「だーかーらー。無茶言うんじゃねえよ、この耄碌ジジイっ! さっきも言っただろうがっ。俺達ゃ、インドにいんだよ、イ・ン・ド! インドのど田舎っ! 帰って来い、の一言で、ほいほい帰れる訳ねえだろっ! 何を寝惚けてやがんだ、馬鹿シショーっっ」
九龍と甲太郎が、ユカタン半島の密林のど真ん中で、京梧に、今直ぐ日本に帰って来いと、結構な無茶を言われた同じ日の、現地時間の夜。
インド共和国とネパール連邦民主共和国の国境近くの、本当に小さな町の小さな宿の、ロビーと言うのは憚られる程のロビーで、京一は、壊れ掛けの電話の受話器を握り締めつつ、連絡を付けてきた京梧と怒鳴り合っていた。
「………………は? ほいほいじゃなくったって、帰ろうと思えば何処からでも帰れる? ……そりゃそうだろうけどよー……。俺達にも都合ってもの──。──って、待ちやがれ、馬鹿シショーっっ。俺は未だ、帰るとも帰らねえとも言ってねえぞ! さっさと話を纏め────。……切りやがった、あの野郎…………」
「京一? 京梧さん、何だって? 何か、は? って言いたくなること言われてたみたいだけど……」
「は? で済む騒ぎじゃねえよ。今直ぐ、日本に帰って来い、だと」
時折雑音の入り交じる電話の向こう側よりの、こちらの都合などこれっぽっちも顧みないお達しに、京一はぎゃあぎゃあ喚き立てたが、無情にも電話は切られたらしく、げんなりした素振りで、チン……、と受話器を戻した彼に、傍らで黙ってやり取りを見守っていた龍麻は困惑している風な目を向け、京一も、困り果てた様子で、簡潔に事情を語った。
「ふうん……。何だろう? ここに着いて、居場所変わりました、って連絡した時は、何も言ってなかったんだけどなあ、京梧さんも龍斗さんも。第一、あれから一週間くらいしか経ってないのに……」
「さあな。馬鹿シショーのこったから、何かの気紛れ起こしたのかも知んねえし……」
「……でもさ、京一。俺達のご先祖って、かなりトンデモな人達だけど、幾ら何でも、只の気紛れで、日本に帰って来いって言い付けるとは思えないんだけど、俺」
「そりゃ、まあな……。……けど、理由は言わなかったし……。…………まさかと思うけど、向こうで何か遭ったのか?」
「それは判らないけど……、帰った方がいい、かな?」
「…………そうだな。上手くいけば、明後日には国際線に乗れるしな」
「うん。じゃ、決まり」
電話が切れた直後は、二人共に、「相変わらずの無茶振りを……」と、遠い目をしていたけれど。
九龍達が嫌な想像を巡らせたように、龍麻と京一も、脳裏に嫌な想像を巡らせてしまい、ブツブツ零しつつも、結局、日本に戻ることを決めた。
それから四日程が経った、十一月上旬の終わり。
成田国際空港第一ターミナル一階、国際線到着ロビーで、京一と龍麻の年中組と、甲太郎と九龍の年少組は、何故か落ち合っていた。
「うっはーーー! 京一さんと龍麻さんだ! 一年と少し振りーー!!」
「よう」
乗り込んだ便の到着時間の都合で、年中組の方が先に成田に着いていたので、彼等が到着してから一時間と少し後、待ち合わせ場所に現れた年少組は、ロビーの片隅に人混みに紛れるように立っていた、が、どうしたって目立ちまくる、去年の晩夏に再会した時のままの姿の、兄貴分な二人を見付けた。
一度だけ、くるん、と周囲を見渡すだけで呆気無く発見出来た京一と龍麻へ、九龍はいそいそと駆け寄り、相変わらずの熱烈な親愛を言葉と態度で示して、そんな彼の後から緩慢な足取りで近付いた甲太郎は、やはり相変わらずの素っ気ない一言で再会の挨拶を済ませる。
「よ。久し振りだな。……相変わらずだなあ、お前等」
「ホント、久し振りだねー。一年以上、会えなかったもんなあ……。でも、二人共、元気そうで良かった」
一年と少し前よりも若干日焼けしている以外、殆ど変わらぬ姿の九龍と、少々背が伸びたらしい甲太郎が揃って目の前に立ったのを、微かに目を細めつつ嬉しそうに見遣ってから、京一はぞんざいな感じで、龍麻は安堵している風な感じで、言葉を返した。
「えっへへー。お二人も、お変わりなさそうで。──処で。俺達がそうだったみたいに、兄さん達も、京梧さん達から、帰って来ーい、って言い付けられたんですよね? 何か遭ったんですか?」
