そんな、しょっちゅう迷子と化すくせに、迷子った際の対処法に関する学習は出来ていない彼は。
京一にも仲間内にも『別嬪さん』と真顔で言われる程に、きっぱりはっきり目一杯女顔をしている子孫な龍麻とは、何処からどう見ても、一寸歳の離れた兄弟にしか見えない容姿をしている。
有り体な表現をすれば、子孫に負けず劣らずの女顔、ということだ。
それに加え、現代と比較すれば食料事情も宜しくない幕末生まれの幕末育ちなので、身長の方も一六五センチ前後しかないし、全体的に細っこい。
着ている服をひっ剥がしてみなきゃ、何処にどう筋肉が付いているかも判らないくらい細っこい。
なので、錯覚を起こし、彼を、「女?」と思う者がいてもおかしくはない処か、実際、そういうことはこれまでにも少なからずあって。
その時も、少々へっぴり腰で、「大丈夫、この道を歩いた処で、捕って食われる訳ではない」と、必死こいて己に言い聞かせつつ歩き出した彼を、擦れ違い様、都会に不慣れな女性観光客、と勘違いした、色んな意味で元気溌剌な肉体に、要らんパッション迸らせてる若人は多かった。
一寸歳がイッてるっぽいし、胸はなさそうだけど、顔はブラボーな『年上のお姉様』が、一人ふらふらしてるよ、と思い込み、実際に声を掛けた強者も、一人や二人なんてもんじゃなかった。
しかし。
出来れば『夜』までもお相手を、ってな下心付きのナンパを目的とした、見ず知らずの他人の声や科白が、確かな意味を持つ人の言葉として龍斗の耳に届くわきゃないので。
何やら、直ぐそこで雑音が聞こえる、とか何とか思いながら、これっぽっちの悪気無く、龍斗はその全てを無視し、前だけを見据えて歩き続けた。
──因みに。
彼に声掛けた、要らんパッションばかりを迸らせて生きてるよーな若人達の中に、彼の態度を受けて速攻でプチっとキレちゃう短気者は、その日はいなかった。
そしてそれは、『幸い』なことだった。
まかり間違って、「お姉さん、無視ですかい?」と、彼の体の何処かを掴みでもしようものなら、何処までも無意識のままの彼に、片手でぶん投げられる運命を辿っただろうから。
んで以て、一寸した騒ぎが、歩行者天国になってる新宿通りにて勃発しちゃっただろうから。
尤も、迷子の龍斗を捜し歩いている京梧達的には、それくらいの騒ぎが起こった方が却って有り難かっただろうけれど、若人達や龍斗的には『幸い』なことに、その時、彼に声を掛けた若人達のナンパが悉くしくじった以外の出来事は起こらず。
西新宿に帰るんだ! との決意秘めた龍斗の歩みは順調だった。
………………でも。
やっぱり、何処までも、『でも』。
彼の順調な歩みが、十メートル程続いた時。
『何してるんだい?』
余程のことがない限り、龍斗の耳には届いちゃう『皆』の声が、再び、彼に掛かった。
新宿のような繁華街の陰を我が物顔で闊歩する、ドブネズミの声が。
「ん? ……その……、何、と言うか…………」
その瞬間、京梧が帰って来る予定の夕方までには家に戻る! との龍斗の決意は、遠い遠い何処かに消え。
もう何時間も、どうしていいか判らないくらい、目一杯迷子になってます、とネズミ達に打ち明けるのは、ちょっぴり恥ずかしい、と思ってしまった彼は、思わず言い淀んだ。
『ま、どうでもいいや、そんなこと。それよりもさあ、一寸、助けて欲しいことがあるんだよ。そこの呑み屋の脇にあるデッカい箱、退けて貰えないかなあ。通り抜け出来なくって、邪魔でさー』
恥を忍んで、迷子になっている、と打ち明ければ良かったのに、龍斗がそれをしなかったから、ネズミは、大した用事もないなら頼みたいことが、と言い出し。
「それくらい、お安い御用だ」
すんなり、龍斗はそれを引き受けてしまい。
『あー、助かった。ありがとよ。……あ、そうだ。直ぐそこの、ほら、今日は、やったらニンゲンが行ったり来たりしてる通りの向こう側の……──』
「──そうなのか? なら、行ってみよう」
毎度のパターンで、ネズミに、あっちに会いたがってる『皆』がー、ってなことを言われちゃった、ほんっきで学習能力の無い彼は、何とか新宿通りを横断して、靖国通り方面目指して進んでしまった。
……益々、西新宿からは遠くなるのに。
家に帰る、ってことも、又もや失念して。
ネズミに言われた通り、新宿通りと靖国通りに挟まれた区画の一角に、ひっそり……、と咲いていた雑草と、
「こんな所だけれど、頑張って生きるのだぞ?」
『うん。頑張る!』
ってな、のほほん会話を交わした後は、雑草に、靖国通りの街路樹が、と言われて、街路樹には、歌舞伎町の中にある公園のお地蔵様が、と言われて……、と。
もう、言葉も失う程に呆れ返るしかないくらい、あっちにふらふら、こっちにふらふらを再開してしまった龍斗は、ネズミと出会してから小一時間程が経った頃、漸く、自分は家に帰ろうとしていた途中だった、というのを思い出した。
道に迷っている最中だった、というのも思い出した。
故に、現実と現状にやっと気付いた彼は、慌てて空を見上げた。
見上げた初秋の空は、見事に真っ赤だった。夕日に染まって。
「もう、京梧は帰って来ただろうか……」
現在時刻は既に夕方、それを知り、はあ……、と龍斗は溜息を零す。
────…………もうそろそろ、京梧が帰って来ていてもおかしくない。
ということは、私の不在に気付いた、ということで。
何とか彼んとか家に戻れたとしても、何処に行っていただの、又迷子になっていたのかだのと、きっと叱られる。
間違いなく心配もしている。
又、私が一人で迷子になってしまっているのでは、と案じて、私を捜し歩いているかも知れない。
どうしよう。でも、帰り方が判らない…………。
──と、そんな風にも思って、がっくり肩を落とし、本当に本当に心細そうな顔をし、とぼとぼ、俯き加減で龍斗は歩き始めた。
一応、夕日の方角目指して。
あっちが西の筈、と。
けれど、細長い雑居ビルがびっちり隙間無く犇めき合っている歌舞伎町の中を、夕日だけを目指して進む、というのは不可能な相談で、彼は、幾度か角を曲がった。
目一杯適当に。
すれば、本当にラッキーなことに、大通りに出ることが叶った。
そう、靖国通り。
更には、通り沿いにあった、道案内の看板を見掛けることも出来た。
そしてそこには、龍斗にはとてもとても馴染みある、『花園神社』の文字が書き込まれていた。
「……花園…………。……花園!」
──行き当たった看板の、『花園神社 五〇〇メートル』の文字を眺め、思わず彼は叫んだ。
花園神社まで行ければ、きっと何とかなる! との一念で。
……但し、それは、自身にも京梧にも馴染みがあり過ぎる花園神社にいれば、京梧が捜しに来てくれるかも知れない、との発想に基づいたものではなく。
もう、形振りなど構っていられぬから、何としてでも花園の稲荷神を拝み倒し、口説き落とし、家までの帰り方を教えて貰うか、『一寸したモノ』を貸して貰って家まで案内して貰うかしよう、との発想に基づいたものだったが。