俺達は、今日も、我が道だけをズンズカ行く先祖二人に振り回される運命を辿っちゃうんだなー……、と黄昏れつつの京一と龍麻と、あの馬鹿、何処まで行きやがった、とお冠な京梧の三人が、彼等の住まいのある、新宿区西新宿の住宅街の中を彷徨い始めた頃。

龍斗は漸く、座り込んでいた、東京都庁近くの裏路地より腰を上げた。

何故、その付近の『皆』との語らいを止め、彼が立ち上がったのかと言えば、何時の間にか傍に寄って来ていた、辺りを塒としているらしいサビ模様の野良ニャンコに、

『何時までも、話し込んでいていいのか?』

と言われたからだ。

決して、彼自ら、もしかして私は又、迷子になっているのだろうか、とか、そう言えば、『すーぱー』に行くつもりだったのに、とか、気付いた訳ではない。

龍斗が余り一人では出掛けないのも、何時も一緒にいる、赤茶のザンバラ髪で着物姿の男に、迷子になるなら出掛けるな! と年中叱られているのも知っていたサビ模様なニャンコは、そんな彼が一人きりで出掛けたということは、きっと、用事があったからなんだろう、との知恵を回せる、賢いニャンコだった。

故に、サビ模様な、序でに言うなら雄だった賢いその子に当初の目的を思い出させて貰った龍斗は、ああ、そうだった、と腰を上げ……、だが。

「ここは、何処だろう……?」

辺りを見回し、ちょっぴり項垂れた。

『都庁って名前の、でっかい建物の側』

自分のいる場所が、もう判らない、と困った顔付きになった彼に、救いの手を差し伸べたのは、やっぱりサビ模様ニャンコだった。

…………でも。

「そうか。教えてくれて有り難う。私は買い物に行く途中だったのだ。助かった。……だが……、さて、何方に行けばいいのやら……」

『買い物? 買い物が出来ればいいのか?』

「ああ、そうだ」

『なら、連れてってやる』

そこが、東京都庁近辺だと教えられても、帰り道も判らない龍斗は、又もや、うーん……、と唸って、だから、サビ模様ニャンコは仏心を出し、道案内を買って出てくれた──処までは良かったのだが。

『何処で』、買い物をしたいと思っていたのかを、龍斗は告げず。

買い物が出来ればいいのだろう、とサビ模様ニャンコは思ってしまい。

──故に、それより過ぎること、約一時間。

これは、猫だからこそ行ける道なんじゃなかろうか? ってなルートを、ニャンコに案内されながら、それでもヒョイヒョイ付いて行った龍斗は、JR新宿駅の西口前に立っていた。

「……ここは?」

『新宿駅』

「…………何故?」

『買い物がしたいんだろう? ニンゲンってのは、この辺で買い物ってのをするらしいぜ? ……それじゃ、又な』

「………………あ、ああ。有り難う……」

一人では足踏み入れたこともない、新宿駅のド真ん前に連れ出されてしまって、半ば呆然となった龍斗は、傍らを通り過ぎて行く見ず知らずの他人に、「一体、誰と話してる?」と不思議そうな顔されるのも無視し、足下にちんまり座るサビ模様ニャンコに話し掛けたが、買い物ってのが出来ればそれでいいんだろう? と思い込んでしまっていたニャンコは、それじゃ! と、あからさまな達成感の滲む爽やかさを振り撒いて消えてしまい。

「私は、どうすれば…………」

龍斗は目一杯、途方に暮れた。

……目の前には、龍斗にしてみれば、山、としか例えられない駅ビルが聳え立っていて、あっちを見てもこっちを見ても、ビル、という名の鉄筋コンクリート製の山又山で、「今日は、何処かの祭か?」と問い掛けたくなる程に人は溢れているのだから、現代社会歴は僅か五ヶ月の、頭の中身も習慣も、未だに幕末当時のままな彼としては、途方に暮れる以外に術はなかったのだろう。

とは言え、彼とて、この先に進めないなら来た道を戻ればいい──否、例え、辿って来た道をそっくりなぞることが出来なくとも、せめて、来た方角を振り返って進めばいい、程度の知恵は働くので、呆然としていても仕方無い、と彼は、馬鹿面晒して眺めていた駅ビルを見上げるのを止めて、くるん、と振り返ったのだが。

踏み出そうとした彼の足は、ぴたりと止まった。

それまで彼は、案内を買って出てくれたサビ模様ニャンコだけを見詰めながら話しつつ歩くのに忙しくて、辺りの様子など、これっぽっちも気に留めていなかったのだけれど、即席保護者が消えてしまった所為で、自分の周囲がどんなことになっちゃってるかが視界に入ってしまって、思わず、その場で固まるしかなかったのだ。

──JR新宿駅西口前は、大きなバスターミナルとタクシー乗り場があって、その中央には、地下駐車場へと円を描くように続くスロープがある。

その向こうには、駅東口側を走っている、職安通りと靖国通りと青梅街道がぶつかっている新宿大ガード前の交差点と、南口側にある甲州街道を結ぶ四車線の通りがあって、その通りと凸字を織りなすように西新宿側に伸びている、中央分離帯付きの六車線道路もあって、それ等を取り囲むように、デパートのビルが、別館含み三つもあって、ファッションビルも二つあって、更には保険会社のビルだの巨大雑居ビルだの何だのが、ごちゃっ、と林立している。

加えて、その日は休日。彼の真後ろは新宿駅。

…………要するに。

龍斗的には、これでもか! ってくらい、そこには、車も人も過ぎる程に溢れていて、騒音、雑音、人の声、店舗より洩れるBGMその他も溢れ過ぎていて。

咄嗟に彼は、恐怖、って奴を覚えてしまった。

人の多さにも、最近になって漸く見慣れてきた車の多さにも気後れし。

騒音、雑音、BGMと言った、そもそもからして、龍斗以外の者にも、時に、うるさい、としか聞こえぬ音は未だしも、龍斗にとっては、騒音その他と大差ない、溢れているにも拘らず、何を言っているのか、それに何の意味があるのか、さっぱり判らぬ人の声が在り過ぎて。

景色も、人や車の多さも怖いが、何よりも、己にとっては意味無く迫って来る人の声が怖過ぎる……、と。

その気になれば、そんな音、自らの意思で完全シャットアウト出来るってのも忘れて、彼は、プチ・パニックに陥った。

日本最大の規模を誇る、某海っぺりにある某夢の国な遊園地のど真ん中で親と逸れた三歳児に楽勝出来るくらい、取り乱した。

……故に。

プチ・パニックを起こしてしまった彼は、何を血迷ったのか、パン! と両手で自分の耳を力一杯押さえて、ギューーーーー……っと目を瞑り、肌で感じる氣と気配だけを頼りに通行人達の間を縫って、こっちに行けば何とかなるかも! との勘のみに従い、猛ダッシュで走り出した。

………………が。

取り乱している時に発揮される人間の勘程、当てにならないものはなく。

内心で、「京梧ぉぉぉっ……」と泣きべそ掻きつつ彼が振り絞った、こっちに行けば何とか! な勘は、目一杯外れ。

ひーこら言いながら走って走って、もうそろそろいいかなー……、と立ち止まった龍斗が、恐る恐る目を開いた時、そこは。

休日故に歩行者天国とされている、新宿通りの隅っこの、自動販売機の影だった。