「さあ……。そこの処、俺達も教えられてないんだよね。俺達、インドとネパールの国境近くにいたんだけど、兎に角、今直ぐ帰って来い、の一点張りだったらしくてさ、京梧さん。電話受けたの京一だから、俺は又聞きなんだけど……」
「あー、龍麻さん達もですか……。俺達も、仕事でグアテマラのジャングルのど真ん中にいたんですけど、どんな手品使ったんだか、そこに連絡付けてきた京梧さんに、問答無用で帰って来いって言い渡されまして。だから、俺達まで呼び付けなきゃならないようなことでも起こっちゃったのかな、とか思っちゃったんですよ。で、慌てて空港向かう途中で、大体、何日の何時くらいに日本戻れますー、って連絡入れたら、なら、成田で龍麻さん達と待ち合わせろ、って言われましてですね」
「俺達も、大体そんな感じ。兎に角帰って来いってことだったから、まさか、何か遭ったんじゃ? って、急いでデリーまで引き返したら、又、京梧さん達から連絡入って、成田で九龍達と落ち合え、って言われたんだ」
「そうですか…………。何なんだろうなあ……。うーむ……」
「うーーん……。……何か遭って俺達呼び付けたにしては、随分のんびりした話だなあ、と思うし……、でも、理由はある筈だし……」
「……ま、ここで、ああだこうだ言い合ってみたって仕方ねえって。行ってみりゃ判る」
「そうだな。それが一番手っ取り早い」
そうして、到着ロビーの片隅に突っ立ったまま、四人は、今回の京梧達の呼び出しの理由は何ぞや? と話し込み始め、ここでこうしているよりも、訪ねた方が話は早いと、何時もの短気っぷりを発揮した京一の号令の下、団子になってその場を離れ、第一ターミナル地下一階へ向かった。
どうにも、何かが遭ったから帰国を求められたとは考えられなくなってきたが、万が一の場合に備えて、渋滞に巻き込まれたら到着時間が全く読めなくなるリムジンバスでなく、時間の読める成田エキスプレスをセレクトした彼等は、「きっと、大したことじゃない」と言い合いながらも、何処となくの悩み顔を拵えつつ、JRの改札を潜った。
切符を押さえた電車は既にプラットホームに入っていたが、未だ、発車時刻までは間があり。
一応、連絡をしておくべきかと、代表で、京一が京梧へと電話を掛けた。
「……シショー? 俺。……うるせーな。俺だよ、京一だっての! 判れよ! 詐欺がどうとか、要らねえ知恵付けてんじゃねえっ。……ああ。今から成田────。………………は? 引っ越したぁ!? まあ、シショー達にはシショー達の都合があるだろうけど、何で、今までそのこと黙って……。────で? 何処行きゃいいんだよ。……ああ。……ああ、判る。西新宿の──。……え? 一寸待てよ、シショー、それって……。それに、来りゃあ一目で判るって、どういう意味だ? ──って、あ、おい!」
呆気無く繋がった電話で、恒例の師弟喧嘩の口先版を済ませ、本題に突入した途端、彼等四人の誰もが知らなかった事実を、京一は告げられたらしく。
「京一? 引っ越しがどうとかって聞こえたけど。龍斗さん達、引っ越したんだ?」
やはり一方的に切られたらしい手の中の携帯を、考え込む様子で見詰め出した京一に、何か? と龍麻は問うた。
「らしいな。でも…………」
「……でも?」
「その、何つーか……」
相方の問いに一応答えつつも、京一は、何故か酷く困った顔をする。
「…………? 京一?」
「……馬鹿シショーに、今から来いって言われた場所は、天龍院高校があったトコなんだよ」
「は? 天龍院……?」
「……え。天龍院って、『あの』天龍院、ですか……?」
「天龍院は、廃校になったんだろう? 校舎も、取り壊されて久しいんじゃないのか?」
言い辛そうにボソッと彼が言ったことに、龍麻と九龍と甲太郎は、一斉に目を見開いた。
「ああ。『昔』、あそこは鬼哭村だったからって、去年の春、シショー達が『墓参り』行った時は、少なくとも更地だった」
各々、それなりの意味込めて見遣ってきた三人の視線を受け、京一は、益々困惑を深め、
「でも……、行ってみるしかない……よね」
「……ですな…………」
「それこそ、行ってみなけりゃ何も判らないからな」
「だな。……取り敢えず、電車乗ろうぜ」
一度は、「どうやら、そういうことではないらしい」と頭から追い出した、嫌な想像を再び巡らせざるを得ないような『行き先の指定』に、一同は暫し、目と目でだけで会話して、何はともあれ……と、発車時刻が迫った成田エキスプレスに乗り込んだ。