「それにな。私は、こうして今の世で暮らし始めて、痛感したのだ」

益々、馬鹿面としか言い様の無い表情を深めた龍麻と京一を見比べ、くすり、愉快そうに龍斗は笑った。

「何をです……?」

「後先考えず、身一つで京梧の傍らに行こうとしたのは、間違いだった、と。京梧と再びの巡り逢いを果たした後の日々の暮らしの立て方と言うのを、きちんと考えてから眠りに付くべきだったと、本当に、しみじみ思ったのだ。世知辛い事この上無い話だが、働いて、糧を得なければ、人など生きてゆけぬし、住む所も着る物も要る。それを、今の世に来て、改めて思い知らされた。……お前達とてそうだろう?」

「それは……、まあ、そうですね。本気で世知辛いと言うか、出来れば普段は忘れてたい話ですけど、俺達だって、一生無職って訳にはいかないってことは、一応、判ってるつもりです」

「ああ。お前達とて、何時かはちゃんとした働き口を得なくては。──私も京梧も、武で身を立てる術以外知らぬから、鳴滝館長を口説き落として道場を建てさせたのは、私達の都合だが。お前達にも、それは容易かろうと思ったのだ。だから、こうしてみた。……ああ、勿論、行く行く、お前達に『ここ』の護人の役目を継いで貰いたいとは思っておらぬし、道場のこととて、真っ平御免だと言うなら、この話はここまでだが」

そして、再び彼は、コロコロと喉の奥で笑った。

「えっと…………、え、じゃあ、それって…………?」

「結局、馬鹿シショーと龍斗サンが『こうした』のは、半分以上、俺達の為ってこと……か……?」

……そこまで話されて、漸く、先祖達の『企み』の殆どが飲み込めた龍麻と京一は、辿々しく言いながら、顔見合わせた。

「……………………で? どうすんだ、馬鹿弟子共? どうするか選ぶのは、お前達だ」

思いも掛けぬ展開だと、目と目で話し合い始めた子孫達を、ちらり、横目で眺めて、京梧は茶を啜る。

「あー……、お心遣いは有り難いんですが、その……。悪い話じゃないとも思うんですが……。……ね、ねえ? 京一……?」

「お、応……。悪い話じゃねえとは思うけどよ。思うけど…………、俺達が一口噛むと……、なあ? ひーちゃん……?」

「うん……。例え、黄龍の封印のことが何とかなって、少しは落ち着けるようになったとしても、俺達が、『そういう世界』の『有名人』なのに変わりはないから、何時の日にかだったり、時折だったりに、ってノリだったとしても、俺達が『ここ』に腰落ち着けるって言うのは…………」

結論を急いてくる風な態度の先祖達に、ひたすら辿々しく、龍麻も京一も告げたけれど。

「ああ? 何言ってやがんだ、餓鬼共が」

「……何を案じているのやら…………」

先祖達は、呆れたように溜息を零した。

「何を心配してやがんだか知らねぇが、お前達、俺達を何だと思ってやがる? そういう取り越し苦労はな、お前達が、俺達から一本取れるようになってからほざけ、ヒヨッコ」

「手前味噌だと言われるのを承知で言うが、私達を手子摺らせる程の者など、早々はおらぬと思うが? それともお前達には、私達も敵わぬような『敵』に、心当たりでも?」

「……………………そういう心当たりはありません、はい……。……あ、でも、俺や京一や、俺達の仲間内が束になって掛かれば勝てるかも?」

「……ひーちゃん。考えが激しくズレてってんぞ。──そりゃまあ、馬鹿シショーと龍斗サンのタッグに勝てる連中は、滅多にゃいねえと思うけどよ、俺だって。鳴滝サンとか、龍山のじー様とか、道心のジジイとかも、シショー達の身内みたいなもんだし……」

ひょっとして自分達は、要らぬ気遣いを通り越し、子孫達に無意識に馬鹿にされているのだろうかと、顔を顰めてブチブチ言い出した先祖達に、龍麻も京一も、ごにょごにょ、言い訳めいたことを洩らし、

「まあ、今直ぐに答えを出せと迫るつもりはないから、暫く考えているといい。その間に、別の話を進めておくから。────さて。九龍、甲太郎。お前達にも話がある」

未だ何やらを呟きながら、腕組みしつつ、「どうする……?」と小声での相談を始めた子孫達を一旦捨て置き、龍斗は今度は、年少組に向き直った。

「え? 俺達にもですか?」

「当たり前だろうが。馬鹿弟子共だけに話があるんだったら、お前達まで呼び付けねぇぞ」

「……まあ、確かに。…………で? 俺達には、どんな話をするつもりなんだ?」

兄さん達、物の見事に、一年半前に焼いたお節介の『復讐』、三倍返しくらいで果たされてるなー、と、全くの他人事のように京一と龍麻をのんびり横から眺めていた九龍は、己達にも、と龍斗に告げられた途端、驚いて煎餅を齧る手を止め、話があるから呼び付けたに決まってると踏ん反り返った京梧を、甲太郎は、下らない話だったら誰に止められても蹴る、との決意秘めた目で見遣った。

「ここの話を詰めている時に、鳴滝館長に言われたのだ。人別帳……ではなく、あー、今の言葉では何と言うのだったか……」

「……? 人別──あああ、戸籍のことですか?」

「ああ、それだ。その、戸籍と言うのが、私達にも入り用ではないか? と」

「難しいことや、詳しいことはよく判らねぇが、そういうのが俺達にはないってのを、鳴滝の奴、知ってやがってな。……ま、余計な首は突っ込んで来なかったから、それはいいんだが。あいつ、『表』に俺達の名が出ることは有り得ないにしても、この時代の『籍』ってのか? そういうのがあった方が、万が一の時の言い訳が立つとか何とか、俺達にはさっぱり判らねぇ話まで始めやがって。で、面倒臭せぇから、その辺のことは任せるから良いようにしてくれって、あいつに押し付けたんだ」

『話』が始まっても食べ掛けの煎餅を手放そうとしない九龍と、ギンっ! と気迫や決意の籠った目を向けてくる甲太郎に、龍斗と京梧は口々に語る。

「……ほうほう。それで? って言うか、拳武館も、結構な『力持ち』ですな。あー、でも、『ああいう仕事』請け負ってる所ですから、当たり前と言えば当たり前ですかね?」

「恐らくはな。拳武館の裏の顔を使えば、そのようなこととて容易いのだろう。少しでも、私達から叩けば出る埃が消えた方が、彼の裏の顔にとっての都合が良い様子だったし。──そういう訳で、京梧が言った通り、その辺りのことも彼に任せることにしたのだが。……九龍。もし、お前が望むなら、お前の籍──『葉佩九龍』の籍も、都合して貰うが。どうだ?」

そうして龍斗は、にっこり笑みつつ九龍に問い掛けた。

「へっ? 俺の戸籍……ですか? 『葉佩九龍』の?」

「そうだ」

「ええっ? 何で何で何で? 何でです?」

『お前の分』はどうする? と、さらりと彼に問われ、ほへっ? と、九龍も、先程の京一や龍麻に負けず劣らずの馬鹿面になった。

「お前も『昔』の不慮の所為で、今の世に生きる者なら持っていて然るべき、そういう物がないのだろう?」

「ええ、まあ……。その辺の事情は、前に話した通りですけど……」

「お前は、『ろぜった』とか言う所の者だから、少なくとも今は、そういう物がなくとも困ることはなかろうが、確かお前は、『ろぜった』を好いている訳ではないと言っていたな。もしも、龍麻達と『ろぜった』が揉めるようなことが起こったら、三行半を叩き付けるとも。ならば何時か、そういう物が入り用になる日が来るかも知れない。なら、今の内に手を打っておいても損はなかろうと、そう思ったのだ。だから、お前が望むなら、と」

九龍の激しい馬鹿面を、ひたすらに、にこっ、と笑みながら覗き込んで、母親が幼子を言い聞かせる時のように、ん? と龍斗は首傾げてみせた。