そうと決まれば! と一人盛り上がりまくった龍麻が、明日に差し障らない内に酒は止める! と言い出し、とっとと宴会の終了を告げてしまった、その夜の翌日。

朝。

平日の、東京都立・真神学園高等学校では未だ朝のホームルームが行われているだろう時刻、こそこそっと学園の敷地内に潜り込んだ彼等は、誰にも見咎められぬ内にと、そそくさ、旧校舎に忍び込んだ。

往生際悪く渋る九龍と甲太郎を地下へと続く例の穴に蹴り込んで、直ぐさま、年下達へ無体を働いた京一と龍麻の二人も飛び下りて、京梧と龍斗は、物見遊山にでも来ているかのように、のんびり後を追った。

約五ヶ月振りに六人揃って下り立った旧校舎地下の風情は何一つ変わりなく、のそりと姿見せた、獣によく似た異形達を軽く伸した彼等は、現れた、二階層へ続く『口』は潜らず、その場で、さて……、と頷き合う。

……尤も、視線を交わし頷き合ったのは、年中と年長の四人だけで、九龍と甲太郎は、嫌そーー……に、そっぽを向いたが。

「なあ、ひーちゃん。このまま底目指してひたすら潜るってのも、アリだろうと思うけどよ。今日は、『異形抜き』でやらねえ?」

今日と言う日の己達の運命を嘆き、有らぬ方を向き続ける年少二人を無視し、京一は、心底楽しそうに、向き合った龍麻に言った。

「あ、たまには、そういうのもいいよね。じゃ、そうする?」

『異形抜き』で、と言い出した京一の意図に気付き、龍麻も又、にこにこぉ……、っと笑んだ。

「んじゃあ、俺達は暫く見物でもさせて貰うとするか。餓鬼共の相手が済んだら、構ってやってもいいぜ? 馬鹿弟子」

「龍麻。程々にな。でないと、私の相手は出来ぬぞ?」

そう言うことなら、と京梧は、さっさと少し離れた岩肌近く目指し歩を進め始め、龍斗も又、くすくすと忍び笑いを零しつつ、京梧の後を追って、

「……甲ちゃん。どうして、あの人達って修行と立ち合いがイコールなんだろー? 別にさ、単なる稽古だって無問題っしょ? 修行なんだから」

「九ちゃん。体育会系な連中に、一般論を言ってみたって無駄だ。揃いも揃って、一番手っ取り早い修行は実戦、な思考だぞ?」

「確かに……。兄さん達、そーゆーとこ本気で物騒な思考だかんね。……でも。も、こうなったら、何か言ってみたって始まらないよな」

「……だな」

がっくり肩を落としながらも、「何時までもこの展開を嘆いていたって仕方無い、やるからには一矢くらい報いてやる!」と、九龍と甲太郎も、漸くやる気を見せ始めた。

事実関係はさておき、龍麻にとって、期間限定ではあったけれど、それでも稽古を付けたことのある甲太郎は、一番弟子、と言う奴なので。……何処までも、龍麻にとっては。

だから、龍麻と甲太郎、京一と九龍、との組み合わせで、修行と言う名の立ち合いをすることが決まった。

先程九龍がぼやいた通り、修行と立ち合いは常にイコールで結ばれるものではないのだが、龍麻や京一の頭の中では、修行と立ち合いはイコールで結ばれがちだったし、実の弟のように可愛がっている九龍や甲太郎に、手取り足取り、と言った『生温い』稽古を、彼等が付ける筈は無かった。

それが、青年達の愛情表現の一種だから。

果てしなく物騒で、傍迷惑と言えぬこともない愛情表現ではあるけれども、それは、危険と隣り合わせの生業に、その生涯を捧げるのだと自ら決めた、実の弟のような、実の家族のような二人に京一と龍麻が向ける、「少しでも強くなって欲しい、怪我一つ負わず、無事に帰って来られるように」との想いに端を発するもので。

故に、『ちょっぴり』一般とは相違がある己達の発想に微塵も疑いを持たず、龍麻は甲太郎へ、京一は九龍へ、向き直った。

一方、九龍と甲太郎も、この二人の、そして京梧と龍斗の発想は、『かなり』一般とは相違がある、とは思いつつも、彼等が自分達の為を想って、今日、こうしてくれていることくらいは疾っくに悟っていたので、向き直った二人へ、受けて立つような視線を送り。

龍麻vs甲太郎

「こうやって、俺と甲太郎が『立ち合い』するのは一応初めてだから、サービスで、『始め』の合図くらいはあげるよ」

黄龍甲と言う名の手甲を付けた両手を気のない風にぶらぶらさせながら、少々の距離を挟んで向き合った甲太郎に、にこっと笑みつつ龍麻は告げた。

「……そりゃ、随分なサービスだ」

龍麻が浮かべたその笑みは、相変わらずの、見事、と言える笑みだったが、こんな状況では般若の嗤いにしか見えない、と内心で思いながら、甲太郎も薄い笑みを投げ返した。

「じゃ、そういう訳で。──行くよ!」

一見は、毛筋程のやる気も持ち合わせていぬように立ち尽くすばかりの甲太郎の風情の中に、微か、そこそこには本気になっているらしい気配を見付け、ん、と頷いた龍麻は、約束通り、『始め』代わりの声を掛ける。

「ああ、何時でも」

ご親切なことで、と口の中で呟きながら、ひたすら、やる気のない態度のみを披露しつつ、甲太郎は、龍麻の掛け声と、それに重なった己の呟きが消え去るより先に、強く地を蹴った。

──標準よりも若干ウェイトが劣っていた、と話に聞いている高校時代より、今の龍麻は尚軽いらしく、が、その分身軽であることを、甲太郎は充分承知している。

身長を鑑みれば、軽過ぎるかも? と言えてしまう重量故に、速さに重きを置く戦い方を選ばざるを得ないのだとしても、彼が身軽なのは事実で、しかし甲太郎は、天香学園時代に得、今尚持つ《力》のお陰で、過ぎる程に身軽な龍麻よりも、戦闘時に於ける速さは勝っている。

否、龍麻よりも、ではなく、自分達六人の中で最も速いのは、恐らく甲太郎だろう、と当人を除いた五人全員が秘かに思う程、彼の速さは群を抜いている。

…………しかし。

逆を返せばそれは、少なくとも龍麻よりも甲太郎が勝っている部分は、速さのみ、と言うことであり。

十二分にその自覚を持っている甲太郎に、『溜め』を取る暇は微塵もなかった。

例え一矢でも龍麻に浴びせる為のチャンスは、立ち合いが始まった瞬間、そこにしかないと解っていた。

故に彼は、合図と同時に地を蹴って、

「そう来ると思った」

けれど龍麻は。

己との距離を一息に詰めた軸足と入れ替わる風に繰り出された甲太郎の蹴り足を、合気道の要領で払い様、透かすように身を入れ替えて、ふいっと振り上げた己が腕と共に、甲太郎の足を持ち上げ体を浮かせ、

「え?」

不意に与えられた浮揚感に、思わずの声を洩らした甲太郎の鳩尾に、手加減なく肘を振り下ろした。

「……………………っっ、……──

直後、甲太郎の背が地に叩き付けられる音と、彼の腹部に龍麻の肘がめり込んだ音、その二種類の鈍い響きが上がって、音にすらならない詰まった呻き声を甲太郎は洩らす。

「俺、速さだけに頼っちゃ駄目だよって、言わなかったっけ?」

痛みの所為で食い縛られた口許から息を零し、重い一撃を喰らった腹を抱える風に身を丸めた甲太郎の傍らにしゃがみ込んで、龍麻は、つん、と彼を突きながらさらりと言い、返答の代わりに甲太郎は、ゆるゆると右手を軽く上げ、

「ん。じゃ、もう一本やろっか」

そんな彼に、「未だ動けるね」と無情な一言を告げると、ひょい、と龍麻は軽やかに立ち上がった。