠い目をして、あの頃の思い出を語り、卓袱台に頬杖付きつつ酒を進ませる京梧へ、天戒は、ひたすらに応えを与えた。

決して減らない──減らせない、己の為の猪口に注がれた酒を見詰めながら。

その胸の中を、『答え』が満たしてしまったから。

………………あの頃。

天戒には、朋と呼べる者がいなかった。

その人徳故に人には恵まれた。徳川幕府への復讐に身を焦がしても、彼の傍らには常に、仲間が、同胞がいてくれた。だが、朋はいなかった。

九桐尚雲は、彼の従兄弟であり腹心だった。

桔梗は、彼に仕える者であり部下だった。彼女にとって、彼は恩人であり仄かな片恋の相手だった。

嵐王も、風祭澳継も、彼に仕える者達であり、部下達だった。

他の者達も、仲間であり、部下であり、村民であって、誰も彼も大切な者達だったことに代わりはないが、朋ではなかった。

彼等は皆、彼に従う立場にあり、彼は、彼等を従わせる立場にあったから。

龍斗でさえ、朋とは言えなかった。

あのような関わり方から始めなければ朋と呼べ合えたろうが、当時の彼に、龍斗だけを鬼道衆と言う括りの中から食み出させることは敵わず、龍斗にとっても、彼は、家族にも等しい大切な者の一人、だった。

だが、そんな彼にも唯一人、本気で怒鳴り合いながら、時には刀すら交えながら、朝日が昇るまで飲み明かせる相手が出来た。

それが、京梧。

……彼等の仲は、決して良かったとは言えない。少なくとも、始まりの頃は。

天戒は、徳川に復讐を誓った鬼道衆の頭目、京梧は、幕府の隠密組織『龍閃組』の一員、出会す度、異形絡みの騒動が起こる度、散々にやり合った。

柳生崇高を討ち果たすべく双方手打ちをしてからも、些細なことで睨み合うような様だった。

目も合わせず、悪態ばかり吐き合った。

互いが互いを認め、打ち解けてからも、時々に飲み明かし、時々に立ち合う以上の仲ではなかった。

…………それでも。京梧は、天戒様でも御館様でもない、『九角天戒当人』として、彼と向き合った。

──良く言っても、二人の間柄は、飲み仲間か、然もなければ喧嘩友達、と言う処が精々だったろう。

少なくとも、あの頃の天戒の中での京梧は、そういう存在だった。

否、そういう存在だと、彼は思い込んでいた。

けれど、それは違った。

それが、今日になって、漸く天戒が得た答え。

……あの頃も。そして今でも。彼にとって、京梧は、唯一の朋だった。

天寿を迎え、常世に赴き、魂のみの存在と化してより数十年は経つのに、今日と言う日を迎えるまで気付けなかったけれども。

しかし、気付いた。気付くこと『は』出来た。

漸く、彼は答えが得られた。

自身にとって、京梧は確かに朋だった、と。

朋と想っていた者に、何も残さず姿を消され、そのまま生き別れてしまったのを、寂しく想っていたのだ、と。

自身にとっては朋でも、京梧にとっては、黙って別れられる単なる仲間でしかなかったことが、情けなく、悔しかったのだ、と。

もっともっと、悪態をつき合って、本気の喧嘩をして、心残りの一つもなくなるまで飲み明かしたかったのだ、と。

────生き別れてより数十年。死して、更に数十年。

……それに、漸く気付いた。

だけれども、今の彼等の間には、死者と生者と言う絶対の隔たりがあり、語り合いは叶わない。

酒を酌み交わすことも。

京梧が、足りなかった……、と想ってくれているように、自身も又、足りなかった……、と想っているのを、彼に伝える術が天戒にはない。

自身の為の酒を空ける術も。

「あんな騒動の真っ最中でなけりゃ、お前とは、酒も立ち合いも存分に出来ただろうが、そういう訳にもいかなかったからな。とは言え、あの成り行きに飛び込んでなけりゃ──互い、ひーちゃんと出逢ってなけりゃ、お前との巡り会いもなかっただろうから? そういう意味でも、ひーちゃん様々って奴かね」

『確かに、龍には感謝すべきなのだろうな。俺達全てを結び付けたのは、龍だから。……だが、俺と貴様が飲み明かせるようになったのは……、足りなかった、と今でも思うのは……────

…………だから、せめても、と。

天戒は、京梧の語りに付き合い、届く筈無い応えを律儀に返し、

「………………天戒」

ふと、京梧は、何を思ったか、再度、天戒を呼びつつ猪口を傾けていた手を止めた。

『……何だ』

「もう一度だけ言う。大人しく、三途の川の向こう岸で手ぐすね引いて待ってやがれ。言いたいことも、言い足りねぇことも、恨み辛みもありやがるだろうが、黙って待ってろ。……言っとくが、てめぇらにゃ何も言わずに消えたこたぁ、どんな説教喰らっても詫びねぇからな。勝手を詰られても知ったこっちゃねぇ。今日を限りに別れだ、なんて話は、碌でなしが手前の情人いろ相手にするこった。ダチ相手にすることじゃねぇ。第一、気色悪りぃ。…………但。あれを境に二度と酒を交わせなかった詫びはする。呑み足りなかった詫びも。……龍斗を連れて、必ず逝くから。待ってろ」

指先で掴んでいた猪口を卓袱台に戻し、代わりに取り上げた天戒のそれをクイッと空けて、彼は立ち上がる。

『……龍…………』

腰を上げ、何処となく苦い目になった京梧が見遣った先に視線を走らせれば、風呂に行った筈の、が、湯を使った様子はない龍斗が戸口に佇んでおり、彼はずっと、自分達のやり取りを聞いていたのだろう、と天戒も苦笑した。

「京梧。用は済んだのか」

「……いいや。『この用』が片付くのは、未だ当分先だ」

が、龍斗は真っ直ぐ京梧を見詰め、肩を竦めた京梧は、風呂、と言い残して茶の間を出て行く。

「天戒。お前が望むなら、気の済むようにするが」

何処となく不貞腐れたような足取りで風呂場に入って行った京梧を見送ってから、天戒へ向き直った龍斗は、言外に、去るつもりなら、その為の支度をする、と告げたが。

「………………いや、いい。送り火の日まで、馬鹿な朋の酒に付き合わせて貰う」

薄く、天戒は微笑んだ